仮面夫婦のはずが、冷血御曹司の激愛で懐妊いたしました
恋のはじまり
 満天の星のもと静かな湖の水面に、黄金色の月がぽっかりと浮かんでいる。ちゃぷんちゃぷんという水の音が耳に心地よくて、澪はほぅと息を吐いた。
「綺麗……」
 少し冷たい夜風が吹いて、澪の頬を撫でた。
「寒いだろう」
 圭一郎が着ていたウインドブレーカーを脱ぎ、後ろからそれを澪に着せてくれる。彼の香りに包まれて澪の頬は熱くなった。
 新婚旅行最終日の夜である。
 夕食後、ふたりはホテルからも見える湖畔へ夜の散歩にやってきた。圭一郎に誘われたのである。
 なんの目的もなくただふたり並んで歩くだけ。一週間前の澪だったら、こんなふうに彼と散歩をするなんて、いったいなにを話したらいいのやらと気まずい思いを抱いたかもしれない。でも今は、そんな風には思わない。胸がドキドキするのは変わらないけれど、ふたりでいることに言いようのない居心地のよさを感じていた。
 そのくらい、この一週間でふたりの距離は縮まっていた。
 この旅行は澪が当初想像していたものとはまるっきり違っていた。
 もともとは彼の仕事に支障がないことを考慮して決められた計画だったから、澪はほとんどの時間をひとりで過ごすものと思っていた。でも蓋を開けてみれば、彼は本格的に仕事をしていたのは初日だけで、時折パソコンのチェックはするものの、あとの日はずっと澪と一緒に行動していたのだ。
 原生林へのハイキングから始まって、醸造所やチーズ工房への見学、ガラス工房での手作り体験、澪はやりたいと思ったことすべてを、圭一郎と一緒にやったのだ。本当に、全然予想もしていなかった展開だ。
 でもそれを澪は少しも嫌だとは思わなかった。
 それどころか……。
「明日で終わりかぁ」
 夜空を見上げて澪は呟く。この旅行が終わることを、とても残念に思っている。
 圭一郎がそんな澪をチラリと見て、やや申し訳なさそうに口を開いた。
「……本当に今さらだが、新婚旅行をこちらの都合で全部決めて悪かった。また別の機会に君の希望に沿う場所へつれていくよ。すぐにとはいかないけど」
 澪は彼を見て首を横に振った。
「そんなことは……」
 そして少し考えてから、今胸にある素直な思いを口にした。
「この旅行、私すごく楽しかったです。あまり人が入れない森に行けたのも嬉しかったし、ホテルの雰囲気も好きでした。確かに私が選んだ場所ではないけど、新婚旅行がここでよかったって思います。もし別の機会にどこかへ連れていってくれるなら、私またここへ来たいです」
 そう言って彼を見ると、圭一郎が眩しそうに目を細めた。
「ああ、また来よう」
 嬉しかった。
 不安だらけだった新婚旅行が思いがけず楽しかったことも、今自分が彼の隣にいることも、またここへ一緒に来れるのだということも。
 そしてなによりそう感じられること自体が、とてもとても幸せだ。
「澪」
 名前を呼ばれて、頬が彼の手に包まれる。その温もりに頬ずりをすると胸の中が温かいものでいっぱいに満たされた。その温もりの正体に、もう澪は気づいている。
 こんなにも早くこんな気持ちになるなんて、自分に起きたことが信じられない。
 ドラマか、小説の中だけの話だと思っていた。
 でも間違いないと確信する。
 ——恋に落ちるって、こういう感じなんだ。
 心の中でそう呟いた時、唇に優しいキスが降ってきた。
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