貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
「新人に初日から訴えられたくなければおやめください」

川村、と呼ばれたその人は濃紺のスーツに薄いブルーのネクタイ姿。背は高く、ふう君とそう変わらなさそうだ。真っ直ぐな黒い髪の前は少し長めで、かけている黒縁眼鏡に少しかかっている。だからなのか、表情はわかりにくい。いや、元からなのかも知れないけど。

「はいはい。わかりましたよ。じゃあ川村。案内よろしく。俺は会社に戻る」

不機嫌な様子を隠そうともせず専務は私から離れるとそう吐き捨てるように言う。それから私の顔を覗き込むと、またなんだか胡散くさくも見える笑顔を見せた。

「じゃあ朝木さん。またあとで」
「はい。よろしくお願いします」

私のその返事に手を上げると、専務は人の隙間を縫うようにエレベーターホールに向かっていった。

「……では、こちらです」

川村……さん、は抑揚のない低い声で私にそう言うと踵を返す。私は「はいっ!」と勢いよく返事をするとその広い背中について歩いた。

新入社員用に並べられた椅子の間を通り抜け、椅子の背に『旭河スピンコーポレーション』と貼られた場所までやって来た。これが私の就職した会社の名前だ。
そしてその2つある席の一つには先客がいて、私達を確かめるようにその人は振り向いた。

「あ、与織子ちゃーん!」
「桃花ちゃん!久しぶり~!」

手を取り合ってキャッキャ言い合う相手は唯一の同期になる山田(やまだ)桃花(ももか)ちゃんだ。内定式で意気投合して連絡先も交換した仲なのだ。

「朝木さん、山田さん。式が終わったらまた迎えに来ますから、ここで待機しておいてください。では」

 川村さんは、テンションの高い私達に多少呆れ気味にそう言うと去って行った。
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