破れた恋に、火をつけて。〜元彼とライバルな氷の騎士が「誰よりも、貴女のことを愛している」と傷心の私に付け込んでくる〜

 無言で押されるように渡されたので、それを両手で受け取る。もう恋人でもないのになんでという目でクレメントを見上げると、彼は面白くなさそうな嫌な顔をしている。

「何?」

「なんでもない」

 クレメントが仏頂面をしてこの言葉を言うときは、大概は何かあるんだけど。もう彼の恋人でもない私には、それを追求する理由も特には見当たらない。

 彼の暗黙のご指示通りに、黙ることにする。

 どろりとした黒い泥の中に、彼は頓着なく足を一歩踏み入れた。そして躊躇うこともなく、どんどんと先へと進む。

 とても歩きにくそうだと思うくらい膝辺りまで泥に浸かっても、クレメントは特に歩く速度を変えなかった。それを見て、なんだか自分でも表現しがたい気持ちにはなった。

 私には、とてもあれは出来ないと思う。

 全く中の状態を見ることの出来ない泥の中には、一体何が潜んでいるのかとか。そんな余計な事を考えて、それが無意味なことだと解りつつも、恐る恐るジリジリと進むことになると思う。

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