忘れさせ屋のドロップス
「私のことなんて、どうでもクセに!私は今の家がいいの!優しくしてくれるの、大事にしてくれるの。ひとりぼっちのあの家になんか帰らない!」
こんなに母親に言いたいことを言ったのは初めてかもしれない。
涙はもう溢れてるのかどうかもわからないけれど、視界はぼやけたままだ。
あの人がどんな顔をしてるのかわからない。わかりたくもなかった。もう限界だった。
「……お母さんなんて、もうウンザリなの!どっか行ってよ!」
「有桜!」
乾いた音が一つ鳴って、口内から血液の味が広がっていく。思わず身体が震えた。
人差し指で触れたら、真っ赤な鮮血が指先の腹を染めていた。
「あ、……有桜」
珍しく、あの人の声が少しだけ驚いたような声に聞こえた。
顔はわからない。コワくて、見れなかった。
左頬の痛みがじんと広がってきて、身体中が小刻み震え出す。
あの人に締められた手首が、僅かに緩んだのを捻るようにして振り払った。
私は走り出していた。
「有桜!待ちなさい!」
息が続く限り走った。できるだけ遠くへ。あの人にもう二度と見つからないように。
ーーーーあの時と同じように。あてもなくただ、ひとりぼっちで。
あの人から、あの家から、全部から逃げ出した。限界だったの。心が苦しくて、息ができなくて。もう私は知ってしまったから。
ひとりぼっちじゃないよって、側にいて、大切にしてくれる温もりを忘れることができないから。