ぼくらは薔薇を愛でる

 長い廊下の突き当たり、ジョブズに付き添われて重厚な扉の前に来た。音という音が吸収されてそうな程に静かな廊下、目の前にある分厚い扉、表情ひとつ動かさない護衛騎士。深呼吸をして訪いを告げた。
「父上、エクルです」
 入れ、とくぐもった声が聞こえ、護衛騎士が開けた扉の中に、ジョブズと共に入る。

「エクルや、お前の縁談が決まった」
 入ってすぐ、ソファに腰を下ろしていた父王がいきなり切り出した。

 ――こういうのってもう少し躊躇いがちに言うもんじゃないの……

 エクルはあっけらかんと言ってくる様子に拍子抜けした。同時に、とうとうこの時が来た、と思った。つい今しがた、好きな相手から想いを聞いたところだから堪える。

 王女として生まれた以上は果たさなければならない義務がある事は幼い頃からわかっていた。王城に居て何不自由ない暮らしができているのは、そういったより大きな責任を担っているから。これまでも何人もの王女が国の為に嫁いでいったが、彼女たちは恋を知っていたんだろうか。思いを通じ合えた相手に嫁げた王女はいたんだろうか。自分は恋を知っただけ良い方だろう。だからこそ王女であるその責任は果たさねばならないと、そう覚悟した。

 ――なのに、だ。

「どちらの国ですか? いつごろ輿入れなのでしょう」
 ふう、と息を吐いてから、努めて冷静に声を出した。震えてなかったかしら。こんな話、ジョブズに聴かれたくはなかった。いずれ耳に入るだろうが、それは今じゃなくてもいいだろう。

 父王は「王子ではないのだが」と付け加えてから、エクルの隣に立つ騎士を見て言った。
「そうだな。だがお前にとったら王子も同然か。ジョブズはいつ頃がいい?」
「私は今夜でも構いません、ですがエクル様のお心に従います」

 ――え? 何故ジョブズに聞くの?! そしてジョブズのその返答はなに、私の心次第?

 エクルは、ジョブズと父を交互に見遣り混乱する。

「こっ今夜はダメ、早い! せめて嫁入りする娘と別れを惜しむ時間をくれ……!」
「ジョブズは関係無いでしょ? それでお相手はどちらの――」

 ――この二人は何の会話をしているのかしら、私の縁談の話ではないの? ジョブズの縁談話? けどさっき、婚約者は居ないって言ってた……

「お前の好きな、ライムライト侯爵の嫡男だ」
「――え?」
 隣に立つジョブズに一瞬視線を移してからエクルに向かってウィンクをする国王。

 ライムライト侯爵の嫡男、と聞いて思考も身体も固まった。ギギギ、と音が聞こえそうなほどに無理やり首を動かして隣に立つ男性を見上げれば、彼は満面の笑みでこちらを見ていた。
「ちちち父上? すすす好きって、え、なんで!」
「お前がジョブズを好いている事くらい、とうの昔に知っている」
 顔が熱くなる。

 完全に隠し通せていると思っていた。お忍び街歩きだって完璧に変装していたし、父上からは何も咎められる事も無かった……だから気づいていないものと思っていたのだが、ずいぶん前から……?
 この部屋に来てから、混乱の連続だった。頬に手を当てて目を閉じれば、その手を優しく取るジョブズに促されて立ち上がった。何故立たされたのかを疑問に思いつつも、目の前の父に口を開く。

「ジョ、ジョブズは護衛騎士ですよ、私には王女として他国に嫁ぐ責務が――」
「あー、いいのいいの、堅苦しいことは考えなくて大丈夫なんだ。先王のお陰でとりあえず仲の悪い国は無いし、交易も円満で盛んだ。それにお前と年頃のあうフリーの王子が他国に居ない。既に妃候補となる令嬢が城に召し上げられているからお前の出る幕が無いのだ、安心しなさい」
「えええ……」
「それにエクルには好きな相手に嫁がせろというお祖父様の御遺言もあるからな」
「お祖父様の……?」
 つい先ほどまで固めた覚悟は音を立てて崩れ消え去った。代わりに、大きな戸惑いと、好きな人に嫁げる喜びとが押し寄せてきて、感情の処理が追いつかず言葉が出てこない。
 父との会話の間、よろめくエクルを、腰を抱いて支えていたジョブズが口を開いた。

義父上(ちちうえ)、エクル様が混乱してらっしゃいますから、別室で少々話し合って参ります、お許しいただきたく」
「う? うむ……アレだ、適度な距離を、保って、な。よく話してまいれ」
「はっ」
「え? ちょっ」
「ささ、参りましょう」
 腰に当てた手はエクルを反転させ、足早に執務室を出た。
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