朝を探しています
中学3年生になったあたりから雅人の身体は急激に成長し、165センチあった波那の背を簡単に追い越した。部活には入っていなかったが毎日朝夕に何キロか走り続けたからか、適度に筋肉もついて、母親譲りの端正なマスクと相まって時には他校の女子からの告白も受けるようになっていた。
けれど当時は誰の告白にも頷かなかったことを、波那はよく知っている。2人の食卓で雅人から聞いていたからだ。
「『女』って意識した途端に、なんか気持ち悪くなっちゃうんだ。せっかく今まで仲良かったのにさ。実はそういう目で見てたのか…って思ったら、もうダメ。…なんか、俺っておかしい?」
「…私はそれよりおかしいかも。男子としゃべるのもあんまり好きじゃないし。別に誰も私のことそんな対象にしてないってちゃんとわかってるんだよ。なのになぁ…。」
その日その日の夕飯をつつきながら、同じような内容の会話を何度か繰り返した。
「波那ちゃん。これって、やっぱりあいつらのせいって思う?」
「…そう思うよ。なんか腹立つけど。」
「俺も。あいつだけが親でもないのにさ。父さんがいるのに、なんであいつの方が俺に影響与えてるんだろう。…そういうの、マジでむかつくんだ。」
雅人はいつからか出て行った母親のことを『あいつ』と呼ぶようになっていた。
波那も雅人も、お互いの前でだけ、自分たちがトラウマにしてしまった出来事を口にすることができていた。
あの日に裂かれた傷に瘡蓋ができるまでには何年もかかったが、それでも1人、もしくはそれぞれの母親や父親とだけの世界ではその倍以上の時間がかかっていただろうことを、当時の波那も漠然と感じていた。
姉弟のような、親友のような、同志のような。
とにかく波那にとって雅人はかけがえのない存在だった。
だから雅人が高校生になり、波那の家で夕食をとることがなくなった時は幾晩か寂しくて眠れない夜を過ごした。
さらにしばらくして街で女の子と手を繋いで歩く雅人を見た時は、裏切られたような気分になって何週間も雅人と出くわさない時間に朝の電車の時間を変えた。
波那は進路に家から通える距離の大学を選んだ。2回生の時、いくつか同じ講座をとっていた同回生の男から告白を受けた。何度か断っても納得してくれず、半分ストーカーのようになったその男が波那の家まで訪ねてきた時、雅人が隣の家から飛び出してきて男を追い払った。
その後くらいから雅人の波那に対する猛アピールが始まり、さほど時間をおかずに2人は恋人の関係になった。
波那にとっては雅人が初めてつきあい、体を許した相手だったし、心から信用できるたった一人の異性でもあった。
2人が結婚したい意思をそれぞれの親に伝える時はさすがに緊張した。大変な時期を共に乗り越えたとはいえ、あんなことのあった当事者同士が縁を結ぶことに、互いの親がどんな反応を見せるのか不安でしかなかった。つきあっていることも話せずにいたので余計に。
結果、波那の母も雅人の父も快諾してくれた。波那の母、那津子は目を潤ませながら
「私たちのことであなたたちがお互いを諦めなくて良かった。」と笑った。
けれど当時は誰の告白にも頷かなかったことを、波那はよく知っている。2人の食卓で雅人から聞いていたからだ。
「『女』って意識した途端に、なんか気持ち悪くなっちゃうんだ。せっかく今まで仲良かったのにさ。実はそういう目で見てたのか…って思ったら、もうダメ。…なんか、俺っておかしい?」
「…私はそれよりおかしいかも。男子としゃべるのもあんまり好きじゃないし。別に誰も私のことそんな対象にしてないってちゃんとわかってるんだよ。なのになぁ…。」
その日その日の夕飯をつつきながら、同じような内容の会話を何度か繰り返した。
「波那ちゃん。これって、やっぱりあいつらのせいって思う?」
「…そう思うよ。なんか腹立つけど。」
「俺も。あいつだけが親でもないのにさ。父さんがいるのに、なんであいつの方が俺に影響与えてるんだろう。…そういうの、マジでむかつくんだ。」
雅人はいつからか出て行った母親のことを『あいつ』と呼ぶようになっていた。
波那も雅人も、お互いの前でだけ、自分たちがトラウマにしてしまった出来事を口にすることができていた。
あの日に裂かれた傷に瘡蓋ができるまでには何年もかかったが、それでも1人、もしくはそれぞれの母親や父親とだけの世界ではその倍以上の時間がかかっていただろうことを、当時の波那も漠然と感じていた。
姉弟のような、親友のような、同志のような。
とにかく波那にとって雅人はかけがえのない存在だった。
だから雅人が高校生になり、波那の家で夕食をとることがなくなった時は幾晩か寂しくて眠れない夜を過ごした。
さらにしばらくして街で女の子と手を繋いで歩く雅人を見た時は、裏切られたような気分になって何週間も雅人と出くわさない時間に朝の電車の時間を変えた。
波那は進路に家から通える距離の大学を選んだ。2回生の時、いくつか同じ講座をとっていた同回生の男から告白を受けた。何度か断っても納得してくれず、半分ストーカーのようになったその男が波那の家まで訪ねてきた時、雅人が隣の家から飛び出してきて男を追い払った。
その後くらいから雅人の波那に対する猛アピールが始まり、さほど時間をおかずに2人は恋人の関係になった。
波那にとっては雅人が初めてつきあい、体を許した相手だったし、心から信用できるたった一人の異性でもあった。
2人が結婚したい意思をそれぞれの親に伝える時はさすがに緊張した。大変な時期を共に乗り越えたとはいえ、あんなことのあった当事者同士が縁を結ぶことに、互いの親がどんな反応を見せるのか不安でしかなかった。つきあっていることも話せずにいたので余計に。
結果、波那の母も雅人の父も快諾してくれた。波那の母、那津子は目を潤ませながら
「私たちのことであなたたちがお互いを諦めなくて良かった。」と笑った。