『政略結婚は純愛のように』番外編集

3

「おー! 笑った、笑った、ご機嫌さんだ」
 沙羅を抱いた隆信が、嬉しそうに声をあげる。
 隣で、彼の身の回りの世話をしているヘルパーの佐藤が顔を綻ばせた。
「まぁ、ほんと! ふふふ、こんなに可愛らしい赤ちゃんははじめて見ましたよ。笑うと口元が加賀さんそっくりじゃないです?」
「やっぱりそう思うか? 息子に似てると秋元さんは言うんだが、どちらかというと俺だよな」
 その様子に由梨は秋元と目を合わせてくすりと笑った。
 隆之が深刻な表情で携帯を見ていたあの日から二日が経った今日、由梨は再び隆信のところを訪れた。
 隆信に抱かれることにすっかり慣れた沙羅は、手と足をバタバタさせてご機嫌だ。
 表情がしっかりしてきてよく笑う。隆信の腕をキックして、「あー!」と可愛い声をあげた。
「ははは、ご機嫌だ。佐藤さん、動画を撮ってくれ」
「はいはい、ただいま。ふふふ、ほんっとうに可愛らしい! 絶対に、ママみたいな美人さんになりますね、加賀さん」
「ああ、間違いない」
 ソファに座り、お茶を飲みながら見守っている由梨と秋元そっちのけでふたりは盛り上がる。どうやら人は赤ちゃんを見ると、両親のどちらに似ているかとか、将来どうなりそうだとか話したくなるようだ。
 ここへ来ると大抵ふたりは同じような話をしてる。それでもまったく飽きないで楽しそうなのがおかしかった。
「由梨さんに似た美人さんになったら年頃には、ぼっちゃまは気が気じゃなくなるんじゃないかしら? あちらこちらから縁談が来るだろうし」
 秋元もソファから参加する。
「縁談か、あまり考えたくないな……」
 隆信が答えた。
「髪は息子さん似ですね? ちょっとくせ毛なのが、可愛らしい」
 佐藤の言葉に、隆信が昔を思い出すように目を細めた。
「そういえば、隆之が生まれた時は、このくせ毛に皆驚いたんだったな」
 秋元に確認するように言う。
 思わず由梨は口を挟んだ。
「隆之さんが生まれた時、ですか?」
 隆信が由梨に視線を移した。
「ああ、俺も妻も髪は真っ直ぐだからね」
 言われてみればそうだった。隆信は隆之と容姿はよく似ているが、隆信の髪は真っ直ぐだ。写真の中の彼の母もくせ毛ではなかった。
「いったい誰に似たんだという話になってね。加賀家にはご先祖さまの肖像画が描かれた掛け軸があるんだ。特別な時にだけ出してくるんだが、……剛腕で知られていたあるご先祖さまが、隆之と同じようなくせ毛なんだよ」
 秋元が懐かしそうに声をあげた。
「生まれ変わりだ! なんて言われていましたね。ふふふ、あの頃、奥さまのお世話をさせていただいていた私も何度も耳にしましたわ」
 隆信が頷いて、由梨に説明をする。
「飢饉が続いて貧困に喘いでいた領民を救い、藩の財政を立て直した方だと伝わっているご先祖さまだ」
「これで加賀家は安泰だ! なんて、親戚の皆さま、おっしゃって。ふふふ、奥さまちょっと困惑されていましたわ」
「皆大袈裟だからな。実際、似たのはくせ毛だけだったようだが」
 隆信が言う。
 佐藤が口を挟んだ。
「あら加賀さん、そんなことないでしょう。息子さんの活躍は私みたいな普通のおばちゃんの耳にも入ってくるくらいですよ。ほらこの間の買収の件だって……」
 と、そこまで言いかけて慌てて口を閉じている。買収の件とは今井財閥に刃向かって、北部支社を傘下に入れた件だ。
 由梨が今井家出身の人間だと気がついたのだろう。
「あの、大丈夫です」
 彼女を安心させるように由梨が言うと、彼女はホッと息を吐いた。
 その由梨に優しい眼差しを向けてから、隆信が眉を寄せた。
「あの件だな。まぁ、結果としてはよかったが、俺からしたら、やり方が気に食わん。ことを荒立てては、不必要な敵を作ることになる。欲しいものを欲しいのだと、周りに知られているようではまだまだだ。本当に欲しいものは、欲しくないような顔をして手に入れなくては」
 隆信の言葉に、佐藤と秋元が「んまっ!」と言って口を閉じた。
 引退し、今は穏やかな生活を送る隆信もまた、昔は剛腕で知られていたという。
 この街の顔としてリーダーシップを発揮する隆之も、父親からすればまだまだということなのだ。それがなんだか微笑ましくて、由梨の口元に笑みが浮かぶ。
 隆信がそんな由梨に気がついた。
「由梨さんには、こんな年寄りの話は退屈かな?」
「いいえ」
 由梨は首を横に振った。
「隆之さんの昔のお話をお聞きできるのが嬉しいです。お家のことも私、まだまだ知らないことばかりですから」
 お世辞でもなく本当の気持ちだった。
 訪問の際に、秋元と隆信の間で交わされる昔話を聞くのは、由梨の密かな楽しみになっていた。
「もっとたくさん聞かせてください。いつか沙羅が大きくなったら、聞かせてあげたいと思います」
 隆信がにっこりと笑った。
「隆之は、女性を見る目は確かだったな」
 突然の褒め言葉に不意を突かれて、由梨は目をパチパチさせる。
 代わりに秋元が満足そうに頷いた。
「ええ、ええ、そうですともそうですとも」
 一方で、佐藤はため息をついた。
「本当にうらやましいご夫婦で……。それにくらべてうちの娘夫婦は……」
 隆信が首を傾げた。
「おや? 佐藤さん。佐藤さんとこの娘さん夫婦がどうかしたのか? 確か近くに住んでちょくちょく顔を見せるとかで、関係はいいと聞いているが……」
「ええ、そうなんですけど。それが、今揉めてるようなんです。最近ちょっと娘の様子がおかしくて、あまりに頻繁に実家に帰ってくるものだから問いただしたんですね。そしたらどうやら婿が浮気をしたとか言って……」
 秋元が「まぁ!」と声をあげて、険しい表情になる。
 隆信が尋ねた。
「お婿さんはいくつだったかな?」
「二十八です」
「二十八か、まだ若いな。まあ、若ければ、少しくらいは……」
 と、そこまで言いかけて、秋元と佐藤に睨まれて慌てて口を閉じる。少しわざとらしく咳払いをして、腕の中の沙羅に視線を落とした。
「……けしからんな」
 佐藤が憤った。
「まったくそんなことをするように見えない人だったから、こっちまでショックを受けちゃって。でももっとかわいそうなのは娘です。すっかり元気をなくしちゃって……」
 秋元が大きく頷いて同情するような声を出した。
「人は見かけによらないんですね。善人ぶって裏切る方が、罪は重いと私は思います」
「そうでしょう⁉︎ まったくなにを考えているのやら。家事にも育児にも協力的ないい旦那さんだったのに……」
 もはや隆信と由梨そっちのけで話し始める。隆信にとってはその方が都合がいいようで「由梨さん、そこのお茶を取ってくれんかな?」と我関せずのスタンスである。
「はい」と答えて由梨はお茶を持っていく。代わりに沙羅を抱き取った。
 その間も、ふたりの怒りのトークは続いている。
「もともと出張の多い仕事だったのが災いしたんです。仕事と言われたら、送り出さないわけにはいかないじゃないですか!」
「そうですよねぇ。だけどどうして発覚したんです?」
「……携帯ですよ」
「携帯?」
 そのワードに、怒りのトークを聞くともなく聞いていた由梨の胸がつきんと鳴った。
 二日前に難しい顔で携帯を見ていた隆之の姿が頭に浮かんだからだ。
「家にいる間に、やたら携帯を見るようになったんですって。なんだがニヤニヤして。それから、娘とのやり取りでもどうも違和感があったみたいですよ。スキンシップを嫌がるとか。ひとつひとつは些細なことだけど、ピピッときたって娘は言ってました」
「女の勘はたいてい当たりますからねぇ……」
 頬がこわばるのを感じて由梨は沙羅をあやすふりをして彼らに背を向ける。
 不安な気持ちが胸に広がった。
 佐藤の婿の話と、隆之は完全にはあてはまらない。
 彼は携帯をしょっちゅう見ているわけではないし、ニヤニヤもしていない。むしろその逆で、険しい表情をしていたのだ。
 でも彼がプライベートの携帯を見て、普段とは違う様子だったのは事実だ。しかもそのあと由梨を避けるように……。
 とはいえ、昨日と今日の彼はまったくいつもと変わらなかった。
 ……大丈夫、あれはきっと気のせいだ。
 腕の中で可愛いあくびをする沙羅を見つめて由梨は自分に言い聞かせた。
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