あのっ、とりあえず服着ませんか!?〜私と部長のはずかしいヒミツ〜
47.采配
 土井(どい)恵介(けいすけ)は社長室で小さな封筒を前に本日何度目になるか分からない溜め息を落とした。

 表面に【退職願】と書かれたその封筒は、裏返すと〝倍相(ばいしょう)岳斗(がくと)〟と書かれている。
 実はその封書を(おい)っ子の屋久蓑(やくみの)大葉(たいよう)に自宅で手渡されてからこちら、その封は未開封のままだ。

 恵介は先日ふと思い立って、美住(みすみ)杏子(あんず)の父親・美住(みすみ)大地(だいち)に連絡を取った。
 見合いに関する件でのお嬢さんへの非礼を謝罪したうえで杏子(むすめさん)に再度コンタクトを取ってもいいかどうか打診したのだが、最初は渋っていた大地も、恵介の話を聞くうちに懐柔されてきて、最終的には「お願いします」と言ってくれるようになっていた。

 これでいつでも杏子に連絡が取れる。
(だけどまずは――)
 杏子へ打診する前に、呼び出さねばならない相手がいる。

 恵介は花菱(はなびし)マークが表示されたパソコンの画面を見て、もう一度吐息を落とした。


***


 法忍(ほうにん)仁子(じんこ)荒木(あらき)羽理(うり)を一人ずつ呼び出して、自分に退職の意向があることを伝えたのはついさっきのことだ。

 社長室からの呼び出しが彼の秘書を通してあった時、岳斗(がくと)はいよいよだな、と思った。

 離席の際、一応部下の仁子と羽理に断りを入れて、ついでに部長室にいる屋久蓑(やくみの)大葉(たいよう)にもしばらく席を空けることを告げようとしたのだけれど――。
「ちょっと待て、岳斗。俺も一緒に行く」
 どうやら大葉(たいよう)も自分同様社長室に呼ばれたとかで、一緒に行こうと声を掛けられる。
大葉(たいよう)さんも?)
 退職願を預けたのが大葉(たいよう)だったからだろうか。
 そんなことを思いながら、部長室から大葉(たいよう)と連れ立って出てきたら、すぐさま荒木羽理と目が合った。
 岳斗の方のみならず、大葉(こいびと)へも心配そうな眼差しを向けている彼女の視線を見て、岳斗はふと――それこそ何となく――、所在なげに自分の顔を見上げてきた杏子のことを思い出した。
(僕も早く杏子ちゃんと職場で会えるようになりたいな)
 杏子には、岳斗がコノエ産業(あちら)へ移るまでは、大事を取って有給休暇で休むように伝えてあるけれど、それでも放っておけなくて、仕事後には毎日杏子の家を訪ねるようにしている岳斗だ。
 毎日一緒に夕飯を食べるのを離れている間の約束にしてあったのだが、それでも杏子は日がな一日家にいて不安なんだろう。
 あの一件以来、休むことを余儀なくされている会社のことをしきりに気にしていた。
(きっとそれもあと数日で終わりかな)
 やっと杏子に、〝いつから〟コノエ産業に移れるかなど、具体的な話が出来そうだ。
 そんなことを思いながら、岳斗は大葉(たいよう)とともに社長室を目指した。


***


 岳斗(がくと)大葉(たいよう)と連れ立って社長室へ入るなり、社長の土井恵介が秘書に目配せをして、「悪いけど財務経理課の荒木(あらき)羽理(うり)さんも呼んでくれるかな?」と指示を出した。

「社長っ、何で()……、荒木さんまで!?」
 それは大葉(たいよう)にとっても想定外だったらしい。
 自分のすぐ横で社長に物申す大葉(たいよう)の背中を見詰めながら、岳斗(がくと)は(荒木さんまでこっちに来たら、経理(うちの)課、法忍(ほうにん)さんだけになっちゃうな)と思って。(なるべく早めに戻らなきゃ仕事に支障が出ちゃうかな?)とか、《《財務課長目線》》でアレコレ考えていることに気が付いて、思わず苦笑した。
 今から土恵(ここ)を去ろうという人間が、何を烏滸(おこ)がましいことを考えているんだ、と思ったからだ。

 そうこうしていたらノックの音がして、荒木羽理が社長室へ現れた。それを見届けるなり土井恵介は「とりあえずあっちで話そうか」と、三人を社長室の真ん中へ配置された応接セットへと(うなが)した。


***


 いきなり倍相(ばいしょう)課長と大葉(たいよう)が向かったはずの社長室へ呼ばれた羽理(うり)は、仁子(じんこ)に不安そうな目で見送られながら、自身もソワソワとした心持ちで社長室へ向かった。

 社長室に入るなり大葉(たいよう)と目が合って、〝どういうことですか?〟と縋りつきたい衝動に駆られたけれど、そこは仕事中ということでグッと我慢したのだけれど。
 そんな自分たちを応接セットへ座らせるなり、土井社長が大葉(たいよう)へ向けて言うのだ。
屋久蓑(やくみの)部長、キミにはやはり再来月から予定通り副社長に就任(しゅうにん)してもらうから」
 その話なら先日土井社長の家で〝見送り〟という形で話が付いたはずだったのに。
 そう思った羽理がオロオロと大葉(たいよう)を見上げたら、彼も同じことを思ったらしい。
「社長。その話なら先日すでについたはずじゃないですか」
 大葉(たいよう)の言葉に彼のすぐ隣でコクコクと(うなず)く羽理を見て、土井社長がフッと(かす)かに微笑む。
「それでね、荒木さん。キミには今月いっぱいで一旦うちの社を離れてもらおうと思う」
 土井恵介の言葉に、その場にいた全員が一瞬にして固まった。
「ちょっ、社長、それはっ」
 すぐさま大葉(たいよう)が抗議しようと立ち上がり掛けたのだけれど、土井社長にスッと手を挙げられて言動をさえぎられてしまう。


***


「それでね、倍相(ばいしょう)くん。次はキミの番だ」
 恋人の一大事に腰を浮かせかけた屋久蓑(やくみの)大葉(たいよう)を手と視線だけで制すると、土井恵介が今度は岳斗(がくと)をひたと見据えてくる。

 荒木(あらき)羽理(うり)のことに関しては自分も言いたいことは山ほどあったけれど、甥っ子の大葉(たいよう)ですら反論させてもらえなかったのだ。自分に何か言えるとは思えなくて……。だけどやっぱり《《今はまだ》》荒木さんの直属の上司は自分だと思い直した岳斗である。

「あの……こちらを去る身で口出しするのはどうかとも思ったんですが、さすがにこれは財務経理課を預かってきた者として言わせてください。僕が居なくなる予定なのに、荒木さんまで……というのはどう考えても無謀です。もちろん法忍(ほうにん)さんも優秀な部下ですが、一人だけで回せるほどうちの課は処理量が少ないわけではありませんよ?」
 岳斗がそう言った途端、土井恵介がニヤリと笑った……ように見えた。
「まぁ、倍相(ばいしょう)くん。そう熱くならなくてもよくないかな?」
 実際にはさして表情を変えないまま、のほほんといった調子で岳斗をなだめると、土井社長がおもむろにスーツの(ふところ)へ手を入れて、白いものを取り出した。
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