エレベーターから始まる恋
「あ、あのすみません。私名刺持っていなくて…」

名刺交換が行われている場で、私だけ渡せる名刺がないことを申し訳なく思いながら上目で彼を見る。

すると、僅かに口元を緩め、あの色気のある低音ボイスをこぼした。

「…いえ、大丈夫ですよ」

それだけ言い、郡司さんは席に戻りやがてミーティングが始まった。

よく見ると、あの江藤さんもメンバーにいた。
郡司さんの隣に腰掛け、とても綺麗な所作で資料をめくっている。

私の唯一の取り柄である文章力で議事録係に抜擢されているはずだが、今日は会話の内容をなかなか上手く整理できない。

むしろ郡司さんが喋るたびにその声に耳が傾き、手が止まってしまう。
江藤さんの存在も気になって仕方がない。

それでも何とか頭をフル回転させ、ミーティングの内容を簡潔に、要点を掻い摘んで書き上げる。

挨拶や、単純な会話しかしたことがない。
郡司さんがこんなに喋っているところ、初めて見た。
とても穏やかな話口調で、その内容にはこちらが求めている情報がちょうど良い塩梅で含まれている。

部長…だったんだ。
私みたいな平社員の平凡事務員じゃ、手の届かない存在だ。
恋するよりも、ただの憧れであればどれだけ楽だったか。
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