崖っぷちで出会った 最高の男性との最高のデート(ただし個人の感想です)
 「おはよう」
 「お、おはよう・・ございます」
 弓弦は一ヶ月のマンスリー滞在をしているロビーで青海 悠の出迎えを受けていた。
 「時間ぴったりだ」
 紺と白のボーダー柄のカットソーの上に紺のカジュアルジャケットを羽織り、白のデニム、黒のデッキシューズを履いた悠が、腕時計を見て言った。一昨日、弓弦が盗んだと思って確認した物のひとつだろう。
 時刻は午前八時。殆どがビジネス客のホテルで、仕事に行くためロビーに出てきた人たちに混じって、リゾート感満載の悠が立つ。
 彼ならきっと、ビジネススーツに身を包んでいても人目を引くだろう。雇われる者ではなく、雇う側の者としてのオーラというものを放っている。
 弓弦の服装は、ネイビーのリネンコットンの七分丈のマリンパンツ、小さいセーラーの付いた短い丈のボーダージャケットと麻混の白いカットソー、白のデッキシューズ。昨日朱音さんから渡されたものだった。
 「じゃあ、行こうか」
 さっと身を翻し、スタスタとホテルの出入り口に向かって歩き出した悠を、慌てて追いかける。
 表に停めてあった車に悠は近づいていく。
 「乗って」
 悠が助手席側のドアを開く。
 高級車の重厚な扉の内側のシートは、黒に所々赤の差し色が付いている。
 「さあ、デートを始めよう」
 そう言って弓弦を助手席へと導く。
 一体なぜ彼とこんな風になったのか。弓弦は二日前のあの時に思いを馳せる。


 指先で目尻の涙を拭うと、配達された食事を持って悠たちが戻ってきた。
 「さあ、冷めないうちに食べましょう」
 何事もなかったように朱音がダイニングテーブルの上に、届いたばかりのお弁当を置く。
 「悠、ビール、と言いたいとこだけど、赤ちゃんいるしね」
 「当たり前だ。俺も後で君を送るから飲まないけど、君はどうする?」
 悠が弓弦に尋ねた。出会い頭は怖かったが、朱音と仲の良い兄妹ぶりを見ればいい人だとわかる。初対面の弓弦にも気を使ってくれるのだから。
 「私も、いりません。お食事をいただいたらすぐにお暇しますから、電車もまだあるので送っていただかなくて結構です」
 妊娠がわかってお酒を飲めない朱音の前で飲むのは気が引けた。それに飲むなら人の居ないところでひっそりと飲みたい。
 自分の酒癖を知っている弓弦は彼らの前でのむことを躊躇った。
 「遠慮しないで送ってもらえばいいのに。悠がこんなこと言うの滅多にないのよ」
 「俺たち二人で彼女に迷惑をかけたんだ。それくらい礼儀だろ」
 「では、最寄りの駅まででいいです。ホテルは駅から一分もかかりませんので」
 送る送らないで押し付け合いがしてもキリがないので、送ってもらうことにした。
 三人で豪華三段重ねのお弁当を食べた。繊細な味付けに上品な盛り付け。食事の間、主に話すのは朱音で、内容は夫のこと娘のこと、そして両親のことなどを話してくれた。時折悠が「違うだろ」と口を挟む。彼がそう言うと、朱音はちょとむっとするが、本気で怒っているわけではない。
 彼女の語るエピソードは弓弦の知らない、異世界のような話だった。
 弓弦は信じられない気持ちで聞いていた。
 OUMIグループ。彼らの父親がCEOを勤める企業グループは、弓弦もよく知っていた。その事業は多角系で、製造から物流、そして販売や人材派遣にと幅を広げている。
 悠はそこの御曹司でありながら、大学時代に友人達と起業し、父親とは独立した会社を経営していることを知った。
 『シック・メヴィ』という名は「粋な私」という意味があるらしい。
 別荘から車、毛皮のコートやドレス、アクセサリーなど、高級品を顧客の要望に応じて貸し出す。希望があれば買い取りも可能だ。それらを自前で作った携帯のアプリで販売している。
 このマンションはもともと撮影やパーティ用にレンタルしようとしたが、悠が気に入って買ったと言うことだった。
 「そんなに需要があるんですか?」
 物を作って売る。父親の会社はそうやって経営している。それとは違うビジネスのやり方に純粋に興味を示した。
 「だから俺の生活が成り立っている」
 「そう言っているけど、会社経営とは別に証券取引もやっていて、そっちの方が収入が多いんじゃないかな」
 「会社はあくまで俺が代表というだけで、一緒に起業した皆のものだから、利益は平等に分配している。そっちは生活費で、贅沢なことは株の方の利益で、ということか」
 「凄いですね、大学からもう会社を経営されていたなんて。何も無いところからここまで成功されるなんて、立派だと思います」
 ぐるりと部屋の中を見渡す。親が大企業のCEOなのだから、生まれたときからスタートが違うし、受けてきた教育も一流なんだろう。でもそれに甘んじることなく、自分で人生を切り拓いているなんて凄いと弓弦は思った。
 凄すぎて、嫉妬も感じない。
 「・・・ありがとう」
 悠がすっと顔を背ける。ありきたりな賛辞だったかと、語彙力のなさに弓弦は自分を責めた。
 「あ、照れてる?」
 「うるさい」
 ドストレートな弓弦の褒め方が、悠には新鮮だった。嫌みでもなく、素直な言葉に不意を突かれた。
 「それで?」
 「え?」
 朱音が悠に目配せし、「わかった」と悠が頷く。
 「君のことは?」
 「わ、私・・ですか? 別に私・・」
 「さっきの電話、玄関は吹き抜けになっていて、音が反響するんだ。何かトラブル?」
 朱音の方を見ると、彼女はそっと手を伸ばし机の上の弓弦の手を握る。
 「あなたの様子、尋常じゃなかったわ。出会ったのも何かの縁だし、話してみて」
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