朝を探しています
 その日娘からの連絡を受けて慌てて帰宅した波那の母は、自分の家のリビングでぐったりとしている雅人を見るや否や、その横で青い顔をしていた波那と共に雅人を自分が働いている病院に連れて走った。

 しばらくして診察室に飛び込んできた雅人の父の姿もまた、それまで波那がよく見てきたものとは違っていた。
 窶れていた。
 雅人の家のリビングの様子がそのままその姿に重なって見えた。

 雅人は軽い栄養失調と診断された。それに加えて睡眠不足も指摘された。

 波那が診察室とは別の部屋で点滴を受ける雅人に付き添っている間、医師は雅人の父と、波那の母と話をしているようだった。


 倒れた時よりは幾分か安らいだ顔になった雅人の寝顔を見ながら、波那の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 ぽろぽろぽろぽろ

「…っう…っ、ぁあ…っ」

 父がいなくなってからの生活は、波那にとってあまりにも現実的でなかった。
 いつもいつも、朝目が覚めたら父のいるリビングを思って扉を開けた。
 時計が夜の8時を指す頃に何度も玄関に目をやった。
 父のクローゼットには見覚えのあるスーツが何着もかかったまま。

「…っ、お父さんっ…おっ、おとっ…うさんっ」

 たすけてたすけてたすけてたすけて。

 お母さん、ちっとも笑わなくなったの。
 私が作ったご飯も、食べてくれるけど、そのあとトイレで吐いてるのも知ってるの。
 あんなに仕事して、なのに家でもずっと動いてるんだよ。
 お母さんが死んじゃうよ。

 私がもっと気がついてできたらいいのに。
 私が……

 私がもっとお父さんのこと大事にしていたら、お父さんは私のこと捨てなかったのかな。
 誕生日プレゼントにくれた服も、私の思ってたのと違うって、ちゃんとお礼が言えなかった。一生懸命選んでたって後からお母さんに聞いたのに。
 もっともっとお父さんのこと大好きって言えばよかった。伝えればよかった。


 お父さんとお母さんのいる家に帰りたい。
 一緒に晩御飯食べて、いっぱいしゃべりたい。


「うあ…っ、お、とうっ、さっ…うっ、ひっく…っ」

 
 どうしていなくなったの。
雅人くんのお母さんと一緒に出ていったって、あの手紙は本当なの。
私やお母さんより、雅人くんのお母さんの方が大切だったの。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

こんなに苦しいよ。雅人くんもこんなになっちゃった。

「おっ…と…さっ…っく…おとう…さぁっ…」


こんこんと眠り続ける雅人のベッドに顔を埋めた波那の嗚咽は長い間病室に響いていたが、波那の母親と雅人の父親が2人を迎えに来る頃には静かな寝息に変わっていた。

波那を起こそうと肩に手をかけた那津子は、娘の頬にいくつもある涙の後にふと動きを止めた。そして何秒か赤く腫れた目元を見つめたあと「波那、おまたせ。帰ろう。」と、動作を再開させてそっと娘を揺り起こした。

雅人の父はすでに点滴を抜かれてあった息子を腕に抱き上げていた。

「ん……あ、お母さん? 帰る?」
「うん。雅人くんももう帰っていいって。」
「よかった…。」

ふわりと笑った波那をじっと見て、那津子は言葉を続けた。

「それでね、波那。明日から、雅人くんもうちで一緒にご飯を食べたらどうかなって思ったんだけど、いい?」
「…え?」
「波那に作ってもらうことの方が多いから、大変になるのは波那なんだけ…」
「いい! 一緒に食べよ!! 1人分多いのなんて同じだよ。雅人くんも一緒がいい!」

食い気味に答えた波那の頭をぽんぽん叩いて、那津子も笑った。

「…いや、でもやっぱりそれは…」

雅人を抱いた斉木が申し訳なさそうに口を開いたが、それにも那津子は笑顔で答えた。
「もちろん、斉木さんが早く帰れる日は雅人くんと一緒に食事して下さい。でもそうじゃない日はうちで。ちゃんと育ち盛り1人分の食費は頂きますから。」

「…でも、波那ちゃんの負担が…」
「波那も、疲れた時は上手に手抜き料理してくれるんです。ほんと、料理初心者なはずなのに親の私から見てもセンスあって。」
「ちょ、手抜きって…… まぁそうだけど。」



その後も逡巡する斉木を母娘で説得しながら帰路に着いた。

 
 
そしてそれから雅人が高校に入学し「今までありがとうございました。これからは自分でちゃんと食べるようにします。」と2人に頭を下げるまでほぼ毎日、波那たちは夕食を雅人と共にとった。時折那津子の帰宅が深夜になる時には波那と雅人と2人で食卓についた。
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