三羽雀
 眉間に皺を寄せて義父の話を聴く志津の目には薄らと涙が浮かんでいる。彼女は主人(あるじ)の目をまっすぐに見て告げた。
 「危険でも……私の手で救える命が有るかもしれないんです。私は何を言われようと残ります」
 主人は彼女の真剣な目にとうとう疎開を無理強いすることは出来ず、高辻家はアキと寛子に律子と健司の四人を相馬の親戚の家に預け、東京には主人(あるじ)と二人の息子、そして志津とその父の五人暮らしとなった。
 志津は五人分の食事を作り、掃除や洗濯は主人と志津の父が協力して済ませている。
 女の減った家庭でなんとかその遣り繰りに慣れてきた梅雨の季節の近づく深夜、この日は想像を絶する数の敵機が大群を成す鳥のように東京の上空に現れた。
 帝都空襲の総仕上げと満を持して飛来した敵機からは、予想だにしないほどの焼夷弾が落とされた。
 先月にも同じような空襲があったが、今宵ばかりは牛込もかなりの部分が焼けて、家から数十メートル先まで火の手が迫った。
 似たような攻撃でも先月はまた運良く高辻家や病院の辺りは火災が起きず、その時は新宿まで手当に向かったのだが、今回ばかりは自分達の身を守るのに必死である。
 防空壕の中で爆弾の落ちてくる音、爆発の音と振動、それに敵機と炸裂の爆音、火の熱気を感じながら、地上はどうなっているのだろうかと誰もが気を揉んでいた。
 爆撃が収まったと思われ防空壕を出たときにはもう手に届きそうなほどの距離にまで延焼していて、真っ先に地上に出て様子を確認した康弘は呆然(ぼうぜん)としていたが、
 「逃げるぞ」
 主人の一声で、五人は家を差し置いて少し離れたところの丘を目指して歩き始めた。
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