天敵御曹司は政略妻を滾る本能で愛し貫く
 一切具体性のない指示に質問をしたくなったが、すでに百合絵さんたちは世間話に花を咲かせている。
 仕方ない。私が思う常識の範囲で、掃除を行おう。
 そして、今日の家事を終えたら、本業である和裁士の仕事に取り掛からなくては。
 廊下を歩いていると、立派なお庭が見えて、私は思わず立ち止まった。
 初夏の太陽光を思い切り浴びている草木が、鮮やかな緑の景色を生み出している。
 どこかから聞こえてくる風鈴の音が涼し気で、思わず聞き惚れていると、すっと真横にあった障子が開いた。
「あ……、おはようございます」
 思い切り寝起きの優弦さんに、反射的に挨拶をした。
 彼もかなり油断していたようで、私と目が合うなり思い切り目を見開いている。
 白に近い水色の浴衣姿の彼は、前髪を完全におろしているせいか、昨日会ったときより少し幼く感じる。
「おはよう。昨日はよく眠れましたか」
「はい……」
 眠れるわけがない。
 私は昨日、不安と緊張で感情がぐちゃぐちゃになり、結局一睡もできなかった。
 目の下にくまでもできていたのだろうか。
 優弦さんは私の顔をじっと見てから、「女中の仕事はほどほどに」とどこか申し訳なさそうにつぶやいた。
 本当は私のことなどどうでもいいと思っているだろうに……。
 ひねくれた感情を抱いていると、私はふと重要なことに気づく。
「そういえば、優弦さんと目を合わせても、今は動悸はしませんが……」
 もしかして、やはり昨日の現象はほかの理由だったのでは、と淡い期待を抱く。
 しかし、優弦さんは全く表情を変えないまま「あの反応は、初めて目を合わせた瞬間最も強く出るんです」とサラッと言ってのけた。
 一瞬で期待を打ち砕かれ、分かりやすく失望する。
「もうひとつ、過剰な反応が出てしまう行動があるので、気を付けて」
「え……」
「肌が触れ合うと、無条件で発情してしまうことがあるから……」
 発情というワードを聞いて、カッと顔に熱が集まっていくのを感じた。
 そんな破廉恥な言葉を朝から聞くことも耐え難く、私は思わず耳を塞ぎたくなる。
 でも、彼は至って真面目な顔をしているので、本当のことなのだろう。
 憎い相手に発情だなんて……たとえ不可抗力だとしても絶対にしたくない。
「そうでしたか。では、あなたに触れないよう気を付けます」
< 12 / 122 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop