わけあり家令の恋
「あ、でも」

 私は急いで顔を上げ、かぶりを振った。

「お気持ちだけで充分です。銀座はよく知りませんし、どこへ行けばいいかもわかりませんもの」

 小さいころには、私も両親と連れだって、よく外出した。

 しかしずいぶん前からそんな余裕はなくなっていたのだ。銀座に足を運んだところで、行く当てなどない。

「ですが、旦那様にはくれぐれもお礼を――」
「お待ちください、奥様」

 ふいに杉崎が柔らかく遮った。

「もしよろしければ……私がご一緒させていただいて、銀座をご案内いたしましょう。あまり気が利いたところは存じませんが」
「えっ?」

 意外過ぎる申し出に、私は目を見開いた。
 ひどく驚いたせいもあるけれど、その瞬間、なぜだか心臓が大きく跳ねたのだ。

「で、ですけど、杉崎さんはお忙しいでしょう?」
「いえ。『加瀬商会』は京橋ですから、まったく問題ございません」
「本当によろしいのですか?」
「はい、お任せください。では、何時ごろお迎えに上がればよろしいですか?」
「わたくしは……何時でも」

 結局、杉崎の提案で昼食後に出かけることになったが、いったいどういうわけなのか私の胸はそれからずっと高鳴り続けていた。
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