あのっ、とりあえず服着ませんか!?〜私と部長のはずかしいヒミツ〜
「――で、ここからが本題。先日屋久蓑部長から預かった、キミの《《これ》》なんだけどね」
社長からスッと机上に差し出された封書を見て、岳斗は思わず動きを止めた。
「あの……」
「うん、キミの退職願だね」
言われなくても封筒の表にそう書かれているのが岳斗にだって見える。というより岳斗自身が書いたものなのだから、今更そんな説明は必要ないだろう。
「実は僕はこれ、まだ中を見てないんだ」
言って、土井社長が置いたばかりの封書を手に取ると、岳斗の目の前でビリリッと真っ二つに破り割いてしまう。
「あ、あのっ」
何が何だか分からなくて思わず岳斗が手を伸ばしたと同時、土井恵介が今度こそニヤリと笑って言うのだ。
「で、今見てもらったように、僕はこれを受理するつもりはないから。倍相くんはこのままうちの財務経理課長でいて?」
なんて勝手な言い分だろう。
いくら社長でも社員の意向を無視し過ぎではないか。
そう思った岳斗は、スッと表情を消すと感情を感じさせない目で土井恵介を見詰めた。
「そんなことをされても僕がここを去る意思に変わりはありません」
「どうして? キミはさっきも言ってくれたみたいにうちの財務経理課のことを誰よりも気に掛けてくれているのに……」
「それとこれとは話が別です」
「一緒だと思うんだけどな?」
「話になりませんね」
「そうかな? 例えば……なんだけど。美住杏子さんをうちの財務経理課に引き抜くって言っても、同じことが言える?」
いきなり土井社長の口から愛しい彼女の名前が出てきて、岳斗は思わず言葉に詰まった。
「あ、あの、社長。おっしゃられている言葉の意味が……」
「そう? 的外れなことを言っているつもりはないんだけどな? 倍相くん、僕はこう見えても一応土恵の社長だからね? 社員のことはある程度把握しているつもりだ」
言って、ちらりと大葉たちに視線を投げかけると、まるで自分に全て任せておきなさい、というみたいにコクッとうなずいてみせた。
「キミがアンちゃん……あ、美住さんね。彼女のことをそこまで想ってくれているっていうのは正直驚いたけど……僕はアンちゃんのことを小さい頃から知っているし、倍相くん同様、彼女が不幸になるのを見過ごすことは出来ないんだよ。幸い彼女のお父さんを通じてアンちゃんからの了承も取り付けられた。だから、遠慮は要らないよ?」
「……社長。僕がこちらを辞めたいのは杏子ちゃんのことだけが原因というわけでは――」
そこまで言った岳斗だったけれど、その先を告げるにはいけ好かない父親とのことも話さねばならない。そう思って、つい言いよどんで視線を落としたのだけれど。
「ねぇ倍相くん。僕はさっき、キミに言ったよね? 僕は土恵の社長として、社員らのことを《《ある程度は把握してる》》、って。そこには《《キミとお父様との事情》》も入っているんだけどな?」
あえて話すまでもなく、花京院岳史とのことを知っていると仄めかされた岳斗は、「でしたらっ!」と思わず感情をあらわにしてしまっていた。
日頃心の機微を表に出さないよう心掛けている岳斗には珍しいことだったが、それくらいセンシティブで、そこへ触れるには相当の覚悟がいるのだと土井社長にも分かって欲しいと思ったのだから仕方がない。
「ねぇ倍相くん。キミはお父様と何の《《取り引きをした》》の?」
それは裏を返せば、何に縛られているの? と問われているのと同義だと岳斗は解釈した。
「僕は……杏子ちゃんを助けるために父の威光を使いました。そうしたということは、父の会社を継ぐ《《跡取り息子だと認める》》ということだと解釈するがいいんだな? と言われました。僕は……そんな父の提案を受け入れたんです。……杏子ちゃんを守るために、僕は『はなみやこ』へ行かねばなりません」
そうしてそれは、例え杏子を土恵に連れてきたところで、反故には出来ない契約なのだと岳斗は思っている。
花京院岳史のことだ。
今さら、『貴方の威光は必要なくなりました』と告げたところで、あの手この手で岳斗を逃がさないようにするはずだ。
認めたくはないけれど、『はなみやこ』のような大きな会社に歯向かうのは、土恵商事にとっても大きなリスクを伴うだろう。
自分一人のために、そんなことをさせられるはずがない。
「……杏子ちゃんのことは是非お願いしたいです。僕は正直コノエ産業がどうなろうと知ったことじゃありません。杏子ちゃんがあの会社から解放されるというのなら、あそこに介入するなんて無駄な労力を使わず、そのまま心置きなくはなみやこの方へ行けますので助かります」
本当は岳斗だって土井社長の申し入れを受け入れて、このまま土恵で働きたい。だが、自分に良くしてくれる相手だからこそ、自分もそれに報いなければいけないと思ったのだ。
「おい、岳斗……!」
そこで大葉が思わず口を挟んだのは、大葉にとって一番大切な女性――荒木羽理――のことが宙ぶらりんになったままだからだろう。
杏子が入るために、荒木羽理が押し出されるのだということに、岳斗だって気が付かないわけじゃない。そこに関しては申し訳なく思っているし、荒木さんがどういう扱いを受けることになるのか気になるところだ。
だが、土井社長はそんな甥っ子をちらりと視線だけで制すると、岳斗との会話を優先することを選んだ。
「心置きなく? ねぇ倍相くん、キミはそんなバカげたこと、本気で言ってるわけじゃないよね?」
本気で思っていると即答すべきだし、出来ると思った。なのに一瞬だけ返答に詰まって視線を逸らせてしまった岳斗を見て、土井社長は確信したように言うのだ。
「もしもキミがうちに居残ることで土恵に損害を与えるかも? とか思ってるんだとしたらそれは大きな間違いだ」
その言葉に岳斗が土井社長の方を見たと同時、「今までだってキミがうちで働いてきたのに『はなみやこ』は手出ししてこなかったでしょう?」と、土井恵介が微笑んで見せる。
その言葉を聞いて岳斗はハッとさせられて――。
「社長……それは……」
「キミは『はなみやこ』の跡取り息子だ。勝手に調べて申し訳ないんだけど……倍相くんは現時点でも『はなみやこ』で結構な共益権を有する株主なんじゃない?」
土井社長が言うように、岳斗は会社を継ぐと思われていた頃、花京院岳史からはなみやこの二十八パーセントの株を譲渡されている。
三パーセント以上の株主比率を持っている岳斗は、株主総会の招集請求権、会社帳簿の閲覧および謄写請求権を有しているのだが、『はなみやこ』に関わりたくなかったので、それらの権利を行使したことはなかった。
社長からスッと机上に差し出された封書を見て、岳斗は思わず動きを止めた。
「あの……」
「うん、キミの退職願だね」
言われなくても封筒の表にそう書かれているのが岳斗にだって見える。というより岳斗自身が書いたものなのだから、今更そんな説明は必要ないだろう。
「実は僕はこれ、まだ中を見てないんだ」
言って、土井社長が置いたばかりの封書を手に取ると、岳斗の目の前でビリリッと真っ二つに破り割いてしまう。
「あ、あのっ」
何が何だか分からなくて思わず岳斗が手を伸ばしたと同時、土井恵介が今度こそニヤリと笑って言うのだ。
「で、今見てもらったように、僕はこれを受理するつもりはないから。倍相くんはこのままうちの財務経理課長でいて?」
なんて勝手な言い分だろう。
いくら社長でも社員の意向を無視し過ぎではないか。
そう思った岳斗は、スッと表情を消すと感情を感じさせない目で土井恵介を見詰めた。
「そんなことをされても僕がここを去る意思に変わりはありません」
「どうして? キミはさっきも言ってくれたみたいにうちの財務経理課のことを誰よりも気に掛けてくれているのに……」
「それとこれとは話が別です」
「一緒だと思うんだけどな?」
「話になりませんね」
「そうかな? 例えば……なんだけど。美住杏子さんをうちの財務経理課に引き抜くって言っても、同じことが言える?」
いきなり土井社長の口から愛しい彼女の名前が出てきて、岳斗は思わず言葉に詰まった。
「あ、あの、社長。おっしゃられている言葉の意味が……」
「そう? 的外れなことを言っているつもりはないんだけどな? 倍相くん、僕はこう見えても一応土恵の社長だからね? 社員のことはある程度把握しているつもりだ」
言って、ちらりと大葉たちに視線を投げかけると、まるで自分に全て任せておきなさい、というみたいにコクッとうなずいてみせた。
「キミがアンちゃん……あ、美住さんね。彼女のことをそこまで想ってくれているっていうのは正直驚いたけど……僕はアンちゃんのことを小さい頃から知っているし、倍相くん同様、彼女が不幸になるのを見過ごすことは出来ないんだよ。幸い彼女のお父さんを通じてアンちゃんからの了承も取り付けられた。だから、遠慮は要らないよ?」
「……社長。僕がこちらを辞めたいのは杏子ちゃんのことだけが原因というわけでは――」
そこまで言った岳斗だったけれど、その先を告げるにはいけ好かない父親とのことも話さねばならない。そう思って、つい言いよどんで視線を落としたのだけれど。
「ねぇ倍相くん。僕はさっき、キミに言ったよね? 僕は土恵の社長として、社員らのことを《《ある程度は把握してる》》、って。そこには《《キミとお父様との事情》》も入っているんだけどな?」
あえて話すまでもなく、花京院岳史とのことを知っていると仄めかされた岳斗は、「でしたらっ!」と思わず感情をあらわにしてしまっていた。
日頃心の機微を表に出さないよう心掛けている岳斗には珍しいことだったが、それくらいセンシティブで、そこへ触れるには相当の覚悟がいるのだと土井社長にも分かって欲しいと思ったのだから仕方がない。
「ねぇ倍相くん。キミはお父様と何の《《取り引きをした》》の?」
それは裏を返せば、何に縛られているの? と問われているのと同義だと岳斗は解釈した。
「僕は……杏子ちゃんを助けるために父の威光を使いました。そうしたということは、父の会社を継ぐ《《跡取り息子だと認める》》ということだと解釈するがいいんだな? と言われました。僕は……そんな父の提案を受け入れたんです。……杏子ちゃんを守るために、僕は『はなみやこ』へ行かねばなりません」
そうしてそれは、例え杏子を土恵に連れてきたところで、反故には出来ない契約なのだと岳斗は思っている。
花京院岳史のことだ。
今さら、『貴方の威光は必要なくなりました』と告げたところで、あの手この手で岳斗を逃がさないようにするはずだ。
認めたくはないけれど、『はなみやこ』のような大きな会社に歯向かうのは、土恵商事にとっても大きなリスクを伴うだろう。
自分一人のために、そんなことをさせられるはずがない。
「……杏子ちゃんのことは是非お願いしたいです。僕は正直コノエ産業がどうなろうと知ったことじゃありません。杏子ちゃんがあの会社から解放されるというのなら、あそこに介入するなんて無駄な労力を使わず、そのまま心置きなくはなみやこの方へ行けますので助かります」
本当は岳斗だって土井社長の申し入れを受け入れて、このまま土恵で働きたい。だが、自分に良くしてくれる相手だからこそ、自分もそれに報いなければいけないと思ったのだ。
「おい、岳斗……!」
そこで大葉が思わず口を挟んだのは、大葉にとって一番大切な女性――荒木羽理――のことが宙ぶらりんになったままだからだろう。
杏子が入るために、荒木羽理が押し出されるのだということに、岳斗だって気が付かないわけじゃない。そこに関しては申し訳なく思っているし、荒木さんがどういう扱いを受けることになるのか気になるところだ。
だが、土井社長はそんな甥っ子をちらりと視線だけで制すると、岳斗との会話を優先することを選んだ。
「心置きなく? ねぇ倍相くん、キミはそんなバカげたこと、本気で言ってるわけじゃないよね?」
本気で思っていると即答すべきだし、出来ると思った。なのに一瞬だけ返答に詰まって視線を逸らせてしまった岳斗を見て、土井社長は確信したように言うのだ。
「もしもキミがうちに居残ることで土恵に損害を与えるかも? とか思ってるんだとしたらそれは大きな間違いだ」
その言葉に岳斗が土井社長の方を見たと同時、「今までだってキミがうちで働いてきたのに『はなみやこ』は手出ししてこなかったでしょう?」と、土井恵介が微笑んで見せる。
その言葉を聞いて岳斗はハッとさせられて――。
「社長……それは……」
「キミは『はなみやこ』の跡取り息子だ。勝手に調べて申し訳ないんだけど……倍相くんは現時点でも『はなみやこ』で結構な共益権を有する株主なんじゃない?」
土井社長が言うように、岳斗は会社を継ぐと思われていた頃、花京院岳史からはなみやこの二十八パーセントの株を譲渡されている。
三パーセント以上の株主比率を持っている岳斗は、株主総会の招集請求権、会社帳簿の閲覧および謄写請求権を有しているのだが、『はなみやこ』に関わりたくなかったので、それらの権利を行使したことはなかった。