夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜

「菜胡、もう……俺に全部ちょうだい……」
 ほんのわずか離れた唇がそう言うと、菜胡の首筋へ降りていく。腰の辺りがぞわぞわして、棚原に向き直りその背中に腕を回した。ぎゅっと一際力を込めれば、それが合図になったかのように抱き上げられて、宝物を置くようにそっとベッドへと寝かされた。

 覆いかぶさってきた棚原と無言のまま見つめ合う。これからこの人に抱かれるのだ。うれしさと 恥ずかしさで胸が苦しい。そんな苦しさを知ってか知らずか、棚原は彼女のまぶたに口づけを落とした。それは頬へと移り、鼻先をかすめて耳、首筋から、鎖骨へと移る。そうして再び重なる唇。そっと割り入ってきた棚原の舌だったが、菜胡の舌を捉えるといつもより熱く猛々しかった。互いの境目もわからないほどに貪りあって、やがて淫靡な音が薄暗い室内に響きだした。

 街の灯りが射し込んでうっすらと室内を照らす。布ずれの音と、互いの名を呼び合う吐息しか聞こえない中、互いの着ているものを脱がせ合う。菜胡は初めて男性の肌に触れた。がっしりした体幹は無駄な脂肪もなく、筋肉で引き締まって硬かった。太い首、逞しい手足。そのどれもが菜胡の素肌に吸い付くように触れてくるし、どこに触れても棚原の体温を感じられた。

 最後に残ったブラジャーの前ホックがプツン、と外されてまろび出た乳房。そうだ、と菜胡は手で胸を隠した。

「あの、先生に言わなくちゃいけないことが……」
 菜胡に触れていた手を止めた。

「なに、どした?」
「……さっき唐揚げ屋さんで話した皮膚科の常連だった話ですけど……ここに、痣が、あるんです。あの、見てもらって、その、もし気持ち悪かったら、やめてもらって構い――」
 ぎゅっと目を閉じる菜胡のまぶたに口付けて、当てている手を除けた。

「見せて?」
 棚原は枕元の間接照明を少しだけ明るくして、菜胡の胸部を見下ろした。

 右乳房にそれはあった。鎖骨のあたりから右乳房の上辺にかけて、赤く細かい痣が、ヴェールのように拡がっていた。痣は右の上腕から肘に掛けても拡がっていた。ここ以外にも、太ももと下腹部にもあると、小さな声で告げた菜胡に口付けてから、指先で痣の辺りをそっと撫でた。

「んぁっ……気持ち悪く、ない、ですか――」
 くすぐったいのと、恥ずかしいのと、申し訳ない気持ちから身を捩って逃げようとする菜胡の手をシーツに縫いとめて、棚原は痣にそっと口付けてきた。

「あ……」
 指先とは違う柔らかいものが押し当てられた感触に驚いた菜胡は思わず顔をもちあげ、とても優しく、愛おしそうに、痣のある箇所に口付けを落とす棚原の姿が目に入って、途端に視界が滲んだ。大きく盛り上がったものが眦を濡らして、頬を伝い落ちた。

「これは単純性血管腫だろう、気持ち悪いって……誰に言われたの」
「はっ初めて付き合った人に……そういう時がきて、目にした途端、萎えたって、怒って、何もしないで帰っちゃった。だから、好きになって、こういう事になった時、始めに言わないと……気持ち悪がられたら、怖かったから……」
 言葉の最後は途切れ途切れになりながらも、ようやく言い終えた。

 棚原に甘やかされて、よく泣くようになったと自分でも思う。こんなに泣き虫だったろうか。泣きすぎて呆れられないだろうか。

「そうか……生まれつきのものを他人に拒絶されて驚いたろうに」
 既に服を脱ぎ捨てている棚原に抱きしめられ、腕の中でうなずく。体温が心地良い。

「痣があったから皮膚科に通ってそこの看護師に憧れたんだろ? それで菜胡が夢を叶えてあの病院に来た。更に、初彼が愚かだったおかげで、菜胡はいま俺の腕の中にいる。だからその痣は俺にとったら感謝しかないし、痣があろうが菜胡は菜胡だ。気持ち悪いなんてことはない。むしろ、その痣は俺が菜胡を見つける印だったとすら思うよ」
 菜胡を抱える腕は強くて、胸の温かさや菜胡を見る目はどこまでも優しく、心に突き刺さっていたトゲを少しずつ溶かしてくれる。

「菜胡の全てを愛してる……」
 
< 44 / 89 >

この作品をシェア

pagetop