合意的不倫関係のススメ
一度考え出したら、それはもう抑えようがなかった。真逆の感情がぶつかり合い、答えのない問題を何時間も考える。

蒼の顔を見る度に「捨てないで」と縋りつきそうになる衝動を堪えるのにも、必死だった。逆に彼はそんな感情を隠さず私に向けてくるので、疑問を持たずにはいられない。

蒼は捨てる側であり、捨てられる側ではないというのに。

それにもう一つ、心の隅に引っかかっていることがある。それは、あの日のこと。蒼が式典を抜け出し、一人で酔いつぶれている私を迎えに来てくれた時のこと。

彼は私に「茜が連絡をくれたから来た」と言った。他の感情に気を取られて、さして深く考えずにいたのだけれど。次の日二條さんが、私の携帯を持って売場にやってきたのだ?

ーーこれ、飲み会の席に忘れてたよ

そう言われて初めて自身の手元に携帯がないことに気がつく私も大概だが、そちらよりも蒼の嘘が明らかになったことの方に驚いた。

飲み会の場に忘れたのならば、蒼に連絡をすることなど不可能。あの時私が入ったのは初見の居酒屋だったし、式典の最中だった彼が偶然私を見つけたなんてこともあり得ない。

ならば蒼はどうやって、私を迎えに来たのだろう。それに、わざわざ嘘を吐く理由も分からない。けれど今この状況で、問い詰めるのは怖かった。

彼の何かを暴けば、一瞬で見切りをつけられそうで。

それに私は内心、安堵しているのだ。彼が私に寄り添い、すりすりと甘えてくる今の状況に。

(結局、自分のことばっかりだ)

狡賢い自身の性分に嫌悪しながらも、勇気など出せなかった。




「あの〜、三笹さん」

閉店作業を終え、カードリーダーにカードをタップする。その横に花井さんが擦り寄ってきた。

「今日この後ってお暇じゃないですか?昨日実家からお肉が送られてきたんですけど、私一人じゃ食べきれなくって」
「…」
「もし良かったら、一緒に食べていただけませんか?量はたくさんありますから」

食品売場に似つかわしくない甘ったるい匂いを振り撒きながら、彼女は期待の込もった瞳で私を見つめている。

(…蒼に相手にされなかったのね)

こういう人種は何故か顔が広くて無駄に行動力がある。私の知らないところで既に蒼に近づいている筈だ。彼も私の後輩に手を出す程愚かではないだろうから、きっと誘いには乗らなかったのだ。

もしも二人の関係が進んでいるのであれば、花井さんがこんな風に私を介して蒼に会おうとすることはないだろうから。

良かったと、思う感情が半分。後の半分は、死刑執行の日がただ延びただけだという、拭えない恐怖感。

いつ足元が抜けるのか分からないこの状態が、私の精神を酷く蝕んでいる。

「悪いけど…」

断りのセリフが口をついて、けれどその瞬間何故か私の唇からは全く別の言葉が意思を持ったように飛び出した。

「そういうことならウチに来る?大したお構いはできないけど」
「えぇっ、いいんですか!?ありがとうございますぅ」

(気持ち悪い)

狙った男を手に入れる為なら何だってする、卑怯で姑息な女。

だけどそれは正に、過去の私でもあった。

失いたくない一心で蒼に女性を充てがった私は、誰よりも醜くて汚い。

目の前で嬉しそうに笑う花井さんを見ながら、私はただゆっくりと奥歯を噛み締めた。

どうして彼女のあからさまな挑発に乗ったのか、自分にも分からなかった。
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