竜帝陛下と私の攻防戦
 数十秒とも数分とも分からない間、空間は渦を巻き歪みながら世界と世界を隔てる境界を越え、此処へと違う場所へとベルンハルトを運んでいく。


 霞がかかった視界は役に立たず、ベルンハルトは周囲の気配を探った。いつの間にか片膝を突いていたのは感触から絨毯だろうか。
 世界の境界を越えたなどと異世界での生活は夢のようだった。
 しかし、腕に抱いている分厚い二冊の魔術書と温もりが、今まで居た場所と其処で過ごした時間は現実だったいう証拠になっていた。

「此処は……」

 視界がクリアになっていくと、周囲の状況が判明してくる。

 自分が居たのは明らかに先程まで木造家屋の居間とは異なる部屋。
 木造の低い天井、障子と襖の代わりに重厚な木製の扉、磨きあげられた石造りの壁と床に敷かれた毛足の短いカーペット。室内には電気製品は一切置かれてはいない。
 窓から射し込んでくる夕陽から、今が夕方だということは分かる。
 此処は先程とは全く異なる場所、空気中に含まれる魔素から自分が元居た世界だった。

 室内は見たことがある気もしたが、此処が何処なのかははっきりと思い出せず、ベルンハルトは首を振ってから腕に抱えた温もりを抱き締めた。

 どうしたものかと、考えていると少し離れた場所からバタバタと此方へ走ってやって来る足音が聞こえる。
 扉へ視線を移さずとも直ぐに見知った者の気配だと気付く。だとすれば、此処は。

「戻って、来たのか?」
「陛下!?」

 呟きとほぼ同時に、バタンッと勢い良く開けられた扉の向こうに居たのは、久方振りに会う宰相だった。
 滅多に見られない、焦ったトリスタンの表情にベルンハルトの口元には笑みが浮かぶ。

 一方のトリスタンは、何時もと全く変わらない様子で自分を見るベルンハルトを確認して安堵の息を吐き、彼の腕の中を見てぎょっと目を見開いた。

「今まで何処へ行っていたのですか? それから、何時お戻りになったのです? そして大事そうに抱えている女性は何方ですか?」
「此処はどこだ?」
「あのねぇ、陛下……」

 焦りと呆れが混じった問いには答えずに、ゆっくり立ち上がりながら問いを返してくるベルンハルトに対し、ついトリスタンは溜め息を吐いてしまった。
 以前から、ベルンハルトがふらりと一人で出掛けることはしょっちゅうあったとはいえ、姿をくらます前に少しは臣下の苦労を考えて欲しい。
 文句の一つも言ってやろうかと思ったが、いきなり腕に見知らぬ女を現れたベルンハルトの姿に、どこか違和感を覚えたのも事実。
 自分に対して彼が傍若無人な態度をとるのは、小言ではなくつい素直に彼からの問いに答えてしまうからいけないのだろうかと、トリスタンはこめかみが痛くなった。

「此処は皇帝宮の、普段は使用していない部屋です。陛下の気配がしましたので、違反を承知で転移魔法を使用しました」
「成る程」

 覚えのある場所と空気にベルンハルトは納得する。
 転移する前、自分はレヌール神殿に居たはず。
 元の世界へ戻った際、時空のズレでも生じて馴染みの深い皇帝宮へ転移したのか。

「陛下、五日間もどこに行っていたのですか? そちらの女性は、何処から攫って来たのですか?」

 トリスタンから問われたベルンハルトの眉間に皺が寄る。

「五日だと? トリスタン、レヌール神殿制圧の後始末はどうなっている?」
「はっ、反乱を企てていた第三騎士団長とレヌール神官長、チェゼナス大臣を尋問し、彼等の協力をした者達全てを捕縛しに動いております。全ての者達を捕縛し終わったら、反逆罪で処刑する手筈です。で、そちらの女性は?」

 報告を受けたベルンハルトの思考は瞬時に冷酷な皇帝へと切り替わる。
 反逆を企てた兄を斃《たお》してからまだ、五日しか経っていないのならば魔術書の呪いより先にそちらを処理しなければならない。
 平和な異世界では無意識に抑圧していた、残酷な竜の本能が沸々と湧き上がっていく。

「陛下?」
「今まで仕えてくれた大臣と第三騎士団長には俺直々に手を下そう」

 クツクツと喉を鳴らしたベルンハルトは口の端を吊り上げ、腕の中で気を失っている佳穂の頬をそっと撫でた。

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