全てを失っても幸せと思える、そんな恋をした。 ~全部をかえた絶世の妻は、侯爵から甘やかされる~

彼女のために、一生仕える従者になると決意した彼

 デルフィーは、唯一彼女の名残があるベッドに腰かけ、何もない部屋をぼんやりと眺めながら、彼女と出会ってからの時間を思い出していた。
 彼の瞳からは、もう枯れたと思っていた涙が、また溢れていた。

 デルフィーが初めてアベリアに出会った日。
 部屋いっぱいの高価な家具やドレスを持ち込む彼女のことを、物を欲しがる傲慢な女性だと勘違いした。
 共に過ごしていくうちに、アベリアは欲とは無縁の生き方をしている事が分かった。
 自分が止めても、彼女は誰かの為に惜しげもなくお金を使っていたし、貴重な香辛料を使った料理も、一緒に食べなきゃ意味がないと当たり前に振舞ってくれた。
 そんな彼女もやはり裕福な貴族の娘だと気づかされたのは、土埃が立つブドウ畑でさえ上等なドレスを身に纏っていたからだ。
 その姿を見て、やっぱり彼女は、自分には与えられない高価なものに囲まれる暮らしを望んでいると勝手に想像した。

 デルフィは―首を左右に動かし、侯爵夫人の部屋を隅々まで見回した。

 彼女は、彼女が持っていたもの全てを手放していたのに、自分は何も知らなかった。
 全部を手放した彼女が望んだのは、自分と共に生きて行くことで、それ以上に欲しいものは何もないと言ったんだ。
 振り返って見れば、彼女の口から彼女の気持ちを聞いたのは、あの夜しか無かった。
 自分はいつも、顔に出やすい彼女の気持ちを、見ていただけだった。
 彼女がいつも以上に笑っている時は、何かを隠す作り笑いだったんだ…………。
 自分の気持ちを言葉にしない彼女の性格を知っていたのに、なぜ、そんなことに気づけなかったのか。

 
 自分では、彼女に幸せを与えられないと勝手に決めつけた。
 ケビンへの葛藤のせいで、彼女に自分の気持ちを伝えられないままだった。
 最低な自分は、彼女から全部言わせて彼女から大切なものを貰った。そのくせ、彼女が望んだからと心のどこかで言い訳をした。彼女から貰った全てが、言葉に出来ない位に嬉しかったのにだ。
 自分だって、彼女と一緒にいたかったし、ケビンから奪いたかった。そう思ったから彼女を抱いて、覚悟の上で己の欲を彼女へ注いだ。
 なんて男だ…………。
 そんなんだから、自分は望んでもいない爵位と豪華な邸をケビンから受け取り、自分の子を宿している彼女を失いかけているんだ。


 昨日見つけた、彼女が持っていた赤い花の球根……。

 デルフィーは、王都の邸へ到着するまで、ケビン従兄を殺めたのは、彼女ではないかと想像した己の愚かさを責めていた。

 昨日、この邸に到着してから部屋で休んでいた彼女には、出来る訳がなかった。
 ましてや、彼女が大切にしているマネッチアへ、そんな事を頼む彼女ではないことは、よく分かっている。

 自分の前に突然現れた彼女。それだって違和感があったんだ。
 相手の事をいつも気にする彼女が、先ぶれもなく領地へやって来た事がそもそもおかしかった。
 あの彼女が、予め手紙を書く余裕も無い何かが、この邸で起きていたんだ。
 たった1人の侍女しか頼れる者がいない彼女が生きていくには、急いでこの邸を出る以外、無かったということか……。
 それなのに、何も気づかず彼女をこの邸へ返そうとした。
 デルフィーは、不甲斐ない自分を責めていた。

 少しもアベリアには敵わない。
 そんな自分は、彼女の横に並べる訳が無い。
 ケビンから奪ってまで手に入れたかった彼女。その愛おしい彼女は、いつまでも自分が尊敬する主のままでいい。
 絶対に彼女を探し出し、2人の関係が2度と揺るがない大切な契約を結ぶ。
 
 デルフィーは、気持ちを上手く口に出せないアベリアが、幸せに過ごせる未来を想像した。
 新しいヘイワード侯爵は、アベリアをとことん甘やかす気でいる。
 

 賢い彼には、ケビンが亡くなった原因は直ぐに分かった。
 もちろん、彼女が窓辺に答えを置いていたのだから。
 彼女に毒を仕掛ける理由は容易く想像もつくし、理由も分かる。
 ただ、当主を殺めることについては、その犯人に一切の利が無いどころか、邸を追い出される不利益しかない。
 そのことが、デルフィーには分からなかった。

 ヘイワード侯爵家の当主となったデルフィーの初めての仕事は、この邸のネズミ退治から始まる。
 だけど、そのネズミは余りにもお馬鹿で、自分からやって来る。


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