花は今日も咲いているか。~子爵夫人の秘密の一夜~
 ――ひとが見ていなければすぐにサボるくせに、少し注意したぐらいで文句をいうなんて、どういう教育を受けて育ったのかしら。

 エレナは顎をあげながら、澄ました顔で彼女達の前を通り過ぎた。
 彼女らをクビにするのは簡単だが、顔ぶれを入れ替えた所で結果は同じだろう。まあ、今よりもっと陰で悪口を言うようになるかもしれないが。
 それより余所に行って「あそこは夫婦関係が無い」「奥さまはヒステリックだ」と言いふらされるほうが面倒だ。

 エレナは自室に戻って扉を閉めると、「はあ」と重い溜息を吐いた。
 面白くない。
 何かも楽しくない。
 なにげなく部屋にある鏡を見れば、極めて平凡な顔をした女がつまらそうな表情をしていて、さらに気分が沈んだ。
 髪は艶のなさを誤魔化すように引っ詰めて結い上げ、ドレスは『身の程を弁えている』とでも言いたげに地味な色合い。
 見ていてなんと面白くない女だろう。なんの華やかさもない。
 ふと部屋を見渡す。
 思えば、部屋も殺風景だ。嫁いできた当初は、張り切って装飾品にこだわったりもしたが、最近はそういうこともするのも忘れていた。
 まがりなりにも女主人の部屋だというのに、花のひとつもない。
 以前はメイドらが勝手に花を飾っていたが、エレナは別に花が好きでも無いし、しおれるのもイヤで、飾るのをやめさせたのだ。
 
 ――また、花でも飾ってみようかしら。

 大層なものでなくともよい。
 自分に比べて、あまり大層なものは気が滅入る。
 庭に咲いている花を少しだけ切って飾るのはどうか。
 自分で選んで、好きな花を少しだけ飾るのだ。
 そうすれば、少しはこの心も華やぐような気がした。


 エレナはふらりと庭に出た。
 薔薇の生垣の間を歩きながら、今が春薔薇の季節であったことを思い出す。エレナは普段、客人が来た時ぐらいしか庭を歩かない。
 色とりどりの薔薇を適当に眺めながら少し歩くと、若い庭師の男がひとり、生垣の手入れをしているのを見つけた。

「ねえ。あなた」

 男の前で足を止め、エレナは軽く顎をあげた。

「部屋に飾る花を切りたいのだけど、お願い出来るかしら」
「え?」

 声を掛けると、庭師は驚いた様子でこちらを振り返った。
 どうやらエレナが誰か分からないらしい。
 そして、それはエレナも同じだった。
 
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