婚約者には愛する人ができたようです。捨てられた私を救ってくれたのはこのメガネでした。
 リューディアは苦しそうに顔をしかめているモーゼフにゆっくりと近づいていく。そこにはもう、他人の視線を気にして怯えている彼女はいない。心の中に確固たる意志を持ち、何かをやり遂げようとする前向きな姿。
「モーゼフ様。リューディアです。お手に触れますね」
 そう言葉をかける彼女の声色は優しい。それはモーゼフが好きな声。

 リューディアがモーゼフの両手を取った時、その手は氷のように冷たかった。その手を温めるかのようにリューディアは両手で包み込む。
 そして、思い出した。モーゼフと共に過ごしたささやかな時間を。彼女を「ブス」と言って、わざと距離をとっていた彼だが、たまに見せる淋しそうな眼差し。何か言いたそうに口を開くけれど、言葉にならなかったそれ。今になって思う。ブスと言われようが毅然とした態度をとればよかったのだ。もっとモーゼフと話し合うべきだった。それができなかったのは、何故だろう。自分に自信がなかったから? モーゼフに好かれたかったから? 違う、自分が弱い人間だったのだ。他人の目に怯え、自分の意思を伝えることができなかった。
 もう少し、踏み込む勇気があればよかった。だが、今になって後悔しても遅い。そしてこれからのことを後悔しないように、一歩、踏み込む。

「モーゼフ様と共に過ごした時間。わたくしにとってはかけがえのない時間でした」
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