海に溺れて
③ 旧友との再会
「久しぶりだな」
僕が最初に吉澤に声をかけた。久しぶりの再会だった。僕と吉澤は市内の『ハーモニー』という喫茶店にいた。店名のとおりにクラシックをかけている落ちついた雰囲気の店で、上品な絵画が壁に飾られ、バイオリンやウッドベースが立てかけられていた。ほどよい高さの木目の椅子の座り心地がよかった。
中学時代のふっくらとして、笑顔をたやさないイメージのあった吉澤も、僕とおなじ三十五歳になる。少年らしさをどこかに残してはいるが、ある程度人生を乗り越えてきた男の凛々しさと、孤独な陰をどこかに漂わせていた。白い毛も前髪にみえ、銀のフレームの眼鏡が妙に似合ってみえた。僕は寒がりなので、シャツと分厚い茶色のセーターの上から、牛皮のジャンパーを脱がないままでいた。
「情報誌の編集者をやっているんだって」
「ああ、地方誌だけど。意外とおもしろい情報がころがっているんで、取材をしていて楽しいよ。新潟県内の神社や観光地、新潟に関係するさまざまな情報が主な内容の雑誌『にいがたネットワーク』という地方情報誌なでさ。最初は広告の営業をしていたんだけどね、人事異動で編集者になってさ。そんなある日、『わが町の有名人』という企画をだしたら採用されて、新潟県内の有名人を取材した書籍を出版することになったわけさ。大学生時代の友人から、心の病に悩む人たちをカウセリングしたり、インド医療で、一般の病院でも治らなかった病気も癒しているという医院の噂を耳にしたんだ。僕はそのクリニックの話題だけで一冊の本になるのではないかと期待をしたんだ。そこでさっそく『賀茂クリニック』に電話をかけて、取材をすることにしたというわけさ。取材、受けてくれるよな」
「そうか、なるほど、よくわかったよ。取材、快く受けさせてもらうよ。でもいいなあ、明は。自分の好きな仕事ができて」
「そうでもないぜ、出版不況でいろいろと苦労をしているよ。それにくらべて、おまえの仕事のほうが十分やりがいのある仕事じゃないか」
「そうか、でもな、医学の世界だって、所詮は収益と合理的ばかりを追いかけているものさ。病院の一部では、利益重視で患者は二の次ってところもあるよ。僕はもともと音楽をやりたかったんだ。学生時代からバンドを組んで、ライブをやっているときがいちばん生き生きとしていた気がするな。まあ、よくある話だよ。おやじの病院を、息子である僕が後継ぎになってやることになったというわけさ」
吉澤の中学時代はどちらかというと控えめなタイプだった。そんな吉澤となぜか気が合って、一緒によく遊んだものだった。吉澤とは心が通いあう大切な友人だったが、別々の高校に通うようになってからは、しだいに疎遠になっていた。
「僕は罪を償うために生きているようなものさ」
僕は唐突にいった。
「それはどういう意味なんだ?」
吉澤はまばたきをしながら訊いてきた。
「僕は、息子を手術中、麻酔事故をおこして亡くしてしまったんだ」
吉澤は一瞬、顔をこわばらせ、しばらく口を閉じていたが、しばらくするとようやく僕に語りかけてきた。
「賀茂。僕は仕事柄、話題の本を紹介する記事も書く。医学界の問題点を提起し、話題になった著作本も、数多く読んでいるよ。話してみろよ。そのほうが楽になるぜ。僕の姉も医療ミスで亡くなって、裁判にもなったから、ある程度のことはわかっているよ。もちろんその話は記事にはしないさ」
「わかったよ。そうだな、僕は自分の息子の手術をして、ささいなミスで亡くしてしまい、妻は家をでて行ってしまった。医師だって人間だ。ミスだってする。だけど、ミスを誘因する環境にも問題があるんだ」
「わかっているよ。僕も病院の問題点を暴露した本は何冊か読んだから。一部の病院では、なんでもかんでも手術で切除したがるんだってね。抗ガン剤だって種類によってはただ副作用で苦しむだけだって書いてあったよ。手術死や誤診もけっこう多いらしい。手術をしなければ病気が治らなくても長生きできるケースもあるらしいし、末期ガンの患者に対しては、試験薬を投与することもあるんだろう」
「そこまで知っているならあらためて説明することもないな。だけど僕には医学界を摘発する気はないよ」
「それは恩義からか?」
「わからない。明のいう恩義からなのか、なんなのか本当によくわからないよ。だけど、医学の進歩のために医師が患者をモルモット扱いしているはずがない。ほとんどの医師は忙しく過酷な環境のなか、誰でも患者を治すことに精一杯がんばっているものだよ。それでもときとしてミスもする。たしかに断じてミスを犯してはいけないさ。もしも自分の家族がおなじ立場であればと思えばなおさらだ。だけど、病院側のミスだからといって、いつも裁判沙汰になるなら、医師は誰もみることができなくなる。だから産婦人科や小児科の医師が減っているんだ。僕たち医師は、神様じゃないんだからな」
「だけど、償いのために生きているってどういうことなんだ?」
「うん、それはな、自分の息子も、いままで担当した患者も、病気さえ癒されていればもっと有意義な人生を送れたと思うと辛くなる。だから、もっと違った視点で病気を癒す方法を捜しているんだ」
僕は、しばらく床のほうをぼんやりとみていたが、吉澤の目をみて、
「おまえは医学の原点はなんだと思う?」
そう訊いた。
吉澤ががおし黙っているので、僕は勝手に話しはじめた。「今の現代医学では、病気を悪だととらえている。だから闘病なんて言葉ができたんだな。だけど、病とは戦わなくていいんだ。そう、病には感謝したほうがいいんだよ。」
「病に感謝する? わからないな」
「医学の原点は病を打ち倒すことじゃない。患者の心と体を癒すことだよ」
「それっておなじ意味なんじゃないか?」
「まったく違うことだよ。僕はな、手術をしなくても病を癒す方法はいくらでもあるはずなのに、なんでもかんでも手術してしまう医療機関に疑問をもっているんだよ。つまり、手術や放射線治療、抗ガン剤なんかは病を打ち倒す手段といえるだろう。だけど、人には自己治癒能力がある。僕は、バランスを崩した体を調整させる治療で十分じゃないかと思っているんだ。そのためには、人の心を癒す必要性があるんだよ」
「賀茂、おまえ、なにか変だぞ」
「いや、なんか勘違いしているみたいだな。いわゆる精神性の話だよ。たとえば、イエスキリスト曰く、敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。というみたいな話さ。もちろん医学は信頼しているよ。細菌やウィルス性の病気。ケガなどは病院に行くのがいちばんだと思うよ。手術でも目の角膜移植などは患者にとっては福音だと思う。ただ、俺の話しているのは、病は体からのメッセージだからそのメッセージを愛をもって受けとめればよいということなのさ」
僕はなんとなく笑いたくなってきた。
「賀茂。尋ねにくいことだけど、僕はどうしても医療ミスの話が聞きたくなってきたよ」
「わかってるよ。僕も誰かにすべてを伝えておきたかったんだ。いつか僕が死んだらすべてを公表してもかまわない。だから、明日クリニックの方にもう一度きてくれないか? それまでに詳しく書いていておくから」
「久しぶりだな」
僕が最初に吉澤に声をかけた。久しぶりの再会だった。僕と吉澤は市内の『ハーモニー』という喫茶店にいた。店名のとおりにクラシックをかけている落ちついた雰囲気の店で、上品な絵画が壁に飾られ、バイオリンやウッドベースが立てかけられていた。ほどよい高さの木目の椅子の座り心地がよかった。
中学時代のふっくらとして、笑顔をたやさないイメージのあった吉澤も、僕とおなじ三十五歳になる。少年らしさをどこかに残してはいるが、ある程度人生を乗り越えてきた男の凛々しさと、孤独な陰をどこかに漂わせていた。白い毛も前髪にみえ、銀のフレームの眼鏡が妙に似合ってみえた。僕は寒がりなので、シャツと分厚い茶色のセーターの上から、牛皮のジャンパーを脱がないままでいた。
「情報誌の編集者をやっているんだって」
「ああ、地方誌だけど。意外とおもしろい情報がころがっているんで、取材をしていて楽しいよ。新潟県内の神社や観光地、新潟に関係するさまざまな情報が主な内容の雑誌『にいがたネットワーク』という地方情報誌なでさ。最初は広告の営業をしていたんだけどね、人事異動で編集者になってさ。そんなある日、『わが町の有名人』という企画をだしたら採用されて、新潟県内の有名人を取材した書籍を出版することになったわけさ。大学生時代の友人から、心の病に悩む人たちをカウセリングしたり、インド医療で、一般の病院でも治らなかった病気も癒しているという医院の噂を耳にしたんだ。僕はそのクリニックの話題だけで一冊の本になるのではないかと期待をしたんだ。そこでさっそく『賀茂クリニック』に電話をかけて、取材をすることにしたというわけさ。取材、受けてくれるよな」
「そうか、なるほど、よくわかったよ。取材、快く受けさせてもらうよ。でもいいなあ、明は。自分の好きな仕事ができて」
「そうでもないぜ、出版不況でいろいろと苦労をしているよ。それにくらべて、おまえの仕事のほうが十分やりがいのある仕事じゃないか」
「そうか、でもな、医学の世界だって、所詮は収益と合理的ばかりを追いかけているものさ。病院の一部では、利益重視で患者は二の次ってところもあるよ。僕はもともと音楽をやりたかったんだ。学生時代からバンドを組んで、ライブをやっているときがいちばん生き生きとしていた気がするな。まあ、よくある話だよ。おやじの病院を、息子である僕が後継ぎになってやることになったというわけさ」
吉澤の中学時代はどちらかというと控えめなタイプだった。そんな吉澤となぜか気が合って、一緒によく遊んだものだった。吉澤とは心が通いあう大切な友人だったが、別々の高校に通うようになってからは、しだいに疎遠になっていた。
「僕は罪を償うために生きているようなものさ」
僕は唐突にいった。
「それはどういう意味なんだ?」
吉澤はまばたきをしながら訊いてきた。
「僕は、息子を手術中、麻酔事故をおこして亡くしてしまったんだ」
吉澤は一瞬、顔をこわばらせ、しばらく口を閉じていたが、しばらくするとようやく僕に語りかけてきた。
「賀茂。僕は仕事柄、話題の本を紹介する記事も書く。医学界の問題点を提起し、話題になった著作本も、数多く読んでいるよ。話してみろよ。そのほうが楽になるぜ。僕の姉も医療ミスで亡くなって、裁判にもなったから、ある程度のことはわかっているよ。もちろんその話は記事にはしないさ」
「わかったよ。そうだな、僕は自分の息子の手術をして、ささいなミスで亡くしてしまい、妻は家をでて行ってしまった。医師だって人間だ。ミスだってする。だけど、ミスを誘因する環境にも問題があるんだ」
「わかっているよ。僕も病院の問題点を暴露した本は何冊か読んだから。一部の病院では、なんでもかんでも手術で切除したがるんだってね。抗ガン剤だって種類によってはただ副作用で苦しむだけだって書いてあったよ。手術死や誤診もけっこう多いらしい。手術をしなければ病気が治らなくても長生きできるケースもあるらしいし、末期ガンの患者に対しては、試験薬を投与することもあるんだろう」
「そこまで知っているならあらためて説明することもないな。だけど僕には医学界を摘発する気はないよ」
「それは恩義からか?」
「わからない。明のいう恩義からなのか、なんなのか本当によくわからないよ。だけど、医学の進歩のために医師が患者をモルモット扱いしているはずがない。ほとんどの医師は忙しく過酷な環境のなか、誰でも患者を治すことに精一杯がんばっているものだよ。それでもときとしてミスもする。たしかに断じてミスを犯してはいけないさ。もしも自分の家族がおなじ立場であればと思えばなおさらだ。だけど、病院側のミスだからといって、いつも裁判沙汰になるなら、医師は誰もみることができなくなる。だから産婦人科や小児科の医師が減っているんだ。僕たち医師は、神様じゃないんだからな」
「だけど、償いのために生きているってどういうことなんだ?」
「うん、それはな、自分の息子も、いままで担当した患者も、病気さえ癒されていればもっと有意義な人生を送れたと思うと辛くなる。だから、もっと違った視点で病気を癒す方法を捜しているんだ」
僕は、しばらく床のほうをぼんやりとみていたが、吉澤の目をみて、
「おまえは医学の原点はなんだと思う?」
そう訊いた。
吉澤ががおし黙っているので、僕は勝手に話しはじめた。「今の現代医学では、病気を悪だととらえている。だから闘病なんて言葉ができたんだな。だけど、病とは戦わなくていいんだ。そう、病には感謝したほうがいいんだよ。」
「病に感謝する? わからないな」
「医学の原点は病を打ち倒すことじゃない。患者の心と体を癒すことだよ」
「それっておなじ意味なんじゃないか?」
「まったく違うことだよ。僕はな、手術をしなくても病を癒す方法はいくらでもあるはずなのに、なんでもかんでも手術してしまう医療機関に疑問をもっているんだよ。つまり、手術や放射線治療、抗ガン剤なんかは病を打ち倒す手段といえるだろう。だけど、人には自己治癒能力がある。僕は、バランスを崩した体を調整させる治療で十分じゃないかと思っているんだ。そのためには、人の心を癒す必要性があるんだよ」
「賀茂、おまえ、なにか変だぞ」
「いや、なんか勘違いしているみたいだな。いわゆる精神性の話だよ。たとえば、イエスキリスト曰く、敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。というみたいな話さ。もちろん医学は信頼しているよ。細菌やウィルス性の病気。ケガなどは病院に行くのがいちばんだと思うよ。手術でも目の角膜移植などは患者にとっては福音だと思う。ただ、俺の話しているのは、病は体からのメッセージだからそのメッセージを愛をもって受けとめればよいということなのさ」
僕はなんとなく笑いたくなってきた。
「賀茂。尋ねにくいことだけど、僕はどうしても医療ミスの話が聞きたくなってきたよ」
「わかってるよ。僕も誰かにすべてを伝えておきたかったんだ。いつか僕が死んだらすべてを公表してもかまわない。だから、明日クリニックの方にもう一度きてくれないか? それまでに詳しく書いていておくから」