大嫌いの先にあるもの
「せっかくピアノの前にいるんだから一緒に弾こう」

春音がピアノの蓋を開けると、二人でよく弾いた「ジュピター」を弾き出した。
はぐらかされた気がしたが、鍵盤の上に両手を置き自分のパートを弾いた。

春音と僕の奏でるメロディが心地よく重なっていく。
こうして一緒に弾くのは5年、いや6年ぶりぐらいか。
春音のピアノの腕は少しも衰えていない。それ所か上手くなっている。

美香が亡くなった後も僕と弾いたこの曲を弾いていたのがわかる。
どんな想いでピアノに向かっていたんだろうか。
弾く度に僕の事を思い出しただろうか?美香を不幸にしたと憎んでいただろうか?それとも楽しかった時の事を思い出してくれただうろか。

できれば楽しい思い出だけを覚えていて欲しい。
あの頃の僕たちは最高に幸せな時間の中にいたから。

中学生だった春音と、こうやって息を合わせるようにピアノに向かうのは楽しかった。傍らにはいつも美香がいて、3人でいる事が幸せだった。

春音の横顔を見ると、あの頃と同じようにキラキラと輝いていて楽しそうだ。
テンポを上げると、春音がついてくる。ジャズっぽいフレーズを入れると、春音も応戦するように何かのフレーズを弾いた。そんな風に弾き合うのが楽しい。胸が熱くなった。

エンディングまで弾き終わると顔を見合わせて笑った。

今夜のライブも楽しかったが、それ以上に春音と連弾出来た事が嬉しい。

「これでもう思い残す事ないかな」

春音が静かに言った。

「どこか旅にでも出るのかい?」

茶化して聞くと、春音が黒縁眼鏡を外して、じっとこっちを見た。

春音が自分から眼鏡を外すなんて、やっぱり変だ。
家で伊達眼鏡をかけてるなんて無意味だと何度忠告しても外さなかったのに。

不吉な予感に鼓動が早くなった。
< 217 / 360 >

この作品をシェア

pagetop