指輪を外したら、さようなら。
「事の顛末を説明しこれを渡して欲しい、って」

「これは?」

「知らねーよ。とにかく、用は済んだ」

 課長は苛立った声色でそう言い捨てると、玄関に向かった。

「課長!」

 俺は封筒をその場に残し、立ち上がる。

「有川。俺は、お前にはもちろん、相川にもムカついてんだ。過去に、あいつに救われたのは事実だ。感謝はしている。けどな、同時に後悔もした。なのに、あいつは澄ました顔で『悪いのは私』とか言いやがった。そうやって、あいつは悪女を演じる自分に酔ってる。自分から幸せを放棄しておきながら、悲劇のヒロインぶってるだけだ。今回のことだって、そうだ。他にも手はあったはずなのに、誰にも相談せずに一人で亘のところに乗り込んで行って、一人で役員室に乗り込んで行った。お前じゃなくたって、『俺はそんなに頼りないか』って怒りたくなる。事を大きくしたお前は自業自得だがな、これでも俺は仕事においては相川に信頼されている上司だと思ってた。俺の勝手な思い込みだったみたいだがな!」

 息も絶え絶えに、長谷部課長は一気に捲し立てた。肩を上下させ、浅く短く酸素を肺に取り込む。

 会社での課長は、上司というよりは面倒見のいい先輩で、頭ごなしに指示を出すのではなく、部下のやりたいようにさせて、さり気にフォローやアドバイスをくれる。失敗に声を荒げることもないから、部下には慕われている。

 その課長がここまで鼻息を荒くして感情的になるのを、初めて見た。

 余程、腹を立てているらしい。

 俺と、千尋に。

「有川」

 ようやく呼吸を整えて、課長が静かに言った。いつもの、冷静な声色。

「はい」

「やり方はともかく、相川の気持ちを無駄にするなよ」

 長谷部課長の、刺すような視線に一瞬、唇を噛む。

 上司としてではない。

 男としての台詞。

 俺は、右手で左手の薬指を握った。

「……はい!」

 長谷部課長は無表情のまま、背を向けた。

「明日は一時間早く出社するように。部長とお前んとこの課長からの伝言だ」

「わかりました」

 玄関のドアが閉まりきるより先に、俺は千尋からの封筒を開けていた。

 中には、三つ折りのA4用紙が二枚。重なった二枚を一緒に開くと、一枚目の上部に太字で書かれた言葉が目に入った。



 念書……?



 内容を読み進めて、愕然とする。



 千尋、ここまで――!



 二枚目には、手書きの一行。

『一千万入ったら、独立しなよ』

 ぶっきら棒で可愛げのない、別れの言葉。

「道連れは嫌だって、言ってたもんな……」

 はぁ、っとため息をつきながら、低い天井を見上げる。

 それから、見慣れた、愛おしい女の文字に口づけた。

「道連れ、上等だ――!」
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