指輪を外したら、さようなら。

「――お前の不貞行為の証拠と、ホストに貢いだおおよその額は把握している。それを持って、お前の両親のところに行く。それでも、離婚しないと言い続けられるか?」

「修っ!」

 東山と忍が言い合っている間に、美幸は記入を終え、判を押した。

 俺はサッと届を封筒にしまう。それを鞄に入れ、代わりに緑色の通帳と印鑑を取り出し、美幸に差し出した。

「一千万、入っている」

「一千万?」

「ああ。離婚後、俺と千尋が接触したら一千万、だろう?」

 実家に帰り、事情を説明し、両親に頭を下げた。

『美幸と別れて好きな女と一緒になりたいから、貸して欲しい』と。『必ず、返すから』と。

 貸してくれたのは、話を聞いていた祖母ちゃんだった。

『可愛い孫の幸せのため』だと言って。

 八十二歳の祖母の微笑みに情けなさが込み上げてきたが、千尋を取り戻すためには背に腹は代えられなかった。

「これで、終わりだ――」

 俺は左手の薬指から指輪を抜くと、通帳の上に置いた。

「彼女は……、あなたとの関係はあなたの離婚が成立するまで、って言ってたけど?」

「そんなようなこと、言ってたな」

 たった数十グラムの指輪だが、外した途端に身体が軽くなったように感じた。

 別居当初はけじめのつもりで外さずにいた指輪だったが、千尋との関係が始まってからは、千尋を繋ぎ止めておくためだけにはめていた。

 だが、もう必要ない。



 たとえ指輪を外しても、千尋を手放したりはしない――!



「一千万は彼女から支払ってもらうはずだけど?」

「俺が払っても同じだろ。結婚したら財布は一つだ」

「私とは別々だったじゃない」

 そうだ。

 共働きだった俺と美幸の財布は別で、互いの給料の一部が共有の通帳に振り込まれるように手配して、そこから住宅ローンや光熱費が引き落とされるようにしていた。

 二人で話し合った結果だったが、俺は最初から給料の全額を美幸に託す気にはなれなかった。

 独身気分が抜けていなかったのもあるが、美幸とは互いに対等で、依存するのも、依存されるのも嫌だった。だから、金銭面でも、自分が稼いだ金を小遣いとして妻から『もらう』のは嫌だった。

 だが、千尋に対してそんな風に思ったことはない。



 むしろ――。



「俺、千尋の尻に敷かれたいんだよ」

「は?」

 美幸が心底呆れたような、いや、嫌悪するような眼差しを向けた。

『今月、ちょっと小遣い足んなくてー』って俺が手を擦り合わせながら千尋に言って、千尋が『またぁ? 先月もじゃない!』って口を尖らせる。そんなやり取りを想像するだけで、顔がニヤケる。

「気持ち悪い」

 美幸はそう言い捨てると、通帳と印鑑を俺の前に滑らせた。指輪だけ、手に取って。
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