精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第50話 マリアとの再会

 ノック音とマリアの声が、二人きりだった部屋に響き渡る。私たちの視線が、扉の方に向けられた。

 すぐそばで、特大のため息の音が聞こえたかと思うと、私の手にのせられていた温もりが遠ざかっていく。そして、座っている私の前に影が落ちた。

 跪いていたアランが立ち上がったのだ。

「……大丈夫だ、マリア、入ってくれ」

 そう言うアランはどこか酷く悔しそうで、とても大丈夫だとは思えない表情をしている。もう一度大きくため息をつくと、前髪をかきあげた。

 彼の言葉を文字通りにとったマリアの、失礼しますという返答が、扉の向こうから聞こえる。

 マリアと会うのは、オルジュ姫殿下を抱っこして泣いた一件以降、初めてかしら。

 最近まで家に戻って休暇を取っていて、近々戻ってくるとは聞いていたけれど、まさかこのタイミングになるとは、予想もしなかった。

 もちろんマリアが戻ってきてくれたのは嬉しい。
 とっても嬉しいんだけれども、

『俺は――』

 あの言葉の続きを聞きたかった。

 まだ心臓がドキドキしてるし、心なしか呼吸も浅いまま。

 自意識過剰かもしれない。
 私、とんでもない勘違いをしているかもしれない。

(だけど、あの流れだと、まるで――)

 まさか、という気持ちと、もしかしてという期待が、交互に浮かんでは沈んでいく。

 一人で内心盛り上がっているのが恥ずかしくて、気付けばアランから借りたハンカチをギュッと握って俯いていた。

 顔がすごく熱い。
 頬が赤くなっていなければいいのだけれど。

 視界の端で扉が開き、軽装鎧を身につけたマリアが入ってくるのが見えた。けれど、彼女の動きが部屋に入って二歩目で止まる。

「……あ、えっと」

 という、私なんかやっちゃいましたか? という不安を声色を小さく発して。

 う、うーん、気まずくなるわよね……

 私は椅子に座って俯き、私と少し距離を取った場所に立つアランは、整えられた黒い髪をクシクシ掻きながら、落ち着かない様子を見せているんだから。

 気まずい雰囲気の中、動いたのはアランだった。
 取り繕うように笑みを浮かべると、いつものような親し気な口調でマリアに声をかけた。

「え、えっと、お帰り、マリア。休暇はどうだった?」

 アランに話しかけられ、マリアはハッと表情を改めると、彼の前に跪いた。

「……は、はい、家族水入らずで過ごして参りました。ありがとうございます。本日より、フォレスティ城に戻り、本職に復帰いたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ、頼むよ。それで、どうしたんだ?」
「陛下がアラン様をお呼びです。例の件で……」
「……そうか。分かった、すぐに向かう」

 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべながら、アランは小さく舌打ちをした。

 例の件、私の身柄引き渡しの件に違いない。

 苛立つ心情を露わにしていたアランの顔が、クロージック家に仕えていたときには決して見ることのなかった、王族として国を守る者の顔へと変わる。

 真剣な眼差しが、私に向けられた。

「エヴァ、ごめん。兄さんのところに行ってくるよ。さっきも言ったけれど、エヴァを絶対にバルバーリ王国に引き渡したりしない。他国に逃がしてでも、エヴァの自由は守るから」
「あ、ありがとう、アラン」

 まだ、先を聞くことのできなかったアランの言葉を引きずっている私は、少し上ずった声でそう返すしかできなかった。

 マリアが扉を開き、頭を深く下げる横を、アランが大股で通り過ぎていく。そして彼が出て行った部屋には、私とマリアだけが残された。

「久しぶり、エヴァちゃん。元気にしてた? この間は、別れの挨拶もせずにごめんね? 大丈夫だった?」

 扉を閉じると、マリアが明るく声をかけてくれた。その様子は旅途中と同じ、頼れるお姉さんだ。

 見知った顔に心がフッと緩む。

「気にしないで。あの後寝たらすっきりしたから。マリアも元気そうで何よりだわ。ご家族には会えた?」
「ええ。賑やか過ぎてうるさいくらいだったわ。うちの家、私の下に弟が五人もいるの。皆、すっかり大きくなってて驚いちゃった」

 フフッとマリアが笑う。しかしその笑顔は消え、組み合わせた手をもじもじしながら、少し言いにくそうに口を開いた。 

「……さっき、ルドルフ様からお聞きしたわ。エヴァちゃんが精霊女王様の生まれ変わりであることや、バルバーリ王国から身柄引き渡し要請が来ていることを知ったって……」
「う、うん……私が精霊女王様だなんて、全然実感ないけれど……」
「そう、よね……いきなりそんなことを言われても、まあ普通は困るわよね」

 目で隣に座って良いかと聞かれ、頷くと、マリアは私の隣の椅子に腰を下ろした。そして両肘をテーブルについて両手の上に顎をのせると、天井を見上げながら、ハァーッと大きなため息をついた。

 彼女の横顔に尋ねる。 

「マリアは知ってたの? 私のこと……」
「……ええ、全部知ってたわ。アラン様とバルバーリ王国に渡ったとき、任務に支障が出たらいけないからって全部教えて頂いていたから」
「そっか」

 やっぱりマリアも、知っていたのね。
 だから――

 と思ったら、マリアに頬っぺたを突かれた。ビクッとして顔を彼女の方に向けると、少し頬を膨らませた顔が視界に入ってきた。

 マリア、ちょっと怒ってる?

「エヴァちゃん、もしかして私が、あなたが精霊女王だから今まで親切にしてた、とか失礼なことを考えてたんじゃない?」
「えっと……」

 図星を指され、口ごもってしまう。

 やっぱりマリアには、隠していても全部読まれてしまうみたい。
 だって、私のアランへの秘めたる気持ちも、一発で見抜いちゃう凄い人だものね!

 マリアはテーブルに頬杖をつきながら、空いた手で私の頭を撫でた。

「もうっ、お姉さん、悲しいんだけど。確かに、アラン様の護衛と精霊女王様を見守るため、クロージック家にやってきたけれど、それはきっかけに過ぎないわ。私はね、エヴァちゃんの人柄が大好きなの。優しくて頑張り屋さんで、鈍いところもあるけれど、苦難に折れることなく立ち向かう強さがね」

 それに私の大切な妹だし、とマリアが片目を瞑った。

 彼女の、何一つブレることのない私への気持ちが嬉しかったのと同時に、失礼なことを少しでも考えてしまった自分が恥ずかしい。まだ疑心暗鬼になってしまった自分が、残っているのかも。
 
「ありがとう、マリア……そして、ごめんなさい」
「いいのよ、エヴァちゃん。混乱するのも無理はないわ。自分のこと、時間をかけてゆっくり受け止めていきましょう」

 彼女のいたわりに満ちた言葉にゆっくりと頷き返すと、マリアは、よしっ、と言って微笑んだ。そして、そういえば、と前置きをして不思議そうに首を傾げる。

「さっき部屋に入ったとき、変な空気だったんだけど……アラン様と何かあった?」
「……あ」

 彼女の言葉に、思わず声を上げてしまった。先ほどのアランとの会話を思い出し、再び心音が早くなり、顔が熱く火照ってくる。

 思いっきり私の動揺が伝わったのだろう。
 マリアの表情が輝き出す。

「え、なになに? アラン様と進展があった⁉」
「ち、違うっ! 違うの、マリアっ‼ あれは……あれ、は……」

 と否定はしてみるけれど、それ以上の言葉が出てこない。

 でも、私のアランへの気持ちを知っているのはマリアしかいない。
 つまり恋の相談はマリアにしかできないわけで……

 意を決し、私は彼女に先ほどの件を話してみた。話が進むにつれて、マリアの茶色い瞳が輝きを増す。

「それでね、アランにどういう意味かって聞いてみたの。そしたら……『俺は――』って言って……」
「俺はって言って……? そ、それで⁉」
「そこで、マリアが来たの」

 次の瞬間、マリアが両手で顔を覆いながら立ち上がり、身体を反らせる勢いで天井を仰ぎながら絶叫した。

「ごっ、ごめんなさい――――っ‼」
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