指輪を外したら、さようなら。
「亘とは過去に確執があり、自分が有川に気があるのを知られ、有川を怒らせるような暴言を吐き、今回の騒動に至った――って感じで話したらしい。ついでにそれを大河内観光側にも伝え、大河内観光側からうちの社長に、亘の不祥事を公にしたくないから、有川を処分しないで欲しいって連絡があった。恐らく、相川が勇氏に頼み込んだんだろう。勇氏は録音を公表したくなかったし、相川は有川を処分させたくなかった。んで、うちの社長は大河内観光に貸しを作っておけば後々の為になると踏んだ。つーわけで、お前は無罪放免だ」
「なん――っだよ、それ! そんなことしたら、千尋は会社にいられなく――」
だから、長谷部課長が来たのか――!
「餞別代りに……部下の使いっ走りですか」
「上司を顎で使うなんざ、大した女だよ」
「部下に手ぇ出しておいて、よく――」
焦り、怒り、自己嫌悪、嫉妬。
とにかく色んな感情が一気に湧き上がり、その結果、一番大きな『嫉妬』という感情が主導権を握ってしまった。
俺を助けるためとはいえ、千尋が長谷部課長を頼ったことが、何よりムカつく。
「――部下も同僚も大差ないだろ。お前だってその指輪をはめたまま相川を抱いたんだろ」
「――っ!」
痛いところを突かれ、俺は唇を噛んだ。
「高校の時に亘に犯されかけた相川は、自分はひどく汚れた存在だと思うようになったらしい。結果的には違ったが、当時は血の繋がった弟に犯られかけたなんて、相当にショックだったろうからな。それが原因で、自分は恋愛や結婚はしないと決めたらしい。その上、酔った弾みのワンナイトの相手が離婚で悩んでいて、別れ際に相川に礼を言ったんだと。で! 今の相川の完成だ。弱った男を見ると慰めたくなって、それを感謝されることで自分の存在意義を確かめる。既婚者ばかり相手にするのは、愛人だと思っていた母親への反抗心なのか、愛人の娘である自分への自己憐憫なのかはわからないが」
長谷部課長はコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「とにかく! 相川はお前の処分撤回に成功し、今回の騒動の発端は自分にあると退職願を出した。本日付で受理されたよ」
「なんでっ! なんでそんなこと――」
「――お前の為だろ」
冷ややかな目つきで見下ろされ、俺は言葉を失った。
「全部、お前の為だろ。たとえ、秘密裏に解決しても、一度謹慎となったお前が処分なしとなれば憶測が飛ぶ。間違いなく、お前の出世に響く。だから、相川は置き土産に、『自分が有川主任に言い寄ったことを誤解したクライアントの発言に、主任が怒った』って筋書きを拡散していったよ。これで、お前は加害者じゃなく被害者に成り代わったわけだ。社内では、お前に同情する声が多数だ。代わりに、相川への非難の声も。遅かれ早かれ、退職は免れなかったろう」
「そんな……」
自業自得。
全ては、俺の忍耐力なさが招いたこと。
亘を殴って気が済んだかと言えば、そうでもない。良かったのは、もう千尋が亘と顔を合わせる必要がなくなったことだろうか。同時に、俺とも顔を合わせられなくなったが。
大河内観光内では、俺に感謝する人間もいるだろうが、全く、これっぽっちも喜べない。
「千尋は……どこにいるんですか」
「さあな」
「は?」
「俺は、餞別代りに遣いを頼まれただけだ」
そう言うと、課長はジャケットの内ポケットから封筒を取り出し、俺の前でそれを放った。ひらひらとテーブルに着地する。