黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く
「ユヅキ様」
「まだ何か?」
「もし前帝から私に乗り換える気があるのでしたら、いつでもお待ちしております」
「それも国益のため?」

 私の言葉にギルバートは首を横に振った。その所作も作り物のようで嘘くさい。

「いいえ。私は龍神族の方々を心から尊敬申し上げております。それだけは偽りのない真実。それに貴女を慕う気持ちも本心からです」
(どうだか……)
「一目惚れと言ってもいいでしょう」
「この国に人間は一目惚れ病でもあるの?」
「貴女のような美しい人と出会ったのなら、恋に落ちるのも無理からぬこと」

 美しい。
 その言葉に私はあることを思い出す。

(そう言えばダリウスが私を最初に見たのって、こんな綺麗なドレスとか着てなかったわ。……傷だらけで、血塗れだった)

 あの時、戦いの末にボロボロだった私を見て惚れたというのなら、彼は最初から自身の体質や、着飾った私を見ていたのでない。一人で必死に足掻き、進もうとした私自身をずっと見ていた。

(ああ、そうか。ダリウスは最初からずっと待っていてくれたのね。辛抱強く、急かすこともなく……)

 無性にダリウスに会いたい。
 私はギルバートに答えることなく、その場を離れる。

「私の手を取るという選択肢もあることをお忘れなきよう」
「そんなの永遠にないわ。だって貴方はダリウス(あの人)じゃないもの」

 私は一度も振り返らずに歩き去った。


 ***


 ダリウスに会って気持ちを早く伝えたいのに、ここで刀夜の名が出るとは思わなかった。
 あの紅蓮に燃えた夕焼けの惨劇を繰り返さない。もし刀夜が邪龍になるというのなら、どうすればいいのか龍神族ならば誰でもわかっている。

(邪龍が暴れ出せば一国なんて一夜で壊滅する。邪龍を倒せるのは龍神族だけ。それを皇帝は待っていた? それとも単に情報を知っていた、あるいはこの情報そのものがフェイク?)

 自分の魔力が未だ回復していないことに焦りが生まれた。今のまま邪龍とかち合えば、魔力不足で私が推し負ける。
 短期間の間に魔力を回復する方法は二つ。魔力の濃い場所で吸収、または《刻龍印》を刻むかだ。後者は相手がいないと出来ないが、ふと脳裏にダリウスの姿が過った。

「ダリウスと……でも、あれは……」
「呼んだか?」

 すっかり耳に馴染んだ声に振り返ると、そこにはダリウスが立っていた。
 執務室からだいぶ離れてもう部屋の前だというのに、彼が居ることに私は目を疑ってしまった。

「どうやってここまで来たの?」
「執務を終えたのち、窓から出てきた」
「前帝として、それっていいの?」
「誰かに呼び止められるのも鬱陶しいからな」
「…………」

 ダリウスは邪龍のことを知っているのだろうか。
 口にしかけて、私は笑ってごまかした。

「今日会った令嬢の中に惹かれる子はいなかったの?」
「そうだな。マーメイドドレスを着た女なら随分前から惹かれているが」
「!」

 ダリウスは私の手を引き抱き寄せる。ふわりと、マーメイドドレスの長い裾が風に舞う。夕闇が空を覆い、城砦の壁に魔導具がぽつぽつと灯りが灯る。

「ユヅキ」

 こつん、と彼は額を合わせる。
 互いの角も僅かに触れ合う。
 ダリウスの表情は柔らかく満面の笑みを見せることが多くなかった。今日は前帝としての風格がにじみ出ているので、私にとっては新鮮だった。

(ううっ。いつもの三倍増しで格好良く見える。それでなくても惚れているのに……)
「暫くは騒がしくなるが、ユヅキの答えが聞けるのなら安いものだ」
「そ、それよりもギルバートから何か言われなかった?」

 不安な思いが溢れ出し言葉になってダリウスを責める。彼は少しだけ困った、傷ついた顔で「いや」と短く答えた。

「お前の方が、あの男に何か言われたんじゃないのか? だとすればそれは杞憂だ。あの男は国の利益しか考えていない。今回ここにやってきたのも独断だろう。ウォーカー家は昔からオズワルド家と懇意にしている。当主とあの男の間で何らかの取引があったはずだ」
「じゃあ、邪龍や刀夜の情報をダリウスは本当に……知らない?」
「知っていたら話している。カイルやギルバートと話しているお前を見ているのは苛立ちを覚えはしたが、そこまで心が狭い人間ではない。嫉妬はするが」

 数秒経って「ダリウスが嫉妬する」という言葉に顔が熱くなった。けれどそれは私も同じだ。婚約者候補たちにダリウスが心惹かれていたら、同じような気持ちになっていただろう。いや、なっていなくても──。

「そう。わ、私もダリウスが婚約者候補の誰かを気にいったりしないでホッとしているわ」
「ユヅキ。それは嫉妬か?」
「そうよ」

 そっぽを向く。彼を直視出来なかった。
 ダリウスの手が私の頬に触れる。大きくて温かい。
 彼はゆっくりと、自分を私の視界に入れようとする。抵抗したものの結果的にダリウスの粘り勝ちだった。黒い瞳はジッと私の答えを待っていた。
 夜までといったのに本当に気が短い。

「答えを今、聞いてもいいか?」

 ドキリとした。
 ダリウスの真剣な声に、十分すぎる想いに応えたい。小さく頷くと彼を真正面から見据える。

「ええ」

 上手く笑えているだろうか。
 緊張して声が震えてしまう。けれど溢れ出る想いは、私に踏み出す勇気をくれた。

「私は、ダリウスのことが好──」

 その言葉は最後まで言えなかった。
 ゾッと背筋が凍りつく。
 唐突に大量の邪気を感じ、ダリウスも一気に表情が引き締める。

「魔物か。それもまた妙な現れかただな。いや、それよりもこの魔力は……」
「前よりも数が多い。ダリウス、ひとまず私が先に見張り台に行くわ」
「なっ、お前を先陣に出すぐらいなら俺が──」

『閣下! 大変です。東の塔で暴動が! 至急こちらに来ていただけませんか!?』

 魔道具による通信が、ダリウスの声を遮った。声からしてカイルだろう。あまりにも余裕がなかったのか、用件だけ言うと通信は一方的に切られた。それだけでどれだけ危機的な状況だったかは、私もダリウスもわかる。

「ユヅキ……」
「大丈夫よ、任せて。私が何のために下界に来たのか忘れた訳ではないでしょう。それにここは貴方が司令塔なのだから、その責務を全うすべきだわ」
「それは……そうだが」

 ここでダリウスが混乱を収めるのが一番良い。城砦の主人として何を優先すべきかは分かっているはずだ。

「私はこの城砦に居る人たちを守りたい。そのためには誰よりも早く見張り台に行って、魔物を滅ぼすだけの火力が必要だわ。クララたちには非常事態にどうすべきか教えてあるもの貴方は敵勢力を鎮圧して。これは皇太后じゃなくて、前帝が適任だと思うわ。……それに私は人間相手に手加減が難しいもの」

 皇太后役とは付けなかった。私の言葉にダリウスは首肯する。

「わかった。……絶対に無茶をするな。いいな」
「ええ」

 ダリウスはマントを翻した。

「こちらもさっさと鎮圧して、お前から答えを聞き出してやる」

 不機嫌そうに眉を吊り上げるダリウスに私は微苦笑した。確かに時間はあまりない。だから答えを口にするのを省くため行動で示す。今の彼との距離は一歩半だ。
 それを埋めようと私は背伸びをして彼の唇にそっと触れた。

「!?」

 ついばむようなそんなキスは、ほんの数秒。
 ダリウスは目を見開き、固まっていた。その姿が少しだけ可愛く思えて愛おしい。それなのに「好き」という言葉を口にすることが出来なかった。我ながら肝心な時に勇気が出ない。

「……これが私の答え」
「!」

 私は素早くダリウスから離れると、窓から外へと飛び出すはずだった。だがダリウスに抱き寄せられ、噛みつくようなキスを返される。

「ん、んんっ!!」

 口を素早く閉じたものの、ダリウスの舌が唇の中に侵入してくる。それはキスという可愛らしいものではなく、激しく溺れるような愛に呼吸が出来ない。
 どんどんと、彼の胸板を叩くがびくともしない。あまりにも濃厚なキスに力が出ないのだ。長いキスはほんの数十秒だったのかもしれないが、私には永遠に近いほどの時間だった。ようやく唇が離れると、私は顔が沸騰しそうなほど熱い。

「だ、ダリウス。な、な、何考えているの!?」
「魔力供給だろうが。無いよりはマシだろう」
「え」
「というのは一割だ」
「一割なの!? 残りの九割は」
「さっきの仕返しだ。散々焦らされて、煽られたからな」

 フッ、と微笑むその笑顔はずるい。本当に、ずるい。

「……もう! こんなことしている場合じゃないでしょう」
「分っている。だから我慢しただろう」
(あれで!?)

 私はもう恥ずかしさで、頭が真っ白になりそうだった。それでなくても体が溶けてしまいそうなほど熱い。

「続きは後でな」
「あー、もう! じゃあ、行ってくるわ!」

 城砦の見取り図は頭の中に入っている。城壁を駆け登って向かった方が見張り台は近い。
「ユヅキ」と名を呼ばれた気がしたが、振り返らなかった。
 今更ながら自分の大胆さに顔が赤くなる。自分からキスをしたのに、ダリウスが情熱的な口づけをしたのだ。恥ずかしくて死にそうになる。
 穴があったら入りたい、という言葉を思い出した。母様の故郷の言葉だ。出来るなら今すぐに叫んだのち、縮こまって冬眠したい。それぐらいいっぱいいっぱいだ。

(ああああああーーー! もう、恥ずかしい!)

 体が熱くて、恥ずかしい。でも今なら何でも出来そうだった。自分の想いが相手に届いた瞬間なのだ、嬉しくなるのも当然だろう。

(母様。私、好きな人が出来たわ。父様は驚く──いえ泣きそうね。二人ともこんな風にお互いを思っていたのかしら? 確かにこの気持ちは、形容しがたいものだわ)

 口元が緩みかけて、私は慌てて魔物の襲撃に集中する。もう間もなく城壁が途切れ、見張り台に到達した。


 ***


 すでにそこは戦場だった。
 警備兵たちが魔法で応戦しているが、あまりにも魔物の数が多い。黒い翼とサソリの尾を持つ蝗、趣味の悪い王冠を被った魔物アバドン。その数は百を超える。

「ああ、嘘。こんなに集まるなんて……聞いてない。話がちが……う」

 見張り台で座り込んでいたのは、先に退去させられていた茶髪の公爵令嬢(アネット)だった。その手には何か黒光りする石を手にしている。

「これは貴女が手引きしたの? アネット=レイエス」
「ちがっ……。私はただ……閣下を困らせようと……しただけ」

 私は令嬢から石を奪い取り粉々に砕いた。どうやら魔物寄せの術式で組まれたものだった。

(一体誰がこんなものを……?)

 そう考えたが、今は迎撃が先だと頭を切り替える。

(敵の数が多い上に統率が取れているという事は、敵の司令塔が居るはず。まずは数を減らさなきゃ。結界も長くはもたない)

 私は魔物の位置を把握する。
 アバドンは結界に向かって何度も突進を繰り返す。結界に触れるたび浄化されて炭化して消えるものの、一点集中されれば結界の強度にも限界がある。
 前回現れたグリフォンと同様の火力ならば、全滅させられるかもしれない。だがあの時より数が多いのと、的が小さいことも考慮すると精度が要求される。前回のような省略詠唱は出来ない。

(魔物にしてはやけに統率が取れているわね)

 両手を翳すと巨大な魔法陣を作り出す。それは頭の中に描いた術式であり、それが形となって顕現する。複雑な命令式が術式と呼ばれるものであり、それを精密かつ確実に敵を屠るため編み出されたのがこの魔法だ。
 
「雷の使徒、稲光と轟音と共に舞い降りろ──雷の龍」

 周囲に魔力が膨れ上がる。
 今回は周囲の魔力のほかに私の魔力も使っての強化版だ。制御が少し難しいが、そのデメリットを除けば、大抵はこれで滅ぼせるだろう。

「飛翔し、悪しき諸々、我が眼前の敵を屠れ──」
「ああああああああああ!」
「!?」

 唐突な叫び声に私は振り返ろうとしたが、今動けば術式が乱れる。
 そう思って体が一瞬、強張った。
 その隙をついて人影が私に突っ込んでくる。

(ダメ、避けられない)

 最初に衝撃。
 次に熱。
 カーラは体当たりするような形で私の腹部を刺した。緑の髪に返り血が飛び散る。急所を避けることに成功したが、鈍い痛みが走った。
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