『政略結婚は純愛のように』番外編集
 加賀家の夜の庭に、しんしんと雪が降り積もっている。
 由梨は温かいリビングのソファに座り、テレビのニュースを観ている。

『加賀ホールディングスが今井コンツェルン北部支社へTOBをかけることが発表されて二週間が経ちました。事態は依然として緊迫した状態が続いています。水面下では厳しい駆け引きが行われているようですね、山田さん』

『はい、もともと今井コンツェルンの中でも北部支社は特殊なところでして、今井コンツェルンと加賀ホールディングスの共同出資のような形で設立されたんです。ですから役員もそれぞれから派遣する形をとっている。加賀ホールディングスの社長である加賀隆之氏は約6年前に北部支社の副社長に就任し、その後社長を務めていましたが、この一件により代表取締役を即日解任されています』

『今井財閥からの報復ですね。ですがこのままでは終わらせないといったところでしょうか』

『そうでしょう。加賀氏は財界ではキレものとして知られていますからね。ここ数年今井コンツェルンは連結赤字が続いていますが、加賀氏が率いる北部支社だけが黒字です。今回のTOBでは株主たちの動向が鍵となるわけですが、加賀氏の方が優勢だという声は少くありません。専門家の中には、今井財閥の終わりの始まりだと言う見方も……』

 画面の中でアナウンサーと、コメンテーターが激論を交わすのをジッと見つめる由梨の前に、温かい飲み物が入ったカップがコトリと置かれる。
 秋元が由梨の隣に座り、眉を寄せた。

「旦那様も、なにも由梨さんが一番大変な時にことを起こさなくてもいいのに」

 コップの中身は蜂蜜を入れた生姜湯だった。美味しくて身体が温まるから、最近の由梨のお気に入りだった。

「ありがとうございます」

 ひと口飲むと途端に優しい甘さが口いっぱいに広がる。心まで温かくなるから不思議だった。

「マスコミが家に来ることくらい旦那様なら、予想できていたはずなのに。まったく、由梨さんになにかあったらどうするおつもりなのかしら」

 ここ二週間はずっとマスコミが家に張り付いている状態だった。
 隆之の妻が今井家出身の由梨であることは周知の事実なのだから、お家騒動として面白おかしく取り上げている局もある。
 家に張り付いている記者の中には、週刊誌やワイドショーの類も少なくはなかった。

「この寒さでも、まだ外にいるんでしょうか」

 由梨が言うと秋元はぷりぷりとして答えた。

「雪を甘くみてる東京モンばっかりですからね。そんなとこに車を停めて中で一晩過ごしたら朝には冷たくなっていますよって言って回ったら、皆慌てて帰りましたよ。ま、朝になったらまた来るでしょうけど」

 その言葉に由梨は思わず噴き出してくすくすと笑った。

「隆之さんはきっと、秋元さんがいればマスコミが来ても大丈夫って思ったんですね。ふふふ」

「あらまぁ、ふふふ。確かにそうかもしれません」

 実際のところ彼女には随分助けられていた。はじめての妊娠、夫の不在、頼れる家族もいない由梨がこんなに穏やかに過ごせているのは、紛れもなく秋元のおかげだ。

「ところで、旦那様からの連絡はあるんですか」

 尋ねられて由梨は頷いた。

「はい、毎日必ず」

 由梨の体調を心配する電話かメールを受け取る。離れている寂しさを紛らわすことはできなくても少しは慰められている。

「……ご実家からは?」

 それにも由梨は頷いた。

「そっちも毎日。……電話には一度も出ていませんが」

 叔父からのメールと着信は、毎日どころか頻繁にある。だが由梨は、隆之の居場所を尋ねるメールに知らないと一度返信をしてからは、ずっと無視し続けている。
 でも今日届いたメールは無視をするわけにいかなさそうな内容だった。
 来週末、父と祖父の法要を前倒しで行うから参加しろというものだ。祖父はともかく父となれば娘の由梨が参加しないわけにはいかないだろう。
 もちろん由梨を呼び出すための口実だということはわかっている。

 わかってはいるけれど……。

 由梨はしんしんと降る雪を見つめて考える。
 隆之には隆之の闘いがあるように、由梨にも由梨のやるべきことがあるような気がしている。
 冷遇され続け、いい思い出などなくとも今井家が由梨の実家であることは間違いない。
 揺るぎない権力を築いてきた今井家が、傾きつつある。
 ニュースの画面に映し出される伯父の写真をジッと見つめて、由梨はある決意を固めていた。
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