わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
4.だけど、わたしは
太陽がジリジリと肌を焼く。ふぅ、とため息を一つ、わたしは額の汗を拭った。
(やっと終わった)
今日は二週間に一度のあおぞら診療の日だ。足腰が弱っていて診療所に来るのが難しい人や、お金がなくて診療所に来れない人たちの所に行って、体調を確認して廻る。体調を確認するだけだったらお金は要らない――――所謂ボランティア事業だ。
(と言いつつ、こそこそっと治療してたりするんだけど)
あおぞら診療を担当するのは、わたしのような新人の魔術師達だ。このため、本来ならば報酬の発生する診療行為であっても、『勉強のため』という名目をこじ付けて、こっそりと治療を行うのが伝統になっている。診療所のトップである所長が黙認しているため、雇用元――――国にバレない限り、問題になることは無い。
「おーーい、アルマ! アルマだよな!」
荷物を纏め、もう一度ため息を吐いたその瞬間、快活な声音がわたしを呼ぶ。太陽の光を燦燦と浴び、引きちぎれんばかりに手を振っているのは、わたしの夫であるヴェルナーだ。全速力でこちらに向かっているらしく、段々と距離が近づいてくる。
「ヴェルナー!」
小走りで手を振れば、ヴェルナーは至極嬉しそうに笑った。
「良かったぁ! 今日は町に出るって聞いてたし……もしかしたら会えるかもしれないと思って、ずっと探してたんだ」
はぁはぁと息を切らし、ヴェルナーは額の汗を拭う。
「そんな……わざわざ探さなくても大丈夫だったのに」
「アルマが大丈夫でも、俺がっ、大丈夫じゃない! だって、仕事中のアルマに会えるのって貴重だし、すっげぇ嬉しいし! その服……めちゃくちゃ似合ってるし」
周りに人が居るわけでもないのに、最後の言葉だけを耳元で囁かれ、何故だか背筋がビリビリと震える。熱が出た時みたいに耳が熱くなって、わたしは思わず後退った。
「そっ……そんなの、普段と変わらないでしょう?」
「違う、違うんだよアルマ」
分かっていない、といった表情で、ヴェルナーは激しく首を横に振る。そのあまりの勢いに、わたしは目を瞬いた。
「普通の白とは一線を画した魅力がその制服にはあるんだって。清楚で上品で、触っちゃいけないような、寧ろ汚したくなるような――――」
「……何よ、それ」
何やら邪なものを感じ取って眉間に皺を寄せれば、ヴェルナーはんん、と咳ばらいをする。よく見たら、顔が真っ赤に染まっていた。
「とっ、とにかく! 見ているだけで元気になるんだよ!」
そう言ってヴェルナーは、わたしの両手を包み込む。周りの目が気になるせいか、心臓がトクントクンと鳴り響いた。
(ふぅん……そっか。そういうものなんだ)
わたしとしては、毎日着ている服だし、なんら特別な要素はないように思う。だけど、少なくともヴェルナーにとっては違うんだってことがよく分かった。
彼は未だ、わたしのことを上から下まで眺めつつ、嬉しそうに笑っている。『可愛い』とか『綺麗』とか、聞いてて恥ずかしくなるような褒め言葉がいくつも飛び出して、あまりのむず痒さに顔を背けたくなる。
(――――他の子が着ていても、同じことを言うのかな?)
「へっ?」
素っ頓狂なヴェルナーの声に、わたしは彼と一緒になって目を見開く。
「あっ…………!」
その時になって初めて、考えていたことが口に出ていたんだってことに気づいた。だけど、慌てて口を閉じてみても、もう後の祭で。
「そんなこと、ある筈ないだろ!」
興奮した面持ちのヴェルナーに、ギュッと力強く抱き締められていた。
恥ずかしさと気まずさから、わたしは思わず下を向く。だけどヴェルナーは、そんなわたしの頬を両手で包み込み、半ば強引に上向けてしまった。
「俺がそういう目で見るのはアルマ限定だから! そこは勘違いされたら困る」
「いっ……いや、さっきのは、その……勘違いっていうか…………」
「俺は! アルマだから制服姿を見たいし、会いたい、抱き締めたいって思う」
甘ったるい言葉が熱く喉の辺りを締め付ける。鼓動がトクトクとうるさいし、全身が熱くて堪らない。訳も無く潤んだ瞳をそのままに、眉間に皺を寄せた――――その時だった。
(あっ……)
風に乗り、花のような香りが漂ってくる。甘過ぎて、咽返りそうな、毒々しい香りだ。心臓がさっきまでとは違う方向に、ドクンドクンと鳴り響く。全身から血の気が引き、冷たい汗が流れ落ちた。
「好きだよ、アルマ」
囁かれた愛の言葉は、全く胸に響かない。
ヴェルナーはわたしの頬を優しく撫で、頬や額へと口付ける。その度に、彼のものではない香りが鼻腔を擽った。
「アルマ」
塞がれた唇からは、温度も感触も、何も感じない。まるで人形になったかのように、心も身体も空っぽで、何だか物凄く虚しかった。
「アルマ――――愛してる」
請う様に、誓う様に、何度も何度も名前を呼ばれ、わたしは堪らず視線を逸らす。
(ヴェルナー……だけど、わたしは――――)
口から出かかったそんな言葉を必死で呑み込み、わたしは曖昧に微笑むのだった。
(やっと終わった)
今日は二週間に一度のあおぞら診療の日だ。足腰が弱っていて診療所に来るのが難しい人や、お金がなくて診療所に来れない人たちの所に行って、体調を確認して廻る。体調を確認するだけだったらお金は要らない――――所謂ボランティア事業だ。
(と言いつつ、こそこそっと治療してたりするんだけど)
あおぞら診療を担当するのは、わたしのような新人の魔術師達だ。このため、本来ならば報酬の発生する診療行為であっても、『勉強のため』という名目をこじ付けて、こっそりと治療を行うのが伝統になっている。診療所のトップである所長が黙認しているため、雇用元――――国にバレない限り、問題になることは無い。
「おーーい、アルマ! アルマだよな!」
荷物を纏め、もう一度ため息を吐いたその瞬間、快活な声音がわたしを呼ぶ。太陽の光を燦燦と浴び、引きちぎれんばかりに手を振っているのは、わたしの夫であるヴェルナーだ。全速力でこちらに向かっているらしく、段々と距離が近づいてくる。
「ヴェルナー!」
小走りで手を振れば、ヴェルナーは至極嬉しそうに笑った。
「良かったぁ! 今日は町に出るって聞いてたし……もしかしたら会えるかもしれないと思って、ずっと探してたんだ」
はぁはぁと息を切らし、ヴェルナーは額の汗を拭う。
「そんな……わざわざ探さなくても大丈夫だったのに」
「アルマが大丈夫でも、俺がっ、大丈夫じゃない! だって、仕事中のアルマに会えるのって貴重だし、すっげぇ嬉しいし! その服……めちゃくちゃ似合ってるし」
周りに人が居るわけでもないのに、最後の言葉だけを耳元で囁かれ、何故だか背筋がビリビリと震える。熱が出た時みたいに耳が熱くなって、わたしは思わず後退った。
「そっ……そんなの、普段と変わらないでしょう?」
「違う、違うんだよアルマ」
分かっていない、といった表情で、ヴェルナーは激しく首を横に振る。そのあまりの勢いに、わたしは目を瞬いた。
「普通の白とは一線を画した魅力がその制服にはあるんだって。清楚で上品で、触っちゃいけないような、寧ろ汚したくなるような――――」
「……何よ、それ」
何やら邪なものを感じ取って眉間に皺を寄せれば、ヴェルナーはんん、と咳ばらいをする。よく見たら、顔が真っ赤に染まっていた。
「とっ、とにかく! 見ているだけで元気になるんだよ!」
そう言ってヴェルナーは、わたしの両手を包み込む。周りの目が気になるせいか、心臓がトクントクンと鳴り響いた。
(ふぅん……そっか。そういうものなんだ)
わたしとしては、毎日着ている服だし、なんら特別な要素はないように思う。だけど、少なくともヴェルナーにとっては違うんだってことがよく分かった。
彼は未だ、わたしのことを上から下まで眺めつつ、嬉しそうに笑っている。『可愛い』とか『綺麗』とか、聞いてて恥ずかしくなるような褒め言葉がいくつも飛び出して、あまりのむず痒さに顔を背けたくなる。
(――――他の子が着ていても、同じことを言うのかな?)
「へっ?」
素っ頓狂なヴェルナーの声に、わたしは彼と一緒になって目を見開く。
「あっ…………!」
その時になって初めて、考えていたことが口に出ていたんだってことに気づいた。だけど、慌てて口を閉じてみても、もう後の祭で。
「そんなこと、ある筈ないだろ!」
興奮した面持ちのヴェルナーに、ギュッと力強く抱き締められていた。
恥ずかしさと気まずさから、わたしは思わず下を向く。だけどヴェルナーは、そんなわたしの頬を両手で包み込み、半ば強引に上向けてしまった。
「俺がそういう目で見るのはアルマ限定だから! そこは勘違いされたら困る」
「いっ……いや、さっきのは、その……勘違いっていうか…………」
「俺は! アルマだから制服姿を見たいし、会いたい、抱き締めたいって思う」
甘ったるい言葉が熱く喉の辺りを締め付ける。鼓動がトクトクとうるさいし、全身が熱くて堪らない。訳も無く潤んだ瞳をそのままに、眉間に皺を寄せた――――その時だった。
(あっ……)
風に乗り、花のような香りが漂ってくる。甘過ぎて、咽返りそうな、毒々しい香りだ。心臓がさっきまでとは違う方向に、ドクンドクンと鳴り響く。全身から血の気が引き、冷たい汗が流れ落ちた。
「好きだよ、アルマ」
囁かれた愛の言葉は、全く胸に響かない。
ヴェルナーはわたしの頬を優しく撫で、頬や額へと口付ける。その度に、彼のものではない香りが鼻腔を擽った。
「アルマ」
塞がれた唇からは、温度も感触も、何も感じない。まるで人形になったかのように、心も身体も空っぽで、何だか物凄く虚しかった。
「アルマ――――愛してる」
請う様に、誓う様に、何度も何度も名前を呼ばれ、わたしは堪らず視線を逸らす。
(ヴェルナー……だけど、わたしは――――)
口から出かかったそんな言葉を必死で呑み込み、わたしは曖昧に微笑むのだった。