どうしても君に伝えたいことがある
第1章 日常
 今日も聞き慣れたスマートフォンのアラームで目を覚ます。なんて耳障りな音なんだろう。眠くて目を覚ますために、とりあえず動画配信サービスのアプリを開く。そして私へのおすすめと出ている動画をタップし、動画を一本見始める。動画を見ながら重たい身体を起こしてベッドから出る。そしてリビングがある一階へと降りた。

 扉を開けると温かい匂いがして、キッチンの前で立っている母に「おはよう。」と目を擦りながら私は言った。そんな私を見てお母さんは「おはよう(なぎさ)、顔洗っておいで。」と微笑みながら言った。

 お母さんに言われた通り洗面所に向かい、水を出した。夏だからこの冷たさがちょうどいい。手をお椀のようにして、顔にバシャバシャと水をかけた。これでれちょっとは目が覚めるはず。洗顔とスキンケアを済ませて、リビングへと向かう。

 4人掛けのダイニングテーブルの上には、1人分の朝食がある。トレーの上には白ごはんが入ったお茶碗に、お味噌汁が入ったお椀に、ウインナーと卵とキャベツが乗ったお皿があった。そのトレーが置いてある席に私は座り、隣の席にお母さんが座るのを待つ。お母さんが同じものが載っているトレーを持って座ると、2人とも手を合わせて「いただきます。」と言い、朝食を食べ始めた。テレビのニュース番組を私はつまらなそうに見ながら朝食を食べる。ニュース番組が面白くないから、テレビのリモコンを取る。そして録画番組からお笑い番組を選んで、見始める。

 お母さんと2人で朝食を食べることが、もう何年も習慣となっている。こうなったのは私が中学生になってすぐくらいだ。それまでは朝の準備が忙しいお母さんだけが、家族みんなを見送った後に朝食を食べていた。私はというと父と兄と一緒に食べていた。しかし中学生になり、私は朝食を食べる時間に起きることなくなった。昼過ぎまで寝ているということがほとんどになり、次第に学校へ行かなくなった。その生活習慣が改善されても、父と兄が外出したことを確認してリビングへと降りて、朝食を食べていた。父と兄とは顔を合わせたくない、ご飯を一緒に食べるなんて更に嫌だ。今は高校に遅刻せず行くために、父が起きるよりも早い時間に母と一緒に食べている。兄は大学進学を機に地元を離れ、県外に出た。父は私が家を出てから起きるため、顔を合わさずに済む。

 私は朝食を食べ終わり、「ごちそうさまでした。」と言ってトレーごとキッチンへと運んだ。お皿やお箸をシンクに置き、少し水をつける。そして部屋に戻り、学校へ行く準備を始める。

 制服を着る時、動悸を気にしない為に好きな曲を流す。これは中学の時からしていたことで、学校へ行くということが私を緊張状態にさせるからだ。中学の頃は制服を着るということを考えるだけで吐き気を催していたが、今ではそれも無くなった。

 制服を着て、寝癖を直す。寝相が酷いからというのと、癖毛だからストレートアイロンで髪の毛を真っ直ぐにする。セミロングより伸びてしまったら毎朝するのは面倒くさいな。ストレートパーマでもしようかな。校則でヘアアイロンの使用は禁止されているが、みんな破っている。もちろん、ストレートパーマも禁止だ。巻き髪がダメなのは分かるけれど、なぜ真っ直ぐにするのがダメなのか私には全く理解できない。

 私が通っている田西高校は偏差値が低いからなのか、やけに校則が厳しい。スマートフォンや、ゲーム機などは校内で使用禁止だ。授業中ならまだしも、休み時間や放課後なども使用してはいけない。使用していることがバレると、反省文に加えて二週間ほど朝掃除に参加しなくてはいけない。

 田西の生徒を思い浮かべると校則が厳しい理由が分かる気がする。田西は頭の悪い高校、不良が通う高校として県内でも有名だ。田西は出席日数が全然なく、他の高校だと入学試験さえ受ける資格を貰えない生徒でも入学試験を受けさせてくれる。これは成績や内申点が悪い生徒も同じだ。偏差値が高い高校は、言われなくてもしてはいけないことを分かっているからだからだろう。

 田西には普通科しかなく、進学コースと特進コースという2つのコースしかない。学年の2割が特進コースで、残りの8割が私が選択している進学コースだ。その中の3割が成績や内申点の悪かった生徒、2割が部活動などで田西に来たかった人、3割が不登校だった生徒だ。3割も不登校の生徒を受け入れているからか、別室登校や保健室へ顔を出したことで出席と認められるなど、制度がしっかりしている。

 世間の評判的にはあまりいい高校ではないが、私には選択肢を与えてくれた高校だからそんなに悪い高校だとは思っていない。田西が無ければ私の進学の選択肢は、定時制の高校か通信制の高校という2つだった。しかし田西のおかげで、この2つに私立田西高等学校という選択肢が加わった。私はギリギリまで進路に悩み、田西を受験することにした。受験は国語、英語、数学の3教科の試験と、面接だった。面接は学校で、試験は塾で対策をして無事に私は田西へ合格した。

 髪の毛を真っ直ぐにした私は、日焼けしないために顔や首、足に日焼け止めを塗った。まだ6月上旬だけど、日焼けはしたくない。長袖のシャツを着ることで、腕を塗らなくて済む。夏になっても長袖を着る気がする。暑いけど、塗る面倒くささに比べたらまだマシだ。田西の女子生徒は、夏でも長袖シャツを着ている人が多いらしい。


 スマホのアラーム音が鳴り、画面を見るともう家を出る時間だった。一階に降りて、イヤホンを片耳外し、リビングにいる母に急ぎながら声をかける。「いってきます。」お母さんの「いってらっしゃい。」という返事を聞きながら、玄関を出た。


 玄関を出てイヤホンを付けて駅までの道を歩く。まだ7時30分なのに外は暑い。日焼け対策と、暑さを和らげるために日傘を差す。駅までの道はほとんど一本道でつまらない。最寄り駅と言いながら、家から駅まで歩くと15分くらいかかる。好きなお笑い芸人のラジオ番組を聴きながら、駅へと向かう。

 最寄りの横沢駅は数年前に改装され、綺麗になった。改装される前はとても古くて歴史ある駅だった。そこで本を読むのが好きだったから、新しくなってちょっと寂しい。駅に着くと既に電車が来ていた。始発駅だから、暑いホームで待つ必要がない。弱冷房車と書かれている車両ではなく、その隣の車両に乗る。端が空いている席を探し、座る。端の席は安心するから、自然と端の席に座ってしまう。

 座ってリュックを肩から下ろし、膝へと置く。ラジオ番組の再生を止めて、イヤホンを耳から外す。リュックのジッパーを開け、ブックカバーがかかった小説を取り出す。そしてその本を開き、読み始める。電車の中では小説を読むと私の中で決めている。中学の時は学校に行ってなかったり、別室登校ではある程度好きなことをしてよかったから、よく小説を読んでいた。しかし高校に入ってからは別室登校もちゃんと勉強をしなくてはいけないし、家ではあまり集中して読めない。集中して読めるのは電車だけ。電車の動きによって生じる揺れや、音が何とも言えない集中感を生み出してくれる。

 今読んでいる本は主人公がすごく前向きな子の話だ。私と真逆だから、すごく羨ましい。どんな物事でも前向きに考えようとし、周囲の人にもそのいい影響を与えている。私は物事を後ろ向きに考えてしまうし、他の人にいい影響を与えているとは全く思わない。この子みたいに前向きに考えれるようになったらいいのに。そういう願望があるから、私は主人公が底抜けに明るいお話を読むことが多い。自然と私の本棚にはそういう小説ばっかりだ。


 小説を読みながら、チラチラと電車内の電光掲示板を見る。集中しているとすぐ時間が経つから、今どこなのかを気をつけていないといけない。田西までは電車で20分、往復で40分の時間は私にとって1番好きな時間だ。学校に行くのも、家へ帰るのもあまり好きなことではない。でもこの時間は、私を現実世界から引き離してくれる。小説の世界へと入り込み、没頭させてくれる。この時間は私にとって何より大切な時間だ。

 田西の最寄り駅、平本駅は次だ。小説を閉じ、リュックの中へしまう。小説が折れないように、そのリュックのポッケには小説以外は何も入れない。スマホと有線のイヤホンを繋いで、耳につける。定期入れを手に持ち、駅に早く着くのを待つ。電車内に中学の同級生らしき人たちを見つけ、なんだか気まずくなる。向こうは私のことを知らないだろうけど、なんだか動悸がしてくる。頭の中は不安でいっぱいになる。駅に着いて、急いで電車からホームへと降りた。

 駅には田西の生徒か、少しの会社員しかいない。同じ中学から田西へ進学した生徒は、200人のうち両手で数えられるくらいだ。元々田西の生徒数は少なく、1学年200人程度。同じ中学から進学する人が少ないこと、あまり生徒数が多くないということも進学の決め手になった。

 平本駅の改札に定期をかざして出て、学校の方へと歩いて行く。私の前には何人かの田西生徒が楽しそうに話しながら歩いている。その生徒と少し距離をあけるために私はゆっくり歩く。学校までの15分は凄く長く感じる。

 正門に近づく少し前にイヤホンを外して、スマホと一緒にリュックの中へしまう。学校内での使用禁止だから正門に入ったらもうスマホは放課後まで触れない。休み時間くらいは許してくれてもいいのにと毎日のように考える。無駄に厳しい校則は必要あるのかな。


 私が通う別室教室は、移動教室や職員室がある綺麗な校舎にある。2つの校舎があり、綺麗な校舎は特進クラスと移動教室が主にある。もう1つの少し薄暗くて古い校舎は、進学クラスの教室がある。3階までの階段をゆっくり登る。古い校舎を旧校舎、新しい校舎を新校舎と呼んでいる。入口から1番遠いこの教室が別室登校する人のための教室。その教室の出入り口にあるプレートには、「つばき」と表示されている。つばきには、学年関係なく生徒がいるからこの名前なんだろう。入口と出口は同じで、そんなに広くない教室のドアを開ける。

 教室の中には勉強机と椅子のセットが10個程あり、先生が座る少し大きめな机と椅子がある。机と椅子の前には、黒板のように大きなホワイトボードがある。後ろにはロッカーが置いてある。普通の教室の半分くらいの大きさに、教室と同じ環境が作られている。既に4人の生徒が自分の机に座っているのを見て、教室に入ってドアを閉める。

 時計を見ると8時20分、8時30分以降は遅刻となる。私も自分の机にリュックを置き、中の荷物を出し始める。ロッカーがあるから、私はロッカーに教科書やノートを置いて帰っている。もっと言うとペンケースすらもロッカーに置いて帰っている。机の中に手を入れて、学校から配布された手帳を出して表紙を開く。そこには1年5組の時間割表が書かれているプリントが貼ってある。手帳をロッカーに持っていき、時間割通りに必要なものを取り出す。必要な教科書を机の中に入れる。


 クラスにいるみんなは静かに本を読んだり、課題をやったりしている。私はこの空間が居心地悪くてトイレに行く。中学の頃の別室登校はもっと楽しかった。別室登校の生徒はみんな仲が良くて、学校に来ると色々話したりしていた。別室登校の先生もそのために雇われた先生で、私たちのことをよく理解してくれていた。私は仲のいい先輩2人とよく出かけたりもしていたくらいだ。先輩が中学を卒業してからも、定期的に3人で集まったりしている。近況報告をしたり遊んでいる。それに先輩は親身になって色々と相談に乗ってくれる。


 1人の先輩は通信制の高校に進学、もう1人の先輩は田西に進学した。田西に進学した三月(みつき)先輩は半年くらいで田西を辞めて、通信制の高校へ編入した。三月先輩は入学式から1週間ほどで教室に行けなくなり、別室登校へと通っていた。でも中学の時の別室登校とは全然違い、真面目な感じで居づらかったらしい。進学してみてその気持ちはとても分かる。授業中私語は禁止だし、休み時間も全然話さない。みんな1人1人の世界に入っていて、とても話す雰囲気ではない。中学の時はもっと全体的に仲良くて、学校だけど学校じゃないって感じだったし。そんな居心地の悪い雰囲気にも入学から2ヶ月ほど経てば、こういうものなんだと受け入れることができた。

 トイレを出てから左腕に付けてある腕時計を見ると、針は8時28分を指していた。少し早歩きで教室に戻る。教室には私が来た時から生徒は増えていなかった。ほとんど毎日私を含めて5人の生徒がこの教室にいる。残りの子は1時間だけ来たり、保健室に顔を出して帰ったり、来ないという感じだ。


 私は卒業と大学進学するために、毎日通っている。特に行きたい大学や、やりたいことがあるわけじゃない。でも就職はまだしたくないから仕方なく通っている。田西は私立田西大学という系列校があるからということもあり、進学を決めた。中学の時に通っていた塾の先生に、大学進学をしたいなら田西がいいと勧められた。でも私は別室登校しているから田西大学への推薦を貰えるかは、結構微妙な気がする。授業に出てない分、テストで点を取るしかない。

 8時30分になると、先生が教室に入ってくる。空き時間がある先生が交代にやって来る。だいたいは自分のクラスを持っていない先生が多い。でも先生と生徒との関わりを大事に思っているからか、つばきにいる生徒の担任の先生が1日に1度やって来る。この時間はなんとも言えない気まずさだ。

 出席確認が終わると、8時50分の1時間目が始まるまで、それぞれやりたいことをする。私はやって来た先生から、分厚いファイルを貰う。ジッパーで開け閉めできるファイルの中には課題で出していたノートや、新しく出された課題の範囲などが書かれた紙が入っている。その中を取り出して、課題の範囲を一通り目を通す。1時間目に勉強する数学の課題範囲のプリントと、提出していたノートを机の上に出す。それ以外はとりあえずファイルに戻して机の中に無造作に入れる。そして50分になるまでひたすら本を読み進める。

 50分になりチャイムが鳴った。本を机の中に閉まって、数学の教科書を出して勉強を始める。まずはノートを開いて、昨日出された課題のページを見る。そこには数学の先生が丸つけした様子と、「解き方はあっているけど、計算ミスしている問題がありました、惜しい!」という一言が添えられている。他の教科もだいたいこんな感じだ。間違えた部分を解き直したり、新しい課題をしていく。こんな風にお昼まで毎時間行う。


 3時間目になると担任の横山先生がやって来た。「矢島さん、おはよう。」と疲れた笑みを浮かべながら言ってくる。「おはようございます。」と返す。この先生は新任なのに、別室登校している生徒がいるクラスの担任になってしまってかわいそう。押し付けられたんだろうなと思いながらこの先生と話す。男の先生は昔からなんだか苦手だ。「今日の数学の課題で分からないところとかありましたか。」なんて尋ねてくる。分からない問題はあったが、先生に早く帰ってほしいために「大丈夫でした。」と答える。後から来る先生に数学担当の人がいれば教えて貰えばいい。「あ、そうなんですね。じゃあまた今日の課題もファイルに入れといてください。」と早口に言って、教室から出て行った。教室から出て行く様子を見て、私は肩の力が抜けた。


 お昼休みの時間になってしまった。田西は高校では珍しく、給食がある。このお昼休みの時間もなかなか嫌だ。まず給食を自分のクラスに取りに行かないといけない。嫌だと思いながらつばきから出て、古い校舎に向かって歩く。古い校舎に向かっていくとだんだん騒がしくなる。この騒がしさが嫌い。足取りが重くなる。でも行くしかないし、私の給食を作ってくれるクラスの人にも申し訳ない。

 1年生の教室がある廊下を通るときは、さらに心拍数が上がる。みんなの目線が怖いからなるべく下を向いて歩く。5組は新校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下から遠い。1番奥だから、5組に行くまで2組から4組を通らないといけない。1組は特進クラスだから会わなくて済む。教室の前の廊下で私は給食を持って来てくれるのを待つ。数分待つと「矢島さん、ごめんね!遅くなって!」とクラスメイトの宮崎さんが給食を持ちながら、申し訳なさそうに話しかけてくれる。真面目な子だから先生から私の給食を作るように頼まれたのだろう。嫌な顔ひとつせず、私の給食を作ってくれている。ありがたい。「全然大丈夫だから、気にしないで。今日もありがとう。」と作り笑いをして、給食を受け取る。「じゃあ、またね!」と宮崎さんは急いで教室に戻った。私には見せることのない笑顔で、宮崎さんはクラスの仲良い子と一緒に話している。羨ましいなという気持ちを胸に閉じ込めて私は教室を去った。


 つばきで食べる給食の時間はすごく静かだ。一緒に食べる先生も沈黙に気まずいのか、話を振って来る。でもみんなその話を広げようとせずに給食を食べる。私は先生がかわいそうで、話す。でも何をしたらいいか分からなくて、当たり障りのないつまらない話をする。話しても話さなくても気まずい。ほとんど2人で話しているようなものだ。他の生徒は相槌とか、答えるだけで終わってしまうから。給食を食べ終わると、食器を片付けるために職員室へと向かう。職員室にはクラスを持っていない先生や、教頭先生たちが給食を食べている。だから職員室にも給食や食器が運ばれている。ここにあるならわざわざ自分の教室に取りに行かなくてもいいのに、と思う。クラスメイトと交流を持たせるために、自分の教室に取りに行かせているんだろう。


 職員室に「失礼します。」と言って入り、食器を片付ける。各クラスに食器を片付けるとなると時間がかかるから、片付けは職員室でやっている。職員室にはクラスを持っていない先生が給食を食べているから、なんだか気まずい。視線がこっちに向いてくるから。そんな視線が嫌でなるべく急いで片付けて、「失礼しました。」と職員室から逃げる。つばきに戻って、早く本の続きを読む。午後からも午前中と同じことの繰り返しだ。毎日同じことの繰り返しで面白くない。だからといって、教室に行こうとは全く思わないけど。


 5時間目の授業中、校長先生がやって来た。校長先生は毎日のように、つばきの様子を見に来てくれる。優しいおじいちゃんって感じで私は好きだ。校長先生は私の机に来て、「今は英語してるんだね。矢島さんは毎日偉いね。」と褒めてくれる。これも毎日のことで、真面目に勉強していると褒めてくれる。あまり集中していないと、世間話をしてくれる。担任の先生に話しかけられるのは嫌だけど、校長先生に話しかけられるのは好き。


 校長先生はつばきの生徒みんなに声をかけて、「みんな頑張ってるね、また今度来るね。」と言って出ていった。つばきの生徒はみんな静かで、あんまり話さないからこの雰囲気は好きじゃない。中学の時は授業中も、もっと賑やかな感じだったから。まあ先輩もいい人でよく話してくれたし、あの先輩たち限定なのかも。普通につばきの生徒と話しても気まずいだけな気がする。でも校長先生が来るとなんだか居心地が良くなる。別室登校も悪いことしかないわけじゃない。


 6時間目が終わる10分前に、ファイルを取り出す。そこから時間割表と大きく真ん中に書かれた冊子を取り出して、開く。そこには月日を書く欄があり、その下には1時間目から6時間目の枠だけある時間割表がある。その枠の中に教科と、何を勉強したかを書いていく。例えば数学なら、一次方程式みたいな感じで。その下には6行ほど文章を書く欄があり、今日の感想を書いていく。横山先生との交換日記のようなものだ。毎日何を書けって言うんだろう、そんな先生に伝えたいことなんてない。書くことがなくて困るから、字や余白を多くしてたくさん書いているように見せかける。


 6時間目が終わり、普通のクラスが帰りのホームルームをしている時間につばきの生徒はみんな帰る。みんなより早く学校を出ることで、帰り道に会わなくて済むからだ。私も帰る準備をして、リュックを背負ってファイルを手に持つ。6時間目に来てくれていた先生にファイルを「お願いします。」と預けて、つばきから出る。下駄箱に着くと、急いで室内履きのシューズからローファーへと履き替える。スマホが触れないという禁断症状と、自転車通学の人に追いつかれたくない理由から急ぐ。


 正門を出たところで、リュックのポケットに手を入れてスマホとイヤホンを取り出す。右手にスマホ、左手にはイヤホンを持つ。スマホの電源が入るのに時間がかかるから、急いでボタンを押す。マークが表示されたことを確認して、平本駅へと歩き始める。スマホの電源がつくまでに、まとめていたイヤホンをほどいてスマホに挿し、耳につける。そして電源が入ると、ラジオを聴く。電車は15分毎にしかないから、1本逃すと待ち時間が長い。待ち時間が嫌だから、腕時計を見ながら歩くスピードを変える。


 家に着くのはだいたい5時前くらい。帰ると私は急いで晩ごはんを食べる。父が帰ってくるのは6時くらいだから、それまでに食べ終わって部屋へと逃げておく。電車に何本も乗り遅れると、父と会ってしまう。そういう時はリビングに行かず、部屋へと直行する。そして父が2階の寝室に入ったことを確認してから、いびきが聴こえるまで静かに過ごす。いびきが聴こえたら、部屋からリビングに降りる。お腹は空いているけど、太るのが嫌だからそのままお風呂に入って、また部屋に篭る。

 そうじゃない日も、父に会わないようにお風呂に入ったりしている。基本的に部屋に篭っていることが多い。父と顔を合わすと何を言われるか分からないからだ。「普通」じゃない私のことを嫌っている。父も兄も「普通」という言葉が大好きだ。みんなと同じということが安心するのだろう。そんな人たちに私の気持ちなんて分かるわけない。一緒の空間に居たくもない。

 基本的に部屋では、ベッドにいてごろごろしている。スマホで動画配信サイトを見たり、漫画を読んだりなどだ。でも中学の頃からずっと、リズムゲームにハマっている。これは机に座ってちゃんとやらないと、だいたいミスするけど。かわいいキャラクターをゲットしたり、色んな楽曲をプレイするのが楽しい。毎日必ずログインして、1度はプレイしている。そんなふうにして夜になるまで過ごす。そして1日のことを日記に書く。高校生になってから、お母さんが入学祝いに3年日記をプレゼントしてくれた。普通に教室に行けてたら日記に書くこともあるんだろうけど、毎日変わらないことばっかりで書くことがない。数行だけだからなるべく昨日と同じことを書かないように意識しながら、時間をかけて書く。


 部屋の電気を消して、真っ暗にしてベッドに寝転ぶ。そろそろ寝ないといけないけど、寝たくない。寝るのが怖いという気持ちに襲われる。寝てしまったらまた明日がやって来る、寝なくても明日はやって来るけどなんか夜に寝るという行為が怖い。寝ても明日も同じような1日で、父やクラスメイトと顔を合わせるのをビクビクするのは変わらない。また今日も昨日と同じような1日だった。私は将来どうなっているのか、生きていけるかなど考え込んでしまう。私にはこの世界が生きにくく窮屈に感じる。まるで私の住む世界じゃないかのように息がしにくい。私はひとりぼっちのように感じる。私の気持ちを理解してくれる人なんていない。こんなことを考えながら、私の1日は終わる。
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