海に溺れて
⑤ 賀茂クリニック


 賀茂クリニックは、大通りからかなり離れた路地に、ひっそりと建っている。みためには普通の医院とかわらない。駐車場は十台くらいしか停められない敷地で、自転車置き場もあった。今年は大雪の日が続いているので、駐車場が狭くなっていた。朝にでも吉澤に息子の手術の経過を書いたものを手渡したいと思っていたのだが、朝方はやく、急患の患者から電話が入り、急きょ患者の家に行くことになってしまった。僕は吉澤に、急患の患者のところに行くから看護師のカナさんに昨日話していた内容を書いたものを預けていると、吉澤にメールを送った。

 患者を治療し、クリニックに帰ってくるとカナさんが、

「先生。吉澤さんが来て、レポートを持っていきましたよ」

 と、声をかけてきた。

「先生の同級生だったんですってね。なにか楽しい人ですね」

 カナさんの頬が心なしか赤みを増しているようにみえた。彼女も二十三歳になるから、恋人のひとりもほしいだろう。このクリニックは僕とカナさんだけだし、年配の患者さんが多いから、出会いの場にはならないだろう。彼女は黒く長い髪で、ふくよかな体つきをしていた。笑顔のすてきな和風美人で、思いやりのある女性だと思ってきた。僕は吉澤とカナさんのキューピッド役をつとめようかと思った。そんなことを思っていると、

「先生、吉澤さんが、時間があるときに電話をくださいっていっていましたよ」

 と、話しかけてきた。

 僕は患者さん用の待合室に行き、吉澤の携帯にかけた。吉澤はすぐにでた。

「よぉ、あれ、読んだよ」

 吉澤は昔からあいさつ抜きで本題に入る男だった。

「うん。なんとか書いてみたよ」

「賀茂には辛く忘れられない出来事だったんだよな。嫌なこと思いださせて悪かったな。医療ミスをした話はそう簡単に口にできるものではないからな」

「いや、誰かにほんとうの気持ちを伝えたかったから、いい機会だったさ」

「理解されにくいことだものな。いちばん理解してほしかったはずの奥さんはすでに賀茂の気持ちもわからずに出ていってしまったしな。感情を極力抑えようとした文章が、かえって賀茂の苦しみを感じさせたよ。それはともかく、最初にお願いしたとおり、明日からしばらく治療のようすを取材させてもらうよ」

「わかった。カナさんも吉澤に会いたいみたいだしな」

「ほんとうかよ。いつもよりおしゃれしていかないとな」

 受話器から吉澤の笑い声が聞こえてきた。

   
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