黒衣の前帝は戦場で龍神の娘に愛を囁く

 皇国イルテア。
 大陸の大半を占める皇国の国境付近には巨大な城壁が並び立ち、他国の侵入はもちろん魔物の出現を阻んでいる。男は包帯を変える際に、この国の事を教えてくれた。皇国が建国する前から魔物の出現を確認しており、それは文献や記録にも残っている。イアルテはその広大な土地と、いつくもの鉱山と豊かな資源を獲得しているようで、特殊な絹糸で編まれる布や生産物にも恵まれているそうだ。

 この国の季節とは、春と秋と少し短い冬しかない。
 食料の備蓄はもちろん産業改善も熱心に取り組んでおり、国民も貧困はしていないとか。しかし王族や貴族階級というのは、いつの時代にもあるようで聞く限り貧困の差はあるようだ。
 私が落ちた場所は、イルテアの国境付近にある城砦ガクリュウ。左右対称に西と東の塔があり、要塞として軍事拠点としては申し分ない広さと設備を要しているそうだ。武器や食糧を貯え、魔法結界もそれなりに厚い。
 部屋は質素だが造りこまれた内装をしており、部屋が明るく感じられる。なにより部屋の壁などの装飾が見事だ。男がそれなりに身分の高い者だと部屋を見て、なんとなく察することは出来た。

 男は紳士的かつ献身的だ。
 新しい包帯の取り換え、男物だけれど上質な服を用意してくれた。そして動けない私を抱きかかえて移動した先は、広々とした客室だった。ここにたどり着くまでに螺旋階段を降り、長い回廊とかなりの距離があるのだが男はそんな苦労を気にしていなかった。むしろ終始嬉しそうな顔をしている。

 ここまでは、まあ龍神族としての高待遇されることはあった。
 兄様はとある国の王女と結婚し、その国の王となった。それ以外の時代も皇族や貴族といった人間たちから、一時的な歓迎はままあったのだ。
 テーブルに並べられた豪華な食事。豚の煮込み料理、鳥の唐揚げ、焼き魚に、野菜と白身魚の蒸し焼き、ベーコンとほうれん草のキッシュ、牛肉のステーキと、古今東西のさまざまな料理が並んでいる。鮮度もいいが、それ以上に手の込んだ料理に私は目を疑った。ここには有能な料理人が居るのだろう。
 魔物討伐するまでは来賓として扱われることが殆どだったので、抵抗はなかったのだが──。

「ええっと……」
「そういえば名乗っていなかったな。俺はダリウス=フォン・カーライルだ。お前は?」
「私は結月守那(ユヅキ=カミナ)よ」

 彼の声が近い。私は出来る限り平静を保って答える。

「ユヅキ、か。……この国に来て色々混乱しているだろうし、急ぐ事情があるのかもしれないが、とにもかくにもまずは食事が先だ」
「ええ、それは同意するのだけれど……」
「歯切れが悪いな。何が問題だ? 龍神族の好物がわからずに色々作らせたが……口に合わないか?」
「ち、違うわ」
「問題があるならハッキリ言ってくれて構わない」

 ダリウスと名乗った男は小首を傾げていた。その顔はどこか不安そうな色合いが感じ取れたのだが、問題はそこではない。
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「なんで私は、貴方の膝の上に乗ったまま食事を取らなければならないの!?」
「俺と居ても何ともないか検証中なのだ。すまないが少し付き合ってくれ」
「……?」

 茶化す訳でもなく、真面目な顔で言われてしまい困惑してしまう。なにせ彼は私を横抱きで膝の上に乗っているのだ。ほぼ初対面でこの距離感がおかしい。というか龍神族に対して、こんなフランクに接する人初めてだった。

(……って、検証? 私が危険じゃないか、身をもって確認しているってこと?)
「それに先ほど無理に両腕を動かして傷口が開きかけているだろう」
「うっ、それは……」
「食べたいものはあるか?」
「起きたばかりだから、胃に優しいお粥かスープがいいわ。──じゃなくて!」
「なら。このスープがいいだろう」
「わあ、いい匂い。──って、そうでもなくて!」
「ほら、口を開けて」
(もう調子が狂うわ……。そして近い。距離感がおかしくない? この時代はみんなのこうなの?)
「ほら、料理が冷める」
「うう……」

 私は根負けして口を開いた。思っていた以上にお腹が空いていたようで、胃の中にスープが流れていく感覚がある。恥ずかしいが食事に集中することにした。傍から見ると、ひな鳥に餌を与える親鳥の構図の出来上がりだ。侍女や従者がいなくて本当に良かった。

(……ん、それにしても美味しい。白菜の触感に鶏ガラと塩の素朴な味。温まるわ。うん、ここの料理人はきっと素晴らしい人ね)

 喉を鳴らしてダリウスは笑った。そんなに私の食べ方が可笑しかっただろうか。ジッと彼を見つめると、口元の笑みを深めて微笑む。

「本当に、美味そうに食べるな」
「ええ、とっても美味しいわ。……でも毎回こんなに手の込んだ料理にしなくても、ちゃんと魔物討伐は行うから安心して」
「ん?」

 過度な歓迎などはいらない。
 そういった手合いは魔物討伐が終わると、手のひらを返したような扱いをしだすからだ。信頼も、友情も、恩義も──裏切られた時が一番堪える。だから仕事として割り切った方が楽だ。深入りはしないというつもりで口にしたのだが、ダリウスは怪訝そうな顔で私を見つめていた。

「何を言っている? ユヅキは俺を恐れていないし、普通に接しているだろう。それだけで重宝するだけの価値はある。もちろん龍神族として歓迎しているところはあるが、それだけでお前を気に入ったわけじゃないんだがな」
(龍神族とか関係ない?)

 ますます話が繋がらない。
 ジッとダリウスの顔を見る。確かに整った顔で無表情なら怖がられるかもしれないが、少なくとも彼は甲斐甲斐しく手当てをしてくれて、食事まで奉仕してくれているのだ。こんなに優しい人がいるだろうか。
 龍神族の姿をしているけれど、人間なのに。

「なんで貴方を怖がるのかわからないわ。……まあ確かにいつもぶすっとしていたら、子どもは泣き出してしまうかもしれないけれど」
「貴方じゃない、ダリウスだ」

 ぐっと顔を近づける彼から逃れるために、私は恥ずかしながらも彼の名を口にする。

「……ダリウス」
「ああ。もう一度」
「ダリウス」
「名を間近で言われると嬉しいものだな」
「そ、そうかしら?」

 名を呼ぶと、心なしか彼の口元が綻んだ。元々私を抱きかかえていたのだが、彼の唇が額に触れる。

「!?」
「ああ、すまない。嬉しくて、ついな」
「え、な──」
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