今宵、仮初めを卒業したく。
一人夕食を終え夜着に着替えた奈津は急に自分の浅はかさを悔いた。与えられた寝室はひとつであり、そこには大きなベッドを確認している。

(まさか桐ヶ崎様と一緒に……)

あらぬ想像をして一気に頬が染まる。

(や、やだ、私ったら)

まだ寝室には一人だというのに奈津はやたら緊張してしまう。成臣の帰りを待っているべきか先にベッドに入っているべきか悩んでウロウロと歩き回っていると、ふいに部屋のドアが開いた。

「奈津、まだ起きていたのか?」

「き、桐ヶ崎様っ。お、おかえりなさい」

ぎこちなく挨拶をすると成臣は不満そうな顔をする。

「奈津、仮初めでも夫婦なのだ。名前で呼んでもらわないと困るな」

「あ、すみません。えっと……な、成臣様」

言って胸がぎゅんと震える。名前で呼ぶことでこの人と結婚したのだという実感がじわりとわいて焦りを覚えた。

「そんな緊張しなくとも。別に取って食おうというわけじゃない。それから、様は少々他人行儀だな」

「はい、えっと、成臣さん」

「今日は学校へ行ったのか?」

「いえ、今日は荷物を整理しておりました。あ、万年筆が置いてありましたがいただいてもいいのですか?」

「もちろんだ」

「でも舶来品はとても高価なものでは?」

「そうだな。だが奈津なら使いこなしてくれるような気がした」

「ありがとうございます。大事に使います」

お礼を言うと成臣は目を細める。

「もう遅いから先に休むといい」

「はい。その、同じベッドで……?」

「別々の部屋で寝ると使用人たちに怪しまれるからね。だが奈津が嫌なら私は書斎にでも籠ることにしよう」

成臣はそう言うと寝室を出ていこうとする。奈津は無意識に成臣の洋服の裾を掴んでいた。振り向いた成臣が怪訝そうに首を傾げる。

「あ、えっと……成臣さんはベッドでお休みになってください。私が書斎に行きます」

「それはダメだ。奈津がベッドで休みなさい」

「いえ、ダメです」

二人の押し問答はしばらく続き、やがて答えの見えない終着点は“同じベッドで寝る”ということになった。

背中合わせでなるべく端によって身を縮める奈津は、静かな寝室で布団の擦れる音にすら敏感に反応してしまうくらい神経が研ぎ澄まされていた。何をするわけでもない、ただ隣に成臣がいるだけなのにドキドキと鼓動が早くなる。ときおり深く息を吐き出すもその緊張がほぐれることはない。
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