先生と私の三ヶ月
 サンルームからリビングに戻り、奥のダイニングに行くと、泣き声は聞こえない。ガリ子は先ほどと同じくテーブルに突っ伏したままでいた。テーブルの上には外した眼鏡があった。

 寝てるのか?

「ガリ子?」
 返事はない。

「ガリ子?」
 肩を軽く叩くと、うーんと目を閉じたままの顔を横に向けた。普段はあまり見ない眼鏡のない顔に胸がキュンとする。

 長いまつ毛に細い鼻、涙に濡れた頬、薔薇色の唇。改めて好きな顔だと思った。顔だけじゃない。艶のある黒髪も、細い腕も、聞こえてくる規則正しい寝息も。全部が好きだ。好きになるってこういう事だ。その人の全てが愛しくなる。

 ガリ子の前髪に触れると、少しだけ眉が動いた気がする。寝たふりか?

「こんな所で寝てたら、また風邪ぶり返すぞ。寝るならベッドに行け」
 起きていると思ったが、返事はなく寝息だけが聞こえてくる。
 やれやれ、酔って大暴れして、泣いた挙句、疲れて寝た訳か。しょうがない奴だな。ベッドまで連れて行ってやるか。

 ガリ子を横抱きで持ち上げた。
 猫のように軽いと表現したい所だが、ズシリとした重みが腕に伝わる。だが、その重みが心地いい。触れた体温と、ガリ子の体から出る花のように甘い匂いに鼓動が速くなる。

 俺の胸を高鳴らせる女はガリ子しかいない。

「バカだな。俺が好きなのはお前しかいないのに、変な誤解しやがって」
 寝顔に向かって口にするが反応はない。

「お前は信じられないだろうが、俺は本当にお前が好きだ。惚れているんだ。少しは俺の気持ちもわかってくれ」
 やっぱり反応はない。安らかな寝顔が赤ちゃんみたいだ。

 それにしても今夜のガリ子はハチャメチャだったな。花瓶まで投げやがって。だが、普段大人しいガリ子に感情をストレートにぶつけられるのは嬉しかったな。少しは俺に心を許してくれている気がする。

 酷い夜だったが、なんか幸せだ。

 ひなこと文人を亡くしてからこんな風に思えた事はなかった。
 生きているのもいいものだな。
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