精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第64話 アランの主張

「そして今は、私の婚約者でもあります」

 どこか誇らしげに告げるアランの声が部屋に響き渡る。

 それを聞いたリズリー殿下の顔が真っ青になった。さっきまでシャキッと立っていた両膝が震え、今にも倒れそうになっている。

「ど、どういうことだ……?」

 テーブルに手をつきながら、リズリー殿下が声を絞り出した。

 先ほど私にかけた声色とは全く違う、うなり声のような低い響きを発しながら、テーブルクロスを強く握っている。

 しかしアランは特別気に留めた様子なく、先ほどと変わらない様子で微笑みを浮かべている。

 余裕がありそうな態度が、リズリー殿下の癇に障ったのだろう。睨みつけるように視線を鋭くし、アランにもう一度問いかける。

「どういうことですか、アラン様。エヴァがあなたの婚約者であるなどっ! 冗談であるなら、今すぐ訂正をお願いしたい!」
「……冗談? 訂正? 俺は本当のことを申し上げているだけだが?」

 アランは自分が座っていた隣の椅子を引くと、私に座るように勧めてくれた。私が座るのを見届けると、興奮して肩を怒らせているリズリー殿下にも座るよう、目で合図を送る。

 殿下は今にも舌打ちしそうに口元を歪ませると、少し乱暴に椅子に座った。

 私の斜め前にはリズリー殿下。
 さっきから、私とアランを交互に睨みつけている。

 私の横にはアランが座っていて、リズリー殿下からの視線を涼しい顔で受け止めていた。

 私は……できる限り真剣な表情を作るように頑張っていた。

 本当は怖い。
 結われた髪の毛の中は、変な汗が流れている。

 自分の意思で同席を決めたけれど、やはりリズリー殿下を見ると、嬉々として追放を口にされていたことや、架空の不敬罪によって公衆の面前で婚約破棄を告げられたこと、そして無理矢理身体を求められたことなど、思い出したくない様々な記憶が蘇る。

 その時、テーブルの下で握っていた私の手が温もりに包まれた。

 見なくても分かる。
 何度も練習と称して握り合った――アランの手。

 私の気持ちを察し、不安や恐怖を和らげるためにこっそり握ってくれたんだわ。

 接した肌から彼の温もりが伝わってくる。

 そうだわ、私は一人じゃない。
 大好きな人がすぐそばで一緒に、戦ってくれているのだから――

「面倒な建前など抜きにして、腹を割って話そうか、リズリー様。そちらも、あまり時間がないのだろ?」
「……リズリーでいい。代わりに、あなたのことをアランと呼ばせて貰う」
「どうぞ、お好きなように」

 リズリー殿下の提案を、にっこりと笑って承諾したアランは、早速詰襟を緩めて息をついた。殿下も大きなため息をつくと、椅子の背もたれに全体重をかけて脱力する。

「それで、どういうことなんだ? エヴァは僕の婚約者だ。書簡にもそのように書かれていたはずだが?」
「何を言っている? あなたはエヴァと婚約破棄し、さらに不敬罪で彼女に国外追放を命じたんだろ?」
「そ、それは……ご、誤解……そう、誤解なんだ! 僕は、ちょっとエヴァを驚かせたかっただけで、本当に追放するつもりはなかったんだ!」

 あまりにも雑すぎる言い訳を聞き、私もアランもポカンとしてしまった。

 呆れすぎて言葉が出ない。
 せめてもう少しマシな言い訳を考えられなかったのかしら。

 口が半開きになっている私に視線を向けたリズリー殿下が、焦燥感に駆られた様子で言葉を続ける。

「だ、だから、エヴァ、今すぐ僕と一緒にバルバーリ王国に戻って欲しいっ! 勘違いをさせた償いはする! だから――」
「なら……何故出ていった彼女を、すぐに追いかけなかった?」

 低くゆっくりとしたアランの言葉が、殿下の発言を遮った。
 テーブルの下で繋いでいるアランの手に力がこもる。

「女性がたった一人でバルバーリ王国を出る危険性を、あなたは考えなかったのか?」
「そ、それは……ま、まさか本当に出ていくとは……」
「言い訳はいい。彼女に付き添ったクロージック家の元使用人たちからも話は聞いている。道中、エヴァを追う者はいなかったと。それに、フォレスティ王国に渡るなら必ず通るヌークルバ関所にさえ、手を回していなかった。早馬を使えば、エヴァが関所に辿り着く前に通達できたはずだろ?」

 アランの拳が、テーブルを打つ。

「これらの事実は、あなたにエヴァを追う意思がなかったことを示している!」

 リズリー殿下の肩が、テーブルを打つ音とそれ以上のアランの大声によって、小さく震えた。

 アランの発言に対し、殿下は何も反論されなかった。

 全てが本当のことなのだから、上手い言い訳も浮かばなかったのだろう。
 ただ、

「……だからといって、人の婚約者を横取りして良い理由にはならないんじゃないか、アラン」

と、睨みつけながら負け惜しみのように非難した。

 彼の言葉に、アランは不快そうに片眉をあげる。

「俺はどこかの誰かさんのように、他人のものを横取りする人間じゃない。他にも調査した上で、エヴァを婚約者として迎えられると判断したんだが」
「調査? 何を……」
「そうだな。例えば……クロージック卿が今回の婚約破棄と追放を理由に、エヴァの勘当を大々的に宣言した、とか。バルバーリ王家が、勘当された彼女と婚約関係を続けているとは到底思えないし、婚約を続けるなら勘当などさせなかったはずだ」

 勘当、という言葉に、私はそっと視線を落とした。

 クロージック家から勘当されているとアランから初めて聞いたとき、予想はしててもショックだった。

 今は亡きお父さまとの思い出全てが、失われたわけだから。

 身を乗り出したリズリー殿下が叫ぶ。 

「あ、あれは、クロージック家が勝手に早とちりしただけだ!」
「しかし、未だに勘当は撤回されていないようだが?」
「きっと今頃、撤回されているはず、だ……」
「なら、後ほど確認してみよう」

 青い瞳に射貫かれた殿下が、身を縮こまらせた。

 彼の様子を見る限り、恐らく勘当は未だに撤回されていないのだろう。
 いえ、そもそも勘当を撤回するよう、クロージック家に伝えているかすら怪しい。

 これ以上話しても埒があかないと判断したアランは、決定的な事実を突きつけた。

「エヴァとあなたの婚約が正式に破棄されたと結論づけた決定的な理由は、バルバーリ国内の貴族に送られた結婚招待状の名前が、エヴァから義妹のマルティに変わっていたことだ。これは何と言い逃れするつもりだ? まだ国外に発表していないから、誤魔化せると思ったのか?」
「そ、それ……は……」

 今まで何とか反論していた殿下の口が、急に重くなった。

 彼の視線が私たちから逸らされ、気まずそうにテーブルの上に移動する。アランに追い込まれた殿下の額には汗がながれ、先ほどからしきりに瞳を瞬いている。

 アランは昂ぶった気持ちを落ち着かせるように肩から力を抜くと、諭すように口調を和らげた。

「以上のことから、彼女を婚約者にしても問題ないと判断したんだ。エヴァは婚約破棄され、不敬罪で国外追放を命じられた。婚約者も祖国も失い、行く当てのなかった彼女に俺が結婚を申し込み、それに応えてくれた。一体どこに問題があるんだ?」

 完全にリズリー殿下は沈黙した。

 とどめとばかりに、アランが口を開く。

「今や彼女は大切な家族の一員であり、この国が守るべき民の一人だ。よってフォレスティ王家は、エヴァの身柄引き渡しを拒否する」
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