精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました
第49話 疑心暗鬼
婚約破棄された場面が――高らかに婚約破棄を謳う殿下と、その横で勝ち誇ったように彼に寄り添う義妹の姿が、フラッシュバックする。
蛇のようなものが首にねっとりと絡みついているみたいに、息苦しい。
精神的動揺を隠せない私に向かって、アランは苦しそうに言葉を続けた。
「先日、バルバーリ国王直々の書簡が届いたんだ。表向きは、王太子の婚約者が一方的な勘違いにより、フォレスティ王国に逃亡したから、とのことらしいけど、恐らくエヴァの本当の力に、バルバーリ王国側も気付いたんだと思う。エヴァが精霊女王であることまで、気付いているかは分からないけれど……」
「な、何が一方的な勘違いよ……」
奥歯を強く噛みしめる。
相手が何も知らないからとでっち上げた理由でさえ、私を悪者にするバルバーリ王家に激しい怒りを感じた。
せっかく、フォレスティ王国で新しい生活を始めようとしたのに、また戻らなければならないの?
追放された、あの国に……
私が精霊を産みだしていたということがバレているなら、今までのように虐げるということはないだろうけど、きっと精霊を生み出すだけの道具として飼い殺される。
今度はマルティでなく、バルバーリ王国の奴隷として生きなければならなくなる。
どれだけ私は、あの国に振り回されればいいのだろうか?
どれだけ私は、あの国に利用されなければならないのだろうか?
精霊女王である限り、ずっと私は――
その時、肩に温かいものが乗り、身体の向きを変えられた。
顔を上げると、いつの間にか席を立っていたアランの顔が目の前にあり、こちらを覗きこんでいた。
彼の肩越しから見える扉が静かに閉まったのを見て、ルドルフが部屋を出て行ったことに気付く。
部屋にはアランと私だけ。
悔しくて悔しくて、下唇を噛みしめながら、怒りとどうにもならない閉塞感を抱く私は、ただ彼の青い瞳を見つめ返すことしかできなかった。
「エヴァ」
凜とした低い声が、私の鼓膜を震わせる。
大きな手が、ぎゅっとこの肩を掴んだ。
「大丈夫だ。絶対に……絶対に、バルバーリ王国のやつらに、エヴァを引き渡したりはしない。君の自由は何があっても守る」
決意に満ちた声色だった。
人間の悪意と身勝手さに息が詰まりそうになるほどの閉塞感に襲われ、淀んでいた心に、僅かな風が吹き抜ける。
アランの力強い言葉が嬉しい。
嬉しい、のに、<だけど>から始まった心の声が、私を疑心暗鬼に陥らせる。
この力を欲しがるのは、バルバーリ王国だけじゃないのでは、という疑いが、ドス黒い言葉の塊となって、私の口からこぼれ落ちた。
「……私が、精霊女王だから?」
「え?」
「私がフォレスティ王国に留まれば、生み出した精霊の恩恵を受けることが出来るから?」
アランの青い瞳が揺れた。
こんなこと、考えたくない。
だけど今まで、大したこともしていないのに、フォレスティ城で賓客として受けた待遇を思うと、全てに納得がいく、と頭の中で何かが囁く。
「だから私に親切にしてくれたの? この国に引き留めるために――」
「俺の祖国を、バルバーリ王国の奴らと一緒にしないで欲しい」
今までのアランからは想像できない冷ややかな声色が、私の心臓を鷲づかみにした。
こちらを見据える瞳は、凍えるほど冷たいのに、きっと触れることができたなら跡形もなく焼かれてしまうんじゃないかと思うほどの激情を秘めている。
静かに憤るアランを見て初めて、口が裂けても言ってはいけないことを言ったのだと気付く。
「確かに、エヴァがフォレスティ王国に留まってくれれば、ありがたいことは確かだ。だけど、俺たちは俺たちのやりかたで、フォレスティ王国を発展させてきた。はっきり言わせてもらうよ。この国は、精霊女王の力を必要としていない」
――精霊女王の力を必要としていない。
まるで私の存在を否定したかのようなアランの言葉が、グサグサと心に刺さる。
全身から血の気が引き、膝の上に置いていた手の指が小刻みに震え出す。
彼の言葉に、何一つ返事ができなかった。
謝罪一つできず、身を強張らせて縮こまる。
私に向けられた青い視線が、ふっと緩んだ。
「エヴァ、思い出して。イグニス兄さんはエヴァにこう言ったはずだ。『城が嫌だというなら、あなたが望む場所で生活が出来るように手配しよう。他国に渡りたいと願うなら、協力もする』と。この地に縛り付けたいと思う人間の発言だと思う?」
確かに陛下は仰った。
そして、優しく、こうも仰った。
この国であなたの自由を妨げるものはない、とも――
確かに、親切にして頂けるのは私が精霊女王だからだろう。
だけどフォレスティ王国はあくまで、三百年前の恩を今の私に返してくださっているだけ。
バルバーリ王国のように、利用しようという意図はない。あっても、いてくれたら儲け、ぐらいの感覚なんだわ。
私は……私は、何て酷いことをアランに言ってしまったのだろう。
バルバーリ王国からの身勝手な引き渡し要請で心を乱されたあげく、この国で与えられた自由や優しさに対しても疑心暗鬼になってしまって。
目頭が熱くなり、潤っていくのが分かる。
下瞼に留まりきれなくなった滴が、瞬きとともに膝の上に置いていた手の甲に落ちた。
「……ごめん、なさい……本当に、ごめんなさい……アラン……この国を、悪く言ってしまって。私、どうかしてたわ……」
「ううん、俺たちの気持ちがエヴァに伝わったのなら、それでいいんだ。俺もごめん。きつい言い方になってしまって……」
「そんなことないわ! アランが怒るのは、当たり前だもの!」
私はアランから差し出されたハンカチを受け取ると、涙を拭きながら首を横に振った。涙を拭いたハンカチを膝に置き、その上に自分の両手を重ねる。
その時、両肩からふっと重みが消えたかと思うと、アランが私の前に跪いた。
真剣な表情が、こちらを見上げている。
「他国に逃げようか、エヴァ。きっと兄さんも、協力してくれる」
彼の言葉を頭の中で反芻しながら、手の下にあるハンカチを強く握りながら俯いた。
確かに、フォレスティ王国に私がいれば、バルバーリ王国からの接触は避けられない。そういう意味では、私は迷惑をかける前に、一刻も早くこの国を出た方がいい。
だけど、大好きな人たちがいるこの国を出るのは辛い。
アランとだって、離ればなれに――
「エヴァ、もしかして、一人で他国に渡るつもり?」
アランの言葉に、私はハッと顔を上げた。多分、目を丸くしている私に向かって、彼が優しく笑いかける。
「安心して。俺も一緒について行くから」
「え? 一緒にって、待って! あなたはこの国の王族なのよ⁉」
「だから?」
逆に聞き返されて、戸惑ってしまう。
首を傾げる彼の顔には、何か問題でも? という言葉が書かれていた。
「以前にも言っただろ? 俺はすでに王位継承権を捨ててるって。十年間も放蕩息子していたんだから、今更だよ」
「今更じゃないわっ! やっと帰ってきたのに、また出ていったらあなたのご家族が悲しまれるわ! もう私は、充分に助けて貰った。だからもう、精霊女王の幸せを見届ける必要は――」
「エルフィーランジュだからじゃない」
アランの強めの言葉が、私の言葉を遮った。
膝の上に乗っている私の手が、温もりに包まれる。
彼の手が、私の手と重なっている。
「エヴァ――だからだよ」
青い瞳が、真っ直ぐにこちらを見上げている。
重なった手から、余すことなく彼の温もりが伝わってくる。
息が、苦しい。
触れあった指先から、激しく脈打つ鼓動と熱が伝わってしまいそう。
聞かなきゃ。
聞いて、確かめなきゃ……
「どういう、意味?」
「意味? そんなの……決まってるじゃないか」
そう言って、彼の視線が下に落ちる。
少しの間の後、私の手の上にあるアランの手に、ギュッと力がこもった。
彼の顔が上がり、私を見据える。
形の良い唇が、微かに震えながらゆっくりと開く。
「俺は――」
次の瞬間、ドアをノックする音と、
「アラン様、今よろしいでしょうか?」
というマリアの声が、部屋に響き渡った。
蛇のようなものが首にねっとりと絡みついているみたいに、息苦しい。
精神的動揺を隠せない私に向かって、アランは苦しそうに言葉を続けた。
「先日、バルバーリ国王直々の書簡が届いたんだ。表向きは、王太子の婚約者が一方的な勘違いにより、フォレスティ王国に逃亡したから、とのことらしいけど、恐らくエヴァの本当の力に、バルバーリ王国側も気付いたんだと思う。エヴァが精霊女王であることまで、気付いているかは分からないけれど……」
「な、何が一方的な勘違いよ……」
奥歯を強く噛みしめる。
相手が何も知らないからとでっち上げた理由でさえ、私を悪者にするバルバーリ王家に激しい怒りを感じた。
せっかく、フォレスティ王国で新しい生活を始めようとしたのに、また戻らなければならないの?
追放された、あの国に……
私が精霊を産みだしていたということがバレているなら、今までのように虐げるということはないだろうけど、きっと精霊を生み出すだけの道具として飼い殺される。
今度はマルティでなく、バルバーリ王国の奴隷として生きなければならなくなる。
どれだけ私は、あの国に振り回されればいいのだろうか?
どれだけ私は、あの国に利用されなければならないのだろうか?
精霊女王である限り、ずっと私は――
その時、肩に温かいものが乗り、身体の向きを変えられた。
顔を上げると、いつの間にか席を立っていたアランの顔が目の前にあり、こちらを覗きこんでいた。
彼の肩越しから見える扉が静かに閉まったのを見て、ルドルフが部屋を出て行ったことに気付く。
部屋にはアランと私だけ。
悔しくて悔しくて、下唇を噛みしめながら、怒りとどうにもならない閉塞感を抱く私は、ただ彼の青い瞳を見つめ返すことしかできなかった。
「エヴァ」
凜とした低い声が、私の鼓膜を震わせる。
大きな手が、ぎゅっとこの肩を掴んだ。
「大丈夫だ。絶対に……絶対に、バルバーリ王国のやつらに、エヴァを引き渡したりはしない。君の自由は何があっても守る」
決意に満ちた声色だった。
人間の悪意と身勝手さに息が詰まりそうになるほどの閉塞感に襲われ、淀んでいた心に、僅かな風が吹き抜ける。
アランの力強い言葉が嬉しい。
嬉しい、のに、<だけど>から始まった心の声が、私を疑心暗鬼に陥らせる。
この力を欲しがるのは、バルバーリ王国だけじゃないのでは、という疑いが、ドス黒い言葉の塊となって、私の口からこぼれ落ちた。
「……私が、精霊女王だから?」
「え?」
「私がフォレスティ王国に留まれば、生み出した精霊の恩恵を受けることが出来るから?」
アランの青い瞳が揺れた。
こんなこと、考えたくない。
だけど今まで、大したこともしていないのに、フォレスティ城で賓客として受けた待遇を思うと、全てに納得がいく、と頭の中で何かが囁く。
「だから私に親切にしてくれたの? この国に引き留めるために――」
「俺の祖国を、バルバーリ王国の奴らと一緒にしないで欲しい」
今までのアランからは想像できない冷ややかな声色が、私の心臓を鷲づかみにした。
こちらを見据える瞳は、凍えるほど冷たいのに、きっと触れることができたなら跡形もなく焼かれてしまうんじゃないかと思うほどの激情を秘めている。
静かに憤るアランを見て初めて、口が裂けても言ってはいけないことを言ったのだと気付く。
「確かに、エヴァがフォレスティ王国に留まってくれれば、ありがたいことは確かだ。だけど、俺たちは俺たちのやりかたで、フォレスティ王国を発展させてきた。はっきり言わせてもらうよ。この国は、精霊女王の力を必要としていない」
――精霊女王の力を必要としていない。
まるで私の存在を否定したかのようなアランの言葉が、グサグサと心に刺さる。
全身から血の気が引き、膝の上に置いていた手の指が小刻みに震え出す。
彼の言葉に、何一つ返事ができなかった。
謝罪一つできず、身を強張らせて縮こまる。
私に向けられた青い視線が、ふっと緩んだ。
「エヴァ、思い出して。イグニス兄さんはエヴァにこう言ったはずだ。『城が嫌だというなら、あなたが望む場所で生活が出来るように手配しよう。他国に渡りたいと願うなら、協力もする』と。この地に縛り付けたいと思う人間の発言だと思う?」
確かに陛下は仰った。
そして、優しく、こうも仰った。
この国であなたの自由を妨げるものはない、とも――
確かに、親切にして頂けるのは私が精霊女王だからだろう。
だけどフォレスティ王国はあくまで、三百年前の恩を今の私に返してくださっているだけ。
バルバーリ王国のように、利用しようという意図はない。あっても、いてくれたら儲け、ぐらいの感覚なんだわ。
私は……私は、何て酷いことをアランに言ってしまったのだろう。
バルバーリ王国からの身勝手な引き渡し要請で心を乱されたあげく、この国で与えられた自由や優しさに対しても疑心暗鬼になってしまって。
目頭が熱くなり、潤っていくのが分かる。
下瞼に留まりきれなくなった滴が、瞬きとともに膝の上に置いていた手の甲に落ちた。
「……ごめん、なさい……本当に、ごめんなさい……アラン……この国を、悪く言ってしまって。私、どうかしてたわ……」
「ううん、俺たちの気持ちがエヴァに伝わったのなら、それでいいんだ。俺もごめん。きつい言い方になってしまって……」
「そんなことないわ! アランが怒るのは、当たり前だもの!」
私はアランから差し出されたハンカチを受け取ると、涙を拭きながら首を横に振った。涙を拭いたハンカチを膝に置き、その上に自分の両手を重ねる。
その時、両肩からふっと重みが消えたかと思うと、アランが私の前に跪いた。
真剣な表情が、こちらを見上げている。
「他国に逃げようか、エヴァ。きっと兄さんも、協力してくれる」
彼の言葉を頭の中で反芻しながら、手の下にあるハンカチを強く握りながら俯いた。
確かに、フォレスティ王国に私がいれば、バルバーリ王国からの接触は避けられない。そういう意味では、私は迷惑をかける前に、一刻も早くこの国を出た方がいい。
だけど、大好きな人たちがいるこの国を出るのは辛い。
アランとだって、離ればなれに――
「エヴァ、もしかして、一人で他国に渡るつもり?」
アランの言葉に、私はハッと顔を上げた。多分、目を丸くしている私に向かって、彼が優しく笑いかける。
「安心して。俺も一緒について行くから」
「え? 一緒にって、待って! あなたはこの国の王族なのよ⁉」
「だから?」
逆に聞き返されて、戸惑ってしまう。
首を傾げる彼の顔には、何か問題でも? という言葉が書かれていた。
「以前にも言っただろ? 俺はすでに王位継承権を捨ててるって。十年間も放蕩息子していたんだから、今更だよ」
「今更じゃないわっ! やっと帰ってきたのに、また出ていったらあなたのご家族が悲しまれるわ! もう私は、充分に助けて貰った。だからもう、精霊女王の幸せを見届ける必要は――」
「エルフィーランジュだからじゃない」
アランの強めの言葉が、私の言葉を遮った。
膝の上に乗っている私の手が、温もりに包まれる。
彼の手が、私の手と重なっている。
「エヴァ――だからだよ」
青い瞳が、真っ直ぐにこちらを見上げている。
重なった手から、余すことなく彼の温もりが伝わってくる。
息が、苦しい。
触れあった指先から、激しく脈打つ鼓動と熱が伝わってしまいそう。
聞かなきゃ。
聞いて、確かめなきゃ……
「どういう、意味?」
「意味? そんなの……決まってるじゃないか」
そう言って、彼の視線が下に落ちる。
少しの間の後、私の手の上にあるアランの手に、ギュッと力がこもった。
彼の顔が上がり、私を見据える。
形の良い唇が、微かに震えながらゆっくりと開く。
「俺は――」
次の瞬間、ドアをノックする音と、
「アラン様、今よろしいでしょうか?」
というマリアの声が、部屋に響き渡った。