冷徹御曹司は過保護な独占欲で、ママと愛娘を甘やかす
しかし再発後、徐々に衰えていく体力や、快癒の目途の立たない治療につらそうな表情を見せることが増えた。
俺にできることは何かと考えた。家の仕事はハウスキーパーと協力してこなし、父の会社のパーティーなどは息子として参加した。母の代わりを務めたかった。

『豊、ごめんなさいね。あなたにどれほど負担をかけているか』

母が悲しそうに言うのが苦しかった。あれほど笑顔だった母は、俺が頑張れば頑張るほどつらそうな顔になる。どうすれば俺は母の心を楽にしてやれるんだろう。

『俺は別に。気にしないで』

気の利かない俺は、その程度しか母に声をかけてやれなかった。母はきっと充分わかってくれてはいただろうが、いまだにあの頃もっと母に優しい言葉をかければよかったと思う。

大学に進学すると、母の病状は悪くなった。入退院を繰り返すようになり、退院していても夜に主治医のもとに駆け込むこともあったし、複合的な症状で夜間外来に連れていかなければならないこともあった。俺は車の免許を早々に取り、大学に行っている時間以外はほとんど家で待機した。母の病状に対応するためだ。

やがて母は退院できなくなった。病状の進行は止められず、俺と父に看取られ亡くなった。俺は大学二年だった。
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