あのっ、とりあえず服着ませんか!?〜私と部長のはずかしいヒミツ〜
43.利用
 さすがにこの状況は想定外だったのだろう。

 社員のほとんどがわらわらとひしめき合う四階フロアの廊下を見回しながら、仕立てのよいスーツを着た五十代にいくかいかないかといった風情(ふぜい)の男が、岳斗の方へ近づいてくる。

 その男が歩を進めるたび、まるでモーゼ現象で海がパックリ割れて道が出来るかのように、人波が左右へ分かれて彼を通した。

 それで難なく岳斗(がくと)杏子(あんず)の元へとたどり着いたその男は、岳斗を真正面からひたと見つめてくる。

 岳斗は自分より年配の――しかも地位がありそうな男を前にしても微塵も(ひる)む様子なんてなくて……そればかりか
近衛(このえ)社長、ご無沙汰しております」
 まるで対等か、もしかしたらそれ以上の立場ででもあるかのように不適に笑い掛けて手を差し出すのだ。

 皆が注目する中、〝近衛社長〟と呼ばれた男が、(うやうや)しく岳斗の手を握り返した。

 近衛社長は岳斗の後ろで小さくなっている杏子へ視線を移すと、
「えっと……そちらはうちの経理課の?」
「はい、美住(みすみ)杏子(あんず)さんです」
 などといきなり名指しにしてくるから、杏子はどこか緊張した面持ちながらも丁寧に会釈をせざるを得なくなる。

「《《岳斗お坊ちゃん》》、今日は花京院様(お父さま)(めい)でうちの社員らを集めていらっしゃるのでしょうか?」

 普段はその名を冠した男の息子だということを微塵も認めたくない岳斗だったけれど、今回《《だけ》》は否定せずに利用させてもらおうと心に決めた。
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