精霊魔法が使えない無能だと婚約破棄されたので、義妹の奴隷になるより追放を選びました

第92話 気まずい二人

 ううっ……気まずい。

 執務室から出て廊下を歩く、私とアランの間に流れる無言の空気という名の圧。
 恋人になった次の日に流れる空気感にしては、重すぎるんですけど。

 もちろん、原因は分かっている。
 私が、アランとイグニス陛下の会話を立ち聞きしてしまったからだ。

 いくら陛下から、静かに入ってくるようにご指示があったからとは言え、部屋の会話を聞いていいかは別問題。そこまで頭が回らなかった配慮のなさに、落ち込んでしまう。

 はぁ……

「え、エヴァ?」

 弱々しいアランの声が、後悔の海に沈んでいた私の思考を引き上げる。

 名を呼ばれ彼のほうを見ると、私に会話を聞かれたダメージから立ち直っていないみたいで、恥ずかしそうに表情を歪めていた。私と視線が合うとフイッと逸らされ、自身の足下に視線を落とした。

「さっ、さっきの話……本当に気にしないで? 俺、エヴァを本当の婚約者にすることを伝えに行っただけだから! それなのに兄さん、俺の話を一切聞かず、エヴァと寝室を一緒にしたいんだろ? だなんて言ってきて……」
「そっ、そうだったのね? でもごめんなさい。お二人の会話を勝手に聞いてしまって」
「あれ、全部兄さんが計算した悪ふざけだから、エヴァが罪悪感を抱く必要は微塵もないよ! むしろ、こんなことにエヴァを巻き込んで申し訳ないくらいだ。兄さんが、ほんとごめん」
「謝らないで、アラン。あなたがそう言ってくれてホッとしているし、それに――」

 私は歩みを止めると、下を向いているアランの手をとった。
 驚き、こちらを見る彼に向かって微笑みかける。

「こんなに早く陛下に伝えてくれるなんて思っていなかったから、凄く嬉しくて……」

 少なくとも、陛下に伝えるまで数日は間が空くと思っていたのに。

 改めて、アランが私との婚約に関して、本気なのだと伝わってくる。その事実が、胸の奥をくすぐり、口元が緩むのを抑えられなくなる。

 だけどアランの考えは少し違ったみたい。
 私の手を握り返しながらも、先ほど以上に恥ずかしそうに顔を背けた。

「もっ、もちろん、エヴァと恋人になれたことは嬉しくて堪らないんだけど……こんな朝一に報告に行くなんて、今思えば嬉しいことを真っ先に親に伝える子どもみたいに浮かれてるなって……」

 それも朝食もとらずにだよ? と呟く言葉が弱々しい。

 アランは双眸を閉じると苦虫を潰すような表情で、空いている手でクシャリと黒髪を掴んだ。彼の口から、特大の溜息が洩れる。

「昨日から俺……エヴァにかっこ悪いところを見せてばかりだよ」
「そ、そんなことない! 私は、今まで知ることの無かったあなたの新しい一面が見られて嬉しいもの! アランが、普段人には見せない姿を見せてくれるまで近づけたんだって。それに――」

 アランの手を両手で包み込みながら、私も下を向く。
 触れあった肌から、このドキドキが伝わってしまわないかが怖い。

「私だって、もの凄く浮かれてるから……」

 ただ表に出せないだけ。

 人の目がない場所での浮かれ具合は、客観的に見ても酷すぎると思う。あんな姿こそ、アランには見せられないわ。絶対に引かれちゃう……

 だからアランがイグニス陛下に、朝一で報告に行ったなんて可愛いもの。

 いえ、可愛くてもっと好きってなってしまう。彼が時折見せる子どもっぽさに、キュンキュンしちゃう。

 寧ろもっとこういうのくださいって言いたいけれど、多分アランがますます落ち込みそうだから、私の心に留めておこう。

 少しでも彼の気持ちを軽くできたかと視線だけ向けると、アランはウッと苦しそうに双眸を閉じ、胸元の服を掴んでいた。

 え?
 どういう状況なの、これ!

「だ、大丈夫、アラン? どこか苦しいの⁉」
「……つらい」
「胸が辛いの⁉ お、お医者さま、呼ばないと……」
「呼ばなくていい! 身体の不調じゃなくて、精神的なものだから!」
「精神的なもの⁉」

 もっとタチが悪いんじゃ……
 もしかして、

「わ、私、アランにショックを与えるような酷いことを言っちゃった? だから急に苦しくなって――」
「違う! ち、違うんだ……」

 放そうとした私の手を、彼が引き留めるように強く握った。困惑する私に、アランはどこか諦めたように肩から力を抜く。

「だってエヴァはこんなにも純粋に喜んでくれているのに、それに比べて俺は……兄さんの言うとおり煩悩塗れだなって落ち込んでしまって……」

 煩悩塗れ。
 確か、イグニス陛下が私に向かって仰った言葉だったはず。

 ええっと……陛下の仰ってた煩悩とは恐らく、私と一緒の寝室にしたらアランが理性を保てないという部分をさして――

 全てを理解した瞬間、耳たぶが内側から熱くなっていくのを感じた。
 私の変化を感じ取ったのか、アランが大きく首を横に振ると、慌てて言い訳をする。

「大丈夫だから! エヴァが心配しているようなことは絶対しないからっ‼ だからこれ以上俺に幻滅は――」
「ち、違うの……」

 耳先だけだった熱が、頬にまで到達する。

 真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて、私はアランから顔を背けた。唇から出た声は、自分が想像する以上に弱々しい。

「私だって……同じようなことを考えていたから……」
「え? 同じって……」
「けっ、結婚したら……そういう関係になるんだなって。一人目の子どもは女の子がいいなーとか……」
「こど、も……」
「うん、こども……」

 私の言葉を最後に、沈黙が訪れた。

 大の大人がお互いの手を掴んだまま俯いている、という不思議すぎる状態で……

 ううっ……なんなの、この無言の圧は……
 恋人といるときに流れる空気感じゃないわよね⁉

 沈黙に耐えきれず、口を開いたのは私の方。

「えっと、まだ結婚もしてないのに、こんなことを考えてた私に……幻滅した?」

 自意識過剰というか、はしたないというか。
 それも片想いの段階で一人目は女の子がいいとか思っていたなんて、口が裂けても言えない。

 アランは私を純粋と言ったけれど、私はあなたが思うような綺麗な心の持ち主なんかじゃない。

 それは自分が一番よく分かっている。

 今の発言を聞いたアランが、今どんな顔をしているか見るのが怖い。

 私の方こそ、軽蔑されてたらどうしよう……
 
 次の瞬間、上半身が温もりに包まれた。

 アランの両腕がギュッと私の身体をとらえ、視界の端に黒い髪が映り込む。私の首筋に顔を埋め、擦り寄せる度に、彼の髪が私の頬と耳をくすぐった。

「あ、アラン⁉ まって……ここだと人の目が……」

 私たちの関係はまだ周囲には秘密なのに、こんな場所で抱きしめられたらばれてしまう。

 慌てて視線を周囲に向けると、幸運なことに廊下には誰もいなかった。

 ホッとする私の耳に、アランの何かに耐えるような苦しそうな声色が届く。

「エヴァ……反則だよ、反則すぎる」
「は、反則⁉」

 一体何に対する反則なの⁉

 戸惑う私とは正反対に、アランが抱きしめる腕の力を強くする。

「エヴァの可愛さは知り尽くしたと思っていた俺が浅はかだった……」
「あ、え……? アラン?」
「まったく……底がしれないよ。毎回不意打ちを食らう俺の身にもなって?」

 言っている意味が全く分かりません!

 とりあえず、アランが私に幻滅しなかったってことで、喜んでいいのか……な?
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