花は今日も咲いているか。~子爵夫人の秘密の一夜~
 理由はすぐに分かった、その頃、彼の愛人に子供が出来たからだ。

 それを知った時には怒りもあったし悔しさも感じたが、正直いえば何よりほっとした。これ以上、アーノルドと愛のない行為を続けなくていい。自分に子供が出来ないなら、もう跡継を作る行為は不要だ。
 幸い、彼の愛人に生まれた子供は男児だった。その子はいま五歳。七歳になったら、その子を養子として迎え、子爵家を継がせることが決まっている。
 その事を、父にうまく話して納得させたのはエレナだ。
 おかげで、アーノルドはもうエレナに頭があがらなくなった。
 アーノルドは常にエレナの顔色をうかがい、機嫌を取ろうとしている。それは時に愉快で、時に不快でもあった。
 女遊びも依然止まないが――、まあ、家に居られても面倒だから、出掛けてくれるのはせいせいする。

 エレナは夫を見送ると、つまらない気持ちでふんと息を吐いた。
 私室に戻ろうと階段をあがり、突き当たりを曲がりかけた所でエレナは足を止めた。
 角の向こうから、メイドたちの声が聞こえてきたからだ。

「ちょっと、ここの窓枠に埃が乗っているわよ。奥さまに見つかったら叱られてしまうわ。奥さまったら、ちょっとした汚れでもすぐに見つけるんだから」
「本当だわ、大変。この間だって、窓に少し拭き残しがあっただけで随分怒られたのよ」
「そりゃずっと家に籠もってらっしゃるんだもの。窓を見るぐらいしか、やることも無いんじゃないかしら」
 
 ひそひそとした話し声に、エレナは眉をひそめた。

 最近は、時々こうして陰口を聞いてしまうことがある。彼女らはエレナを馬鹿にしている――、とまではいかないでも侮っているのだろう。迂闊にもエレナにその声を聞かせるのは、決まって若いメイドだ。彼女らの口は、餌を待つ小鳥のように閉じることを知らない。
 いくらエレナが表面上アーノルドとの仲を繕った所で、メイドである彼女らに夫婦仲が冷え切っていることは隠せない。そして彼女らのような若い女は、単純な貴賤よりも、美しさや男に愛されていることこそが優れていると思いたがる節がある。

 エレナはうなじの後れ毛を軽く直すと、わざとカツカツと足音を立てて歩いた。
 角を曲がれば、彼女らは忙しそうに手を動かしていた。そしていまエレナに気付いたとばかりに、こちらに向き直って礼をする。

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