ロゼに溺れた熱帯魚
赤のクゲール
 沖縄の高速道路は真っ直ぐ一本。時々フェンスの合間から見える海や沖縄特有の建物。大抵の建物は屋上や屋根に大きな貯水タンクを乗せている。
 一時間のドライブは慣れない土地なのに長さを感じなかった。見るもの全てが新鮮だから。とはいえ、萌奈は沖縄に来たのは初めてではない。仕事をしに、数回来たことがあった。それでも毎回目新しく感じるのは風が、木々が、花たちが毎回同じではないからかもしれない。
 高速道路を降りると車の速度を落とし、更にしっかりと景色を見ることができた。畑は赤土。本州の赤さとはまるで違う。土の色すら鮮やかだ。リゾート地にある建物は民家、若しくはせいぜい三階建てくらいのコンクリート造り。空は広く、緩やかに雲が流れていく。

 朝一番のフライトだったので昼にはコンペが行われるホテルに着く。昼食を済ませてから仕事をこなし、沖縄に来たら泊まることにしているお気に入りのホテルへ移動する予定だ。明日は一日のんびり過ごし、午後八時台の便で帰ることにしている。沖縄に来たら毎回このパターン。ゆっくり起きてから、どこか一ヶ所観光地に赴いて観光をする。
 初めての沖縄は首里城、次は万座毛。
 そうそう、万座毛の土産屋があまりにレトロで気に入り、売り子のお婆さんと記念撮影をし、哲に写真を送ったっけ……。
『まるで昭和にタイムスリップ』
 どうでもいいことを一言一句覚えている自分に、萌奈は苦笑しながらコンペの行われるホテルの玄関口に車を停車させた。

 仕事を終えて、そのままそのホテルに宿泊する顔見知りの人々に一通り挨拶を済ませると、外は既に薄暗くなっていた。
 玄関でホテルの配車係に帰る旨を伝え、玄関に置かれた木製のベンチで車を待った。流石に沖縄でも冬の夜は肌寒い。手にしていたスーツのジャケットを着てみたが、シダ類の植物が目の前で風に揺れるのを見るたび、もう一枚羽織りたいと腕を擦る。
 ホテルに着いたら浴槽に湯を張ろう。売店で入浴剤を買って入れようか。などと考えてると、すうっと萌奈の借りたヴィッツが停まった。中から配車係が出てきて「お待たせしました」と鍵を渡してくれる。
 礼を言い、車で僅か十五分の場所にあるリゾートホテルを目指した。

 恩納《おんな》村にある巨大なリゾートホテルにつき、スーツケースを転がしながらロビーに入っていくと、吹き抜けに吊るされた巨大なツリーが出迎えてくれた。赤やピンクの電飾、ツリーの下にはサンタクロースの赤いソリがあり、親子連れが入れ替り記念撮影をしている。微笑ましい光景に目を細めながら横を通りすぎると今度は巨大なお菓子の家。ここでも小さな子をモデルに父親とおぼしき人物がしきりに写真を撮っていた。
 リゾートホテルを選ぶのは、この喧騒が好ましいから。家は静かだし、通勤電車や会社では明るく騒ぎ立てる陽気な声は聞くことができない。大声ではしゃいだり笑ったりするのを耳にするのは、何だか子供時代を彷彿とさせて懐かしく思ったりする。
 子供かぁ。
 欲しいと思ったことがないのは、新婚の頃は忙しかった事と、現在はすっかり冷めきった関係が原因だ。もしも、夫以外の人の子供が出来たら夫も別れてくれるだろうか……と思ったこともあるが、結局相手が居ない状態では無意味と、考えることを放棄していた。

 近寄ってきた沖縄特有のハッキリとした顔立ちをしたベルマンに荷物を託してチェックインカウンターに行き、手続きを済ませて軽い説明の後、カードキーを受け取った。
 くるりと身を返すと、ロビーにあるソファーに見たことのある顔を見つけ思わず息を止める。
 相手も萌奈に気がつきニコリと微笑んで立ち上がった。
 まばたきをしても、視線を外してまた戻してみたりしても、その人は紛れもなくあの哲だった。チノパンにグレーのラインが入ったストライプのシャツ、カーディガンと文庫本を持って、迷いなく萌奈に歩み寄って来る。

「南野様、それではお部屋までご案内致します」
 既に真横に待機していたベルマンの言葉を聞き現実に引き戻されて、ゆっくりと首を回す。
「ああ、えっと……ごめんなさい。荷物を部屋に運んでおいて貰えますか? 先に食事を済ませてから部屋に行きますので」
 言いながら今受け取ったばかりのカードキーをベルマンに手渡した。ベルマンは「かしこまりました。キーはフロントへ預けておきます」と答えると一礼して、荷物を手にエレベーターへと歩いていった。
 ベルマンとすれ違いながら向かってくる哲は相変わらず笑顔だった。
 どうやら驚いているのは萌奈だけで、哲は突然過ぎる再会にまるで動じていなかった。

「どうして……ここに?」
「待っていたから、萌奈さんをね」
 二回目の衝撃に萌奈が言葉を無くすと、哲は少し辺りを気にする素振りを見せ、視線をベルマンが居た少し先の大型の電子モニターで止めた。
「立ち話もなんだし、鉄板焼でも食べない? そこで話そう」
 哲が見ているモニターには『レッドクリスマス』の文字と共に赤いカクテル、伊勢海老、美味しそうなベリーのスイーツが映し出されていた。

 萌奈はまだ混乱していた。連絡を絶って数年……二年か三年、それ以上かもしれない。萌奈が最後の恋として記憶している相手が、目の前で話しをしている。なんと言うか、陽炎に実体があったと知ったような驚きだった。
 哲は痩せた身体ではなくなり、しっかりとした体つきに変わっていた。もちろん、記憶の中にある若々しい顔でも無くて、目尻にはうっすらシワがある。そんな風に値踏みする萌奈だって、若い頃付けていたピンク系の口紅は似合わなくなっていた。

「二階だって、行こう」
 哲が座っていたソファーの先は水が滝のように流れるオブジェ。それを迂回すると吹き抜けの階段があり、二階へといけるようになっている。階段の横にはラウンジがあって、控え目な間接照明に赤いアルコールランプが銘々テーブルの上で揺れていた。
 哲は、促されるままに歩みだした萌奈の歩調に合わせ、ゆったりと歩いていく。鼻唄は歌っていないが、絶対に脳内では音楽を流しているに違いない。軽やかな足運びで階段を登っていく。ふんわりとした絨毯敷きの階段はヒールのあるパンプスには幾分いただけない。それに気がついた哲がそっと萌奈の肘を支えて「女性は大変だ」と優しい笑み。
 階段を登りきると哲は支えてくれた肘を解放し、入り口に立つ店の女性と話しに行った。萌奈は入り口から見える天井に届きそうな大きなツリーに赤い玉《クゲール》が下がっているのを見つめていた。

 あの哲が居て、あの哲と食事を共にする。現実についていかれない思考は色んなパーツを打ち上げ花火のように投げてくる。
 会わないのではなかったのか。会わないと言ったのは哲だったのではないか。いや、会わないなどとはもちろん口にはしていないのだけど。それに、もう過去の人だったのではなかったのか。お互いに過去の人だったはず。キラキラした思い出として萌奈の中には仕舞われている。まるであのツリーの飾りのように光り輝いている。あの玉はクゲール。赤のクゲール。

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