指輪を外したら、さようなら。

「ご飯、何?」

「ああ。俺ん家の近くのおむすび屋の弁当」

 千尋の最寄り駅の前には手作り弁当の店とパン屋、コンビニが並んでいて、スーパーは駅の反対側にある。

 俺が千尋を訪ねる時、決まって弁当かパンを買っていた。けれど、食べ慣れている千尋はそれを嫌がり、俺は自分の最寄り駅の近くにある弁当屋で買うようになった。

『おむすび屋』という名前の通り、十何種類の手作りおむすびの店で、総菜も売っている。千尋はそこの、ハラスのおむすびが好きだ。

 千尋は俺の手から袋を受け取ると、中を覗き込んだ。目当ての包みを取り出す。

 散らかったテーブルを片付けることはせずに、俺たちは床に座って、おむすびを食べた。なぜか、背中合わせだった。

「うまいか?」

「うん」

 ソファの上に広げられている図面に目を向けた。それから、床のカタログ。照明やカーテン、建具、壁紙。

「これ、北嶋(きたじま)邸の内装案か?」

「うん」

 北嶋邸は二世帯住宅。

 一階に夫の両親、二階に新婚夫婦が暮らす。

 一階は夫婦の寝室と、だだっ広いリビングダイニングだけで、かなりシンプル。ご夫婦は仲が良く、起きている時は同じ空間で過ごすから、本棚やご主人の机もリビングに置くのだという。

 ところが、二階の新婚夫婦は、ログハウスのような家にしたいと言う。リビングとダイニングの間に木の丸い柱が欲しいとか、バーベキューが出来るテラスが欲しいとか。

 一先ず、要望を聞いて、俺が設計した。最初は金城(かねしろ)を担当にしたのだが、泣きつかれた。

 その設計書を千尋に渡したのが一昨日の事。

「先方の希望とはいえ、俺は正直気に入らない」

「わかってる。てか、設計以前に無理があるのよ」

「例えば?」

「階段。嫁はリビングダイニングの柱を中心に木の螺旋がいいって言いだしたの」

「はぁ? そんなこと聞いてねーぞ」

「昨日言われたんだもの」

 ソファの上の図面では、階段は玄関から見て右手、壁際に直線階段。玄関共有の上下分離タイプは玄関と階段を壁際に持って行くか、中央だとしたら左右に部屋を設けて独立させることが多い。

 互いのプライバシーを守るためだ。

 だが、嫁の言う螺旋階段を作るとなると、一階の和の雰囲気が壊される。しかも、現在の図面では、二階のリビングダイニングはフロアの中央に位置する。そのまま螺旋階段を作ると、一階のリビングに突き抜けてしまう。

 設計の段階で、平然と無理難題を言う嫁に対して、俺も千尋も、不可能なものは不可能だと告げた。

 耐震の問題からしても、ギリギリ。

「直進階段の下を収納にするってのはどうしたんだよ」

「ご両親はこの設計に満足頂いているのよ」

「嫁の螺旋案は知らないのか?」

「そうみたい」

「いやいや……」

 面倒な客はいるが、ここまで訳の分からないのは珍しい。
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