Dear my girl

(挑発にのっちゃだめ……)

 追い詰めるように見下ろされ、恐怖心が増していく。気を逸らしたくて、沙也子は推測を口にしてみた。

「涼元くんのこと、好きなの? だからわたしのことが気に入らないの? だったら大丈夫。二人のことは邪魔しないと誓……」

「ちっげーよ!! 俺は女の子が好きだから!」

「あっ、そうなんだ」

 律の攻め受け概念をよく聞くからか、沙也子も感覚が引っ張られていたらしい。
 黒川は一孝に恋をしているわけではない。それでは、なぜ沙也子に敵意を抱くのか……。

 心を立て直した黒川が、じっと沙也子を見つめてくる。思わずびくっと身構えてしまった。

 黒川は驚いた顔をしてから、ふっと小さく笑った。

「え、ほんとに怖いの? ……自意識過剰なんじゃない?」

 そこで振動音が響いた。黒川は屈めていた背をゆっくり起こすと、ポケットからスマホを取り出した。

「おー、分かってるって。今行く」

 面倒そうな声で通話しながら、黒川はそのまま出て行った。
 バタンッとドアが閉まり、沙也子はしばらくドアを見つめた。

 大丈夫――。ゆっくりと呼吸を落ち着ける。
 固まっていた体がようやく動きだす。

 頬をぺちぺちと叩いて気合を入れ、沙也子は教材室を出た。





 自販機にお金を入れ、お茶のスイッチを押した。
 ガコンッと飲みきりサイズのペットボトルが落ちてくる。

 自意識過剰なのは認める。
 どうしたって、体が恐怖を感知してしまう。

(ムカつく……)

 揶揄われることも。狼狽えてしまう自分自身も。

 克服しない限り、この先何度でも同じようなことがあるだろう。

 いちいち落ち込んではいられない。
 ペットボトルの蓋を開け、沙也子はごくごくと一気飲みした。





 日曜日の朝食時、沙也子は律と出かけることを、一応一孝に報告した。
 沙也子が作った蒸し鶏とコールスローのサンドイッチを食べながら、一孝は少し苦い顔をした。

「お前、おとといぐらいから顔色悪くないか。つか、なんかあった……?」

 ドキリとする。悔しいことに、黒川に言われたことを引きずっていた。

 ――黒川がどういう人なのか、一孝に訊けば分かるだろうか。


「谷口?」

「なにもないよ。律おすすめのアニメ見て、ちょっと寝不足なだけ。……そうだ! ごめん、律にこの生活のこと話しちゃった」

「何かと思えば……。そもそも俺は隠したいとは思ってねーよ」

「思おうよ……」

 恥じることなどなにもないと沙也子も思うけれど、口さがない人というのはどこにでもいるものだ。妙な噂が立たないよう気をつけなければ。


 早めに帰ることを約束して、一孝をバイトに送り出した。
 自分に自信を持つためにも、街の散策は重要なフィールドワークなのである。

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