恋をするのに理由はいらない
 澪の顔など見れず背中を向けると、そのまま帰ろうと足を踏み出す。

「っ! 待って!」

 狼狽えた声とともに、澪が俺の腕にしがみつく。それに足を止めて振り返るが、俯いている澪の表情は見えない。

「……なんで、自分の言いたいことだけ言って逃げるの? 私だって……。使いものにならない選手には用はないんだって思った。お見舞いにもきてくれないし、連絡もくれない。もう、いらないんだって……思うしか……なかったのに……」

 最後は振り絞るように言うその声が、俺の胸を突き刺す。どんな顔をしているのかなんて、言われなくてもすぐわかるその震えた声に。
 緩んだ腕を解くと、体をそちらに向ける。俯いたままの澪は、その背中を小さく揺らしていた。

「いらなくなんか、ならない。絶対に」

 そう言って、ゆっくりとその背中を引き寄せ澪の体を胸に収める。

「だから……。ずっと、そばにいさせてくれないか?」

 俺の肩に顔を埋めたままの澪から返事はない。けれど、間をおいて俺の背中に回されたその腕が返事だ。それに応えるように、俺は澪を抱きしめていた。
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