愛憎を込めて毒を撃つ

第十二話

〇新村家のリビング(深夜)

閉店時間を迎えた居酒屋から、それぞれの家に帰宅する。
帰路でも家に着いても、始終無言のままの里乃と和寿。

和寿「里乃……本当にすまなかった。なにを言っても言い訳にならないのはわかってるが、俺にできることならどんな償いでもする。だから、離婚だけは考え直してくれないか?」
里乃「……今日から私は自分の部屋で寝ます。家事は今まで通りこなしますが、離婚届は早急に書いてください」
和寿「どうしても意思は変わらないんだな……。里乃は自分の意思を言うのが得意な方じゃないのに、そんな風に言うなんて……」
里乃「当たり前でしょ。つらくて苦しくても考え抜いて、やっと決心できたんだから。私……和寿の不倫を知ってから、あなたに触れられると気持ち悪いって思ったの。離婚を避けたい気持ちもあったけど、気づいたら心と体が和寿を拒絶してた」
和寿「……」
里乃「きっと、どれだけ償われても和寿を許すことはできない。ここで離婚を考え直して一緒にいても、あなたとの間にできた溝は埋まらないと思う」
和寿「そう……だよな」
里乃「私は、和寿との赤ちゃんが欲しかった」
和寿「っ……」
里乃「でも、それは和寿を愛してたからだよ。和寿が男性不妊だと聞いてたら、私はきっと悩んで苦しんだだろうけど、それでも一緒にいたいと思ったと思う」
和寿「里乃……」

里乃の言葉を聞き、和寿が涙を零す。
里乃も泣いていたが、その表情に浮かぶ決意は固かった。

里乃「そんな大事なことを話してもらえなかったことがすごくつらい……。和寿が言えなかった理由もわからなくはないけど、どうしたって不倫してたことが許せないし、大切なことを黙ってた和寿を信頼できない。だから、もう無理だよ……」
和寿「ごめん……。本当にごめん……」

和寿は涙を流して謝り続けたが、里乃は和寿に背を向けるようにして泣いているだけだった。



〇氷室家のリビング(深夜)

帰宅したばかりの潤と麗佳。
麗佳は今までとは打って変わって、どこか傲慢でふてぶてしい態度で、冷蔵庫から出した缶ビールを一気に煽った。

麗佳「……離婚はもう仕方ないけど、うちの親まで巻き込むことはないでしょ? もう子どもじゃないんだから、ふたりで話せばよくない?」
潤「……麗佳は罪悪感がないんだな」
麗佳「これでも悪いとは思ってるよ? でも、興信所を使ったり和寿さんの奥さんとふたりで一緒に来たり……挙句、親にまで言うとか……潤って意外と女々しいことするよね」

潤はため息をつく。
麗佳の態度に驚きもあるが、あまりにもわかりやすく開き直られて言葉を失くす。

麗佳「うちの親、なんて言ってた?」
潤「電話で報告しただけだから、謝罪するのが精一杯って感じだった。でも、証拠もあるって話したし、離婚については納得してるみたいだったよ」
麗佳「うちの親、潤のことをすごく気に入ってたから、きっと怒られるなぁ」
潤「……ひとつ訊きたいんだけど、どうして不倫なんてしたんだ? 俺に愛情がなくなったなら、別れてから恋愛でもなんでもすればよかっただろ」
麗佳「あのさ、潤はなにか勘違いしてるみたいだけど、別に愛情がなくなったわけじゃないよ」
潤「だったら、なんで……」
麗佳「たまたま出会った和寿さんに惹かれて、気づいたら好きになってて……一度くらいならって思っただけ。結果的に何度も会ってたけど、最初は本当に一回きりのつもりだったの」
潤「でも、何か月も不倫してたんだろ」
麗佳「結果的にね。私と和寿さんは似てたから、彼といるときは心がラクだったの」
潤「似てた?」
麗佳「そうよ。潤は子どもが欲しかったけど私は欲しくなくて、和寿さんのところはその逆。和寿さんといると、子どもがいらないって思う自分を肯定できた。まぁ、和寿さんの場合は男性不妊だったわけだから、結局私とは違ったんだけど」
潤「……」
麗佳「潤のことはすごく好きなままだし、結婚だって後悔してない。ただ、和寿さんのことも好きになっただけ。潤だけに向いてた気持ちが半々になったけど、彼とは割り切った恋愛だったの。和寿さんはすごく好きだけど、潤と別れたいと思ったことはなかったよ」
潤「なんだそれ……」
麗佳「もっと言うと、潤に大きな不満とかもない。優しいし、家事も分担してくれるし、私の収入が少ないときからアクセサリー作りを仕事にすることを応援してくれてたし、感謝だってしてたんだから」
潤「言ってることがめちゃくちゃだぞ……」
麗佳「そう? 恋人や旦那がいても、心が他の人に向くことくらいあるでしょ。たとえば、芸能人だったら現実的には付き合えないからただのファンで済むけど、私の場合は心が惹かれた対象が近くにいて、こうなっただけっていうか」
潤「悪いけど、俺にはわからないよ」
麗佳「……そうみたいだね」

潤はため息をつき、麗佳はビールを煽る。

潤「とにかく、離婚届はすぐに書いてくれ。俺は数日中にこの家を出ていく」
麗佳「そんなすぐに出て行けるの? 住む場所だって――」
潤「マンスリーでもなんでも、方法はいくらでもある。家賃は今月分まで払うけど、あとは麗佳の好きにすればいい」
麗佳「私の収入だけでここに住めるわけないでしょ。潤が引っ越すなら、私も引っ越すしかないじゃない。アトリエも引き払うしかないか……」
潤「なら、不動産屋には俺から連絡しておく」
麗佳「……ねぇ、潤。もし、私が子どもを作ってもいいよって言ったら、離婚は考え直してくれる?」
潤「子どもをそういう手段に使うな。命を生んで育てるって、そんな簡単なことじゃない。安易な気持ちで言うんじゃない」
麗佳「別に安易な気持ちじゃないよ。私は潤のことが好きだし、できれば離婚はしたくない。潤ならいいパパになるだろうし、夫婦関係を修復するきっかけになるかもしれないでしょ?」
潤「俺はもう、麗佳を抱けない。麗佳に対して欲情しないし、抱きたいと思えない」
麗佳「……そう」
潤「でも、それとは関係なく、開き直って子どもをダシにしてでも自分の気持ちを優先しようとする女性と家庭は築けない。頼むから、これ以上幻滅させるな」

麗佳は悔しげにビールの缶を握り、潤から視線を逸らす。
その夜は別室で眠り、翌朝になって潤がリビングに姿を見せると、テーブルには記入済みの離婚届が置かれていた。

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