捨てられた前世【大賢者】の少年、魔物を食べて世界最強に、そして愛のために日本へ
1-11. 最凶最悪の妖魔、妲己
ぐわぁぁ!
尻もちをつくヴィクトル。
「フハハハハ!」
広間には不気味な若い女の笑い声が響いた。
クッ!
見ると、黄金の光をまとい、ゆっくりと宙を舞う美しい女性が黒髪をふんわりと波打たせながら楽しそうに笑っている。女性は赤い模様のついた白いワンピースを着て、腕には羽衣をまとわせて、うれしそうに腕を舞わせる。ワンピースには脇にスリットが入っており、美しい肌がのぞいていた。
ヴィクトルはすかさず鑑定を走らせる。
妲己 レア度:★★★★★★★
太祖妖魔 レベル 354
「ヒェッ!」
ヴィクトルは絶望に打ちひしがれた。レア度7は前世でも見た事が無い振り切れた値なのだ……。
伝説では国をいくつも滅ぼしたとされる、最凶最悪の妖魔、妲己が今、目の前で舞っている。ヴィクトルは心の奥底から湧きおこる恐怖を押さえられず、ガクガクと震えた。
「余を呼びしはお主じゃな? どこを滅ぼすんじゃ?」
妲己はニヤッと笑う。
「え? わ、私ですか?」
「何言っとる、生贄はお主がくれしものじゃぞ? 最初ショボい生贄でやる気など出なんだが、お主がたくさん用意し事で来る気になったのじゃ」
ヴィクトルは驚いた。殺した魔物は全部生贄として使われてしまったらしい。
「そ、それは手違いです」
ヴィクトルは冷や汗を垂らしながら答えた。
「へぇ……? 手違いで余を呼びしかっ!」
妲己から漆黒のオーラが噴き出し、不機嫌そうな視線がヴィクトルを貫く。
「お、お鎮まりください!」
ヴィクトルは必死に怒りを鎮めようとしたが、妲己は、
「不愉快なり! 死をもって償え!」
そう叫ぶと、腕を光り輝かせながらブンと振る。
直後、光の刃が目にも止まらぬ速さで飛び、ヴィクトルを一刀両断に切り裂いた。
ガハッ!
地面に崩れ落ちるヴィクトル。
妲己に、バシッ! という音が走ったが、妲己は平気な顔をしている。
「怪しきアイテムを持っとったな? 小賢しい奴じゃ。じゃが、効かぬぞよ」
妲己はニヤリと笑った。ここまでレベルが高いと『倍返し』のアイテムは効かないようだった。
ヴィクトルは朦朧とする意識を必死に立て直し、
「ヒ、ヒール!」
と、回復をかけながら妲己を見上げる。
「ほぅ? 小童、あれで死なぬか……ほぅ」
と、興味深げにヴィクトルを眺めた。
「お、お帰り頂くことはできませんか?」
ヴィクトルはよろよろと立ち上がりながら聞く。
「はぁ!? たわけが!」
妲己はブワッと漆黒のオーラを巻き上がらせ、そのままヴィクトルにぶち当てた。
グハァ!
吹き飛ばされるヴィクトル。
「ただで帰れと言うか! 街の一つや二つ滅ぼさんと気が済まぬ!」
妲己はそう叫んでにらんだ。
「わ、分かりました。そうしたら、三年……三年待ってください。私が強くなって妲己様の満足のいくお相手をします」
「小童、お主がか? はっはっは! 言うのう……。ふむ……、一年じゃ。一年だけ待ってやろう! 余も手下の準備が要りしことじゃしな」
妲己はそう言うと優美に腕を舞わせ、鮮烈な光をまとった。
うわっ!
思わず腕で顔を覆うヴィクトル。
フハハハハ――――!
妲己は楽しそうに笑うと、一気に飛び上がり、広間の天井をぶち抜いて飛び去って行く。
やがて広間には静けさが戻ってきたが、ヴィクトルの耳には、忌々しい笑い声がいつまでも残っていた……。
「い、一年……」
ヴィクトルはひざから崩れ落ちる。
とんでもない事態を引き起こしてしまった……。
自分は昨日までレベル1だったのだ。たった一年鍛えた位で、レベル三百五十を超える伝説上の化け物に勝てる訳がない。
どう考えても無理だった。
しかし、放っておいたら手あたり次第街を襲うだろう。そして妲己を倒せる人間など誰もいない。多くの人が死んでしまう……。
これは自分の責任だ……。
ヴィクトルはうなだれる。
もはやできること全てをやってみる以外なかった。
1-12. 三分に一匹
ヴィクトルは大きく息をつき、よろよろと立ち上がると、生贄とされてしまった冒険者たちに近寄る。そして、虚空をうすぼんやりと映す瞳を指先でそっと閉じ、
「レストインピース!」
と、鎮魂の魔法をかけた。
冒険者たちの遺体は光に覆われ、やがて蛍のように無数の光の粒となり、飛び立って宙へと消えていく。
ヴィクトルは志半ばで魔物に倒されてしまった冒険者たちを思い、黙とうをささげた。
いつ、自分がこうなってもおかしくない……。他人事とはとても思えなかった。
後には衣服と装備が残っている。
認識票を見れば赤茶の銅色だ。これはCランクを表す。かなり優秀なパーティだったはずなのだが……、それを倒せる魔物がここにはいたのだろう。かなりレベルの高いゴブリンシャーマンかもしれない。もしくは卑劣な罠を使ったのか……。だが、今となっては何もわからない。
床に転がる武器を鑑定してみる。
青龍の剣 レア度:★★★
長剣 強さ:+2、攻撃力:+30、バイタリティ:+2、防御力:+2
特殊効果:経験値増量
疾風迅雷の杖 レア度:★★★
魔法杖 MP:+7、攻撃力:+10、知力:+3、魔力:+10
特殊効果: MP回復速度向上
そこそこ良い武器だ。特に特殊効果が嬉しい。
また、アイテムバッグにはポーション類も揃っていた。アイテムバッグは四次元ポケットのように、多くの物を小さなカバンに収納できる魔法のバッグであり、とても便利なものだ。冒険者のルールとして仇をとった者は所持品を譲り受けられる。申し訳ないがありがたく使わせてもらうことにする。
ここまで準備していてもやられてしまうとは……。ヴィクトルは改めて魔物との戦闘の無慈悲さにため息をついた。
◇
ヴィクトルは『疾風迅雷の杖』を装備してみる。短めのステッキだが、柄のところに青色に光る宝石が埋め込まれており、握るとフワッと体中に力が満たされるような感覚があった。
防具も装備したかったが、さすがに五歳児が装着できるものはない。
「さて……、どうするか……」
ヴィクトルは考え込んだ。今までみたいなチマチマとした魔物狩りでは効率が悪すぎて到底妲己には勝てない。もっとアグレッシブに命がけの戦いに身を投じるしかない。
魔物が一番いるのはダンジョンだ。この暗黒の森の奥にも悪名高いダンジョンがある。ワナや仕掛けがえげつなく、出てくる魔物も凶悪揃いで冒険者たちからはあまり人気のないダンジョンだった。
しかし、ヴィクトルにもう選択肢はない。そこへ行く以外なかった。よく考えたら効率を考えれば、人気が無いのはむしろ都合が良いかもしれない。
ヴィクトルは過去の記憶を頼りにダンジョンへと急いだ。レベルはもう三十なので少し余裕がある。
一体どのくらい鍛えたら妲己に勝てるだろうか?
ヴィクトルは暗算をし、十万匹くらいと見当を付ける。十万匹を一年で狩るには三分に一匹のペースが必要だ。起きている間中ずっと三分に一匹ずつ狩り続ける……、ヴィクトルは思わず宙を仰いだ。それは地獄にしか思えなかった。
また、単純に数をこなせばいいという物でもない。雑魚だけではレベルが上がらない。レベルが足りなければ使える魔法も制限されてしまい、到底妲己には勝てない。つまり、それなりに強い敵を三分に一匹ずつ狩り続けなければならないのだ。これは正攻法では不可能だ。アイテムを使った自爆攻撃を繰り返すしか道はない。
一体何回殺されるのだろうか……、十万回?
ヴィクトルは思わず足を止め、しゃがみこんでしまった。
十万回殺され続ける修行、そんな話聞いた事が無い。狂ってる……。ヴィクトルはあまりにも常軌を逸した修行に思わず気が遠くなり、うなだれた。
しかし、レベル三十の子供が、世界最強の妖魔にたった一年で勝つためには他に方法などなかった。
「調子に乗って余計な事しなきゃよかった……」
ポタポタと涙が落ちる。
そもそも、『愛する人とスローライフを楽しむ』というこの人生の目標はどこへ行ってしまったのか? 前世の稀代の大賢者時代ですら勝ち目のない妲己に、一年で勝たねばならないとは、前世よりもよほどハードモードではないのか……?
ヴィクトルは頭を抱え、首を振った。
しかしこうしている間にも時間は過ぎていく。
ヴィクトルは大きく息をつくと、涙をぬぐってグッとこぶしを握り、立ち上がる。そして、この過酷な運命を受け入れる覚悟を決めた。
◇
ダンジョンの入り口にたどり着いた時には、すでに陽は傾いていた。
崖の下の方にポッカリと開いたダンジョンは人気もなく、雑草が生い茂っており、知らなければここがダンジョンとは気づかないだろう。
来る途中、何匹か魔物を狩り、魔石を食べながら来たのでそれほど疲れてはいない。
ヴィクトルは魔法のランプを浮かべ、洞窟の中を照らした。湿った岩肌がテカり、カビ臭いにおいが漂ってくる。
目をつぶり、何度か深呼吸をすると、ヴィクトルはダンジョンの奥をキッとにらみ、小走りにエントリーしていく。何しろ三分に一匹なのだ、休んでいる時間などなかった。
1-13. 骸骨襲来
ワナに注意しながら暗くジメジメした洞窟の中を進むと、さっそく魔物の影が動いた。
ヴィクトルはアイテムバッグから『青龍の剣』を取り出すと、装備する。大賢者としては魔法連発で行くのが王道であったが、そんなことしたらMPの回復待ち時間が必要になってしまう。そんなロスタイムは許されない。
ヴィクトルは継続回復魔法『オートヒール』を自分にかけた。これはしばらくの間HPを毎秒十ずつ回復してくれる便利な魔法である。これなら殺されてもすぐに次の攻撃を食らっても大丈夫にできる。
そして、『青龍の剣』を構えると、魔物へ向けて駆け出した。
見えてきたのはスケルトン、骸骨のアンデッド系魔物である。
スケルトンはヴィクトルを見つけるとカチカチと歯を鳴らし、棍棒を振り上げて走ってくる。
「そいやー!」
ヴィクトルは慣れない剣を力任せに振り下ろす。
青龍の剣は、口を開けた間抜け顔のスケルトンの肩口にヒットした。
グガッ!
スケルトンは断末魔の叫びを上げ、ガラガラと崩れ、骨が散らばり、最後に魔石なって転がった。
よし! と思ったのもつかの間、さらに三匹が襲いかかってくる。
骸骨の化け物が、カチカチと歯を鳴らしながら駆け寄ってくる不気味さに、ヴィクトルは顔をしかめ、奥歯をギリッと鳴らすと体勢を取り直した。
そして、スケルトンが間合いに入るのを待ち、大きく振りかぶった剣を力いっぱい振り下ろす。
あっさりと砕け散る先頭のスケルトン。
しかし、次のスケルトンの棍棒が予想以上に伸びてきて、殴られてしまうヴィクトル。
グハッ!
口の中を切ってしまい、血がポタポタと垂れる。
しかし、ひるんでいられない。
ヴィクトルは歯を食いしばると、力いっぱい剣を振り上げてスケルトンの胴体にヒットさせて砕いた。が、同時に三匹目の棍棒をまともに浴びた。
クゥッ!
たまらずゴロゴロと転がってしまうヴィクトル。
HPにはまだ余裕があるが、痛いものは痛い。
「チクショー!」
ヴィクトルはよろよろと立ち上がると、振り下ろされてくる棍棒をギリギリのところで避け、剣を野球のバットのように横に振りまわした。
ガキッ!
いい音がしてスケルトンの背骨が砕け、バラバラと全身の骨が崩れ落ちていく……、そして最後には魔石となり、コロコロと転がる。
「ふぅ……」
無様な緒戦ではあったが、なんとか三匹同時でも剣で対処できたのは大きかった。
それにしても防具は欲しいし、剣の扱い方も真面目に学んでおけば良かったと、思わずため息が漏れる。準備不足の状態で突入してしまった地獄の修行。ヴィクトルは魔石を拾いながら、前途多難な道のりに気が遠くなった。
◇
それから一週間、ヴィクトルは起きている間中剣を振り続けた。五歳児の腕ではすぐに痺れ、限界に達してしまうが、治癒魔法で治しながらだましだまし戦闘を続ける。
すでに倒した魔物は二千匹。レベルは五十七に達していた。ただ、パラメーターは魔石を食べる事で異常に上がっており、実質レベル百相当の強さにまで成長していた。
自分のレベルより強い敵を倒せるということは経験値的には大変美味しいことであり、レベルの上がり方も異常に速かった。
その日、ヴィクトルはダンジョンの地下47階に来ていた。そこは地下のはずなのに、階段を下りたらなんと青空が広がっていた。
広い草原には爽やかな風が吹き、草のウェーブがサーっと走っている。さんさんと照り付ける太陽はポッカリと浮かんだ白い雲の影を草原に落とし、ゆったりと流れていく。
なんて気持ちのいい風景……、しかしここは地獄のダンジョン。どこにどんな罠があるかもわからないのだ。
早速索敵の魔法に反応があった。
そこそこの強さの魔物が草原をこちらに駆けてくる。その数七匹。剣では分が悪い。ヴィクトルは杖に持ち替えると魔法の詠唱を始めた。
空中に真紅の円が描かれ、続いて中に六芒星、そして書き上げられていくルーン文字……。
草むらから飛びかかってきたのはウォーウルフの群れだった。灰色の巨体に鋭い牙、金色に光る瞳が並んで襲いかかってくるさまに気おされ、ヴィクトルの背筋にゾクッと冷たいものが流れる。
しかし、ひるんでもいられない。ヴィクトルは気を強く持って魔法陣を完成させると、
「灼熱炎波!」
と、叫ぶ。
魔法陣から爆炎が噴き出し、あっという間にウォーウルフたちを飲み込んだ。
1-14.潰された子供
キャンキャン!
叫び声が上がる。
やったか!? と思ったのもつかの間、四匹が構わず突っ込んできた。
やはり、まだ火力不足である。
ヴィクトルは往年のアマンドゥス時代の火力を懐かしく思いながら、剣に持ち替え、ギリッと奥歯を鳴らした。
果たして、次々と飛びかかってくるウォーウルフ。
ヴィクトルは一匹目を一刀両断にするも、次のウォーウルフの爪の餌食となって切り裂かれ転がった。
グハァ!
同時に攻撃したウォーウルフもアイテムの効果を受けて転がる。
後続のウォーウルフはお構いなしに血まみれのヴィクトルの腕に噛みついた。ヴィクトルは自由になる手で口元に向けて、
「風刃!!」
と、叫び、ウォーウルフの内臓をズタズタに切り裂いた。
しかし、まだ一匹残っている。
ヴィクトルはヒールをかけ、体勢を立て直すと、ウォーウルフに対峙した。
はぁはぁと肩で息をするヴィクトル。
仲間をやられた怒りで金色の瞳の奥を赤く光らせるウォーウルフ……。
にらみ合いながら、ジリジリとお互い間合いを計る……。
直後、覚悟を決めたウォーウルフが飛びかかってきた。
ヴィクトルは鋭く剣を走らせるが、ウォーウルフは巧みに前足で剣の軌道をそらしヴィクトルの喉笛に鋭い牙を食いこませた。
グフッ!
ヴィクトルは真っ赤な血を吐きながらウォーウルフと共に倒れ、ゴロゴロと転がる……。
直後、ウォーウルフはギャン! という断末魔の叫びを上げながらアイテムの効果で絶命し、ヴィクトルは朦朧としながら草原に転がった。
「七匹は……無理だよ……」
そうつぶやき、しばらく大の字になってぼーっと空を眺める。
青空には真っ白な雲がぽっかりと浮かび、爽やかな風がサーっと草原を走った。
◇
さらに一カ月たち、一万匹の魔物を倒したヴィクトルのレベルは91にまでなっていた。魔石を食べる効果で強さはレベル200相当にまで達している。
暗黒の森のダンジョンに来ていた冒険者のパーティはその日、信じられないものを目撃した。
パーティで巨大な岩の魔物、ゴーレムと対戦するも、予想以上に硬い防御に苦戦していた時のこと――――。
「ダメ――――! もうMP切れだわ!」
黒いローブをまとった女性が叫ぶ。
直後、ゴーレムは、
グォォォォ!
と、叫びながら全身を光らせ、鋭いパンチを盾役に浴びせる。
ぐはぁ!
盾役はたまらず転がった。
「ダメだ! 撤退! 撤退! シールド張って!」
剣士が叫んだが、
「あれっ!? ごめんなさーい! もうMP切れ――――!」
僧侶が泣きそうになりながら答える。
「バッカ野郎! どうすんだよぉ!」
剣士は真っ青になって喚く。
パーティは崩壊寸前だった。
走って逃げてもゴーレムの方が足は速い。逃げるのにシールドは必須なのだ。
すると、小さな子供がやってきてニコニコと可愛い顔で剣士に聞いた。
「僕が倒しちゃっていいですか?」
子供はあちこち破れたズタボロの服を着ているだけで、装備らしい装備もしていない。
「え!? 倒す……の? お前が?」
「うん!」
「そ、そりゃ……倒してくれたらありがたいけど……」
「じゃぁ、やっちゃうね!」
子供はそう言うとテッテッテとゴーレムに近づいて、
「ファイヤーボール! ファイヤーボール! ファイヤーボール!」
と、巨大な火の玉を次々とぶち当てた。
「お前ら! 逃げるぞ!」
剣士はメンバーに声をかけると駆け出し、安全な距離を取る。
そして、物陰からそっと戦いの様子をのぞいた。
しかし、ゴーレムはファイヤーボール程度ではビクともしない。
岩でできた巨大な腕をグンと持ち上げると、子供に向けて振り下ろした。ところが、子供は逃げるそぶりも見せず、そのまま潰される。
グチャッ!
嫌な音が広い洞窟に響いた……。
「あぁぁ! ……。あの子……、やられちゃったぞ……」
剣士は青い顔で言う。
しかし、同時にゴーレムもなぜかダメージを受け、ズシーン! とあおむけに倒れた。
「へ!?」
黒ローブの女性が驚く。
すると、潰されたはずの子供が光をまといながら立ち上がり、再度ファイヤーボールを唱え続けた。
ドーン! ドーン!
洞窟にはファイヤーボールの炸裂する爆音が響く。
ファイヤーボールを受けながらも、ゆっくりと立ち上がるゴーレム。
直後、子供は
「ウォーターカッター!」
と、叫び、鋭い水しぶきを放った。
真っ赤に熱されたゴーレムは水を受けてビシッ! と亀裂が走る。
「おっ! あいつすげぇぞ!」
剣士は声をあげた。
しかし、与えたダメージは亀裂止まりでゴーレムは止まらない。
ゴーレムは足を持ち上げると、子供を一気に踏みつぶした。
ブチュ!
聞くに堪えない音が再度洞窟に響く……。
「きゃぁ!」
黒ローブの女性は思わず耳を押さえ、悲鳴を上げた。
が、次の瞬間、ゴーレムは、
グァゴォォォ!
と、断末魔の叫びを上げ、消えていった。
なんと、子供がゴーレムを倒したのだった。
「はぁ!?」「へ?」
剣士も女性も信じられなかった。自分達でも倒せなかったあの頑強なゴーレムが、何の装備もない、可愛らしい子供に倒されたのだ。
やがて、子供は起き上がり、魔石を拾うと、何事もなかったようにテッテッテと駆け出して、階段を下りて行った。
「おい! あの子、下へ行ったぞ!」
剣士は仰天した。この下にはもっと強い魔物が居るというのに、何の躊躇もなく、休む事もなく下へ行ったのだ。
パーティの面々は訝しげにお互いの顔を見合わせながら、無言で首をかしげるばかりだった。
1-15. 歓喜の超音速
さらに十カ月、ヴィクトルは地下九十八階で手あたり次第に魔物を狩っていた。
HPやMPは二十万を超え、ステータスもレベル千相当以上の強さに達するヴィクトルはもはやダンジョンでは敵なしである。それでも使える魔法のバリエーションを広げる意味で、レベルは上げておきたい。
ヴィクトルはダンジョン内の広大な森の上を飛びながら魔物を物色し、見つけ次第魔法の雨を降らせて瞬殺していく。
その様はまさに地獄からの使徒、魔物たちは逃げる間もなく断末魔の悲鳴を上げながら燃え盛る魔炎の中、魔石を残し、消えていった。
そしてついにその時がやってくる……。
ピロローン!
レベル二百を告げる効果音がヴィクトルの頭に響く。
その瞬間、地獄の修行は終わりを告げたのだった。
「や、やった……」
ヴィクトルはそうつぶやくとしばらく目をつぶり、疲れ果てた体のままただぼんやりと宙に浮かぶ。その体にはもうマトモな服も残っていない。上半身は素っ裸で煤だらけ、ボロボロの短パンだけが唯一人間らしい文化の名残を残していた。
ヴィクトルは最後に倒したキメラの魔石を拾いに地面に降りる。そして、黄色に輝く魔石に解毒の魔法をかけ、透明にすると一気に吸った。ほろ苦い芳醇な味わいが一気に口の中に広がり、爽やかなハーブの香りが鼻に抜けていく……。まるでエールのようだった。
「カンパーイ!」
ヴィクトルは空になった魔石を空へと掲げた。それは一年にわたる死闘の終結を祝う、至高の一杯だった。
ステータス画面を開くと、レベル二百で解放された偉大な魔法の数々が並んでいる。ヴィクトルは前世アマンドゥス時代をはるかにしのぐ力を手に入れたのだった。
これなら妲己にも勝てるだろう。あの美人の姉ちゃんをコテンパンにしてやる。
ヴィクトルは興奮しながらこぶしをぎゅっと握った。
◇
ヴィクトルは十一か月ぶりに地上に戻ってきた。
洞窟を出ると、赤紫に輝く朝の雲が目の前に広がっている。思わず見とれ……そして、幸せいっぱいに目をつぶると大きく深呼吸をした。
朝の風が森の爽やかな香りを運び、ヴィクトルの伸びきった髪をゆらす。ヴィクトルは無事地獄の修行を終え、地上に戻ることができた。何度も何度も、それこそ何万回も殺され、それでも妖魔から人々を守るために歯を食いしばり、ピンチを脱出してきた。
ヴィクトルはつい涙をポロリとこぼす。
もう止めようと思ったことも、絶望の中で心が折れそうになったことも数えきれないほどある。それでも大賢者としての矜持がそれを許さなかった。
「やったぞ! チクショー!」
ヴィクトルはそう叫びながら右手を突き上げると、真紅に輝く魔法陣を瞬時に描き、覚えたばかりの最強の火魔法絶対爆炎を朝焼けの空へ向けて放つ。絶対爆炎は空高く大爆発を起こし、激しい閃光を放つと森一帯に衝撃波を放った。
ズン!
衝撃波で大きく揺れる木々。それは地獄の修行に成功した祝砲だった。
ヴィクトルは初めて使った究極の火魔法絶対爆炎の性能に満足し、ニヤッと笑うと飛行魔法で飛び上がる。
「ヒャッハ――――!」
レベル千を超えるステータスは異常だった。ヴィクトルが加速するとどこまでも上限なしに速度は上がっていく。
グングンと高度を上げていくと、いきなりまぶしい光に照らされた。真っ赤な朝日が東の空、茜色の雲の向こうに昇ってきている。
一年ぶりの本物の太陽。ヴィクトルはうれしくなって太陽に向かって飛んだ。
「帰ってきたぞ――――!」
ヴィクトルはクルクルとキリモミ飛行をしながらグングンと速度をあげた。
どんどんと小さくなっていく暗黒の森。あんなに恐ろしかった死の森も今やヴィクトルにとってはただの楽しい狩場である。
「クックック……」
ヴィクトルは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。もはや世界最強。誰も自分を止められる者などいない。そして前世と違って何のしがらみもない。自由だ! 早く妲己の姉ちゃんをギャフンと言わせて念願のスローライフを満喫するのだ!
どこに住もうかな? 王都? 無人島? 森の奥で畑を耕すのもいいかも……?
ヴィクトルは妄想を膨らませながら、朝の爽やかな空気の中さらに速度をあげた。
上空の空気は冷たい、上半身裸のヴィクトルは徐々に寒くなってくる。
「そうだ! 服を買いに行こう! 髪の毛も切らなきゃね」
ヴィクトルは長い髪の毛を手でつかみ、野生児のような身なりをちょっと気にし、そして、自分の周りにシールドを張り、風防とした。
「これ、どこまで速度上げられるんだろう?」
ヴィクトルは好奇心で魔力を思いっきりかけてみる。
グングンと上がっていく速度。シールドはビリビリと振動してくる。
眼下の景色は森も山も川もまるで飛んでいくように後ろへと消えていった。
ヴィクトルはグッとこぶしを握り、さらに魔力をつぎ込んだ。
するとまるで浮き輪をしたように、ドーナツ状の雲が自分を囲むように湧いてきた。
「これ……なんだろう?」
いぶかしく思いながらさらに加速した時だった。
ドーン!
激しい衝撃音がシールドをゆらした。
「え?」
見るとシールドが赤く光っている。
そう、音速を超えたのだ。ヴィクトルはこの星で初めて音速を超えた人になった。
「す、すごいぞ!」
理屈では知っていたものの、まさか音速を超えられるとは思わなかったヴィクトルは、思わずガッツポーズをした。
森が山がどんどんと音速で後ろへと飛んでいく。ヴィクトルはその不思議な光景に思わずにんまりとしてしまう。大賢者として未知の現象は珠玉の甘露だった。
やがて向こうの方に大きな山が見えてきた。綺麗な円錐形をして、山頂には雪も見えている。
さらに近づいて行くとその山は火山で、上の方が吹き飛んだような形をしていることが分かった。横から見ると台形で、崖の稜線が連なって見える。
ヴィクトルはその美しい自然の造形に魅せられて、速度を落とし、その山の上空をぐるりと回る。
「おぉ、綺麗だなぁ……」
思わずウットリとするヴィクトル。
こういう所に住むのもいいかもしれない。でもそれじゃまるで仙人みたいだな……。ヴィクトルはボーっとそんな事を考えていた。
1-16. 美しき暗黒龍
と、その時だった。激しいエネルギー反応を感じ、ヴィクトルはあわてて回避行動を取る。
「危ない!」
鮮烈な火炎エネルギーがヴィクトルをかすめて上空へと消えていった。
見ると、巨大な魔物が大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせながら近づいてくる。鑑定をかけると、
ルコア レア度:★★★★★★
暗黒龍 レベル 304
なんと伝説に聞こえた龍らしい。確か古の時代にこの龍の逆鱗に触れて街が一つ滅ぼされた、という話を聞いたことがある。
「小童! 断りもなく我が地を飛び回るとはどういう料簡じゃ!」
厳ついウロコ、鋭いトゲに覆われた恐竜のような巨体が重低音で吠え、大きく開いた真っ青に光る瞳でギョロリとにらむ。
「これは失礼。そうとは知らなかったもので。でも、いきなり撃ってくるというのもどうですかね?」
ヴィクトルはにらみ返した。
「生意気な小僧が! 死ね!」
そう言うと暗黒龍ルコアはファイヤーブレスを吐いた。鮮烈に走る火炎放射はまっすぐにヴィクトルを襲う。
ヴィクトルは直前でかわすと、間合いを詰める魔法『縮地』でルコアのすぐ横に迫った。
「へっ!?」
驚くルコアの横っ面を、思いっきりグーでパンチをする。
ギャゥッ!
悲鳴を残してルコアはクルクルと回りながら落ちて行く。
「暴れ龍め! 僕が食ってやる!」
ヴィクトルは全力の飛行魔法で追いかけると、音速の勢いのまま、どてっぱらに思いっきり蹴りを入れた。
ドーン!
蹴りの衝撃音はすさまじく、山にこだまする。
グハァ!
蹴り飛ばされた龍の巨体は崖にぶち当たり、めり込んで止まった。
ルコアはヴィクトルをにらみ、
「き、貴様ぁ……」
と、言うと、真紅の魔法陣をヴィクトルに向けて展開する。
それを見たヴィクトルは、それに比べて二回りも大きな銀色の魔法陣をルコアに向けて同時に展開した。
「へっ!?」
ルコアが気がついた時には、すでに真紅の魔法陣から鮮烈なエネルギー波が発射されており、それはヴィクトルの魔法陣に反射され、そのままルコアを襲った。
ウギャ――――!!
重低音の悲鳴と共にルコアは大爆発を起こし、爆炎が崖や周りの森を焦がす。
ブスブスと辺りが立ち上がる煙にけぶる中、ルコアは崖から落ちてくる。
ズーン!
地響きを起こしながら巨体が岩場に転がった。
ヴィクトルはルコアの脇に降り立つと、ニコニコしながら言う。
「魔石になるか、僕の手下になるか選んで」
ルコアはボロボロになった身体をヨロヨロと持ち上げ、チラッとヴィクトルを見て、目をつぶって言った。
「わ、我を倒しても魔石には……、ならん。我は魔物では……ないのでな……」
「ふぅん、じゃ、試してみるね!」
そう言うとヴィクトルは腕に青色の光をまとわせ、振り上げた。
「ま、待ってください!」
ルコアはそう言うと、ボンッ! と爆発を起こす。
そして、爆煙の中から美しい少女が現れたのだった。
「えっ?」
ヴィクトルは唖然とした。
少女は白地に青い模様のワンピースを着て、流れるような銀髪に白い透き通るような肌……、そして、碧眼の澄み通った青がこの世の者とは思えない美しさを放っていた。
「手下……になったら何をさせる……おつもりですか?」
少女は不安そうに聞く。
「え……? 何って……、何だろう……?」
ヴィクトルは、あまりにも美しい少女の問いかけにドギマギとし、言葉に詰まる。
「エッチなこととか……、悪いこととか……」
少女はおびえながら上目づかいで言う。
「そ、そんなこと、やらせないよ!」
ヴィクトルは真っ赤になって言った。
「ほ、本当……ですか?」
「手下って言い方が悪かったな……。仲間……だな。一緒に楽しいことする仲間が欲しかったんだ」
ヴィクトルはちょっと照れる。
少女はホッとしたように笑顔を見せると、ひざまずいて言った。
「主さま、ご無礼をいたしました。かように強い御仁には生まれてこの方千年、会ったことがありません。ぜひ、喜んで仕えさせていただきます」
少女はずっと山の中ばかりでさすがに飽き飽きしていたのだ。もちろん、たまにちょっかいを出しに来る輩もいたが、弱すぎて話にならない。そこにいきなり現れた異常に強い少年、しかもその強さを欲望の手段にしない高潔さを持ちながら、仲間にしてくれるという。少女にとってはまさに渡りに船だった。
「あ、ありがとう。君は……暗黒龍……なんだよね?」
ヴィクトルは、龍が美しい少女になったことに驚きを隠せずに聞く。
「うふふ、この姿……お嫌いですか?」
そう言ってルコアはまばゆい笑顔を見せる。
「い、いや、こっちの方が……いいよ……」
「これからは主様のために精一杯勤めさせていただきます」
ルコアは胸に手を当て、うやうやしく言う。
「あ、ありがとう」
ヴィクトルは、裸とボサボサの髪を気にして恥ずかしそうに言った。
尻もちをつくヴィクトル。
「フハハハハ!」
広間には不気味な若い女の笑い声が響いた。
クッ!
見ると、黄金の光をまとい、ゆっくりと宙を舞う美しい女性が黒髪をふんわりと波打たせながら楽しそうに笑っている。女性は赤い模様のついた白いワンピースを着て、腕には羽衣をまとわせて、うれしそうに腕を舞わせる。ワンピースには脇にスリットが入っており、美しい肌がのぞいていた。
ヴィクトルはすかさず鑑定を走らせる。
妲己 レア度:★★★★★★★
太祖妖魔 レベル 354
「ヒェッ!」
ヴィクトルは絶望に打ちひしがれた。レア度7は前世でも見た事が無い振り切れた値なのだ……。
伝説では国をいくつも滅ぼしたとされる、最凶最悪の妖魔、妲己が今、目の前で舞っている。ヴィクトルは心の奥底から湧きおこる恐怖を押さえられず、ガクガクと震えた。
「余を呼びしはお主じゃな? どこを滅ぼすんじゃ?」
妲己はニヤッと笑う。
「え? わ、私ですか?」
「何言っとる、生贄はお主がくれしものじゃぞ? 最初ショボい生贄でやる気など出なんだが、お主がたくさん用意し事で来る気になったのじゃ」
ヴィクトルは驚いた。殺した魔物は全部生贄として使われてしまったらしい。
「そ、それは手違いです」
ヴィクトルは冷や汗を垂らしながら答えた。
「へぇ……? 手違いで余を呼びしかっ!」
妲己から漆黒のオーラが噴き出し、不機嫌そうな視線がヴィクトルを貫く。
「お、お鎮まりください!」
ヴィクトルは必死に怒りを鎮めようとしたが、妲己は、
「不愉快なり! 死をもって償え!」
そう叫ぶと、腕を光り輝かせながらブンと振る。
直後、光の刃が目にも止まらぬ速さで飛び、ヴィクトルを一刀両断に切り裂いた。
ガハッ!
地面に崩れ落ちるヴィクトル。
妲己に、バシッ! という音が走ったが、妲己は平気な顔をしている。
「怪しきアイテムを持っとったな? 小賢しい奴じゃ。じゃが、効かぬぞよ」
妲己はニヤリと笑った。ここまでレベルが高いと『倍返し』のアイテムは効かないようだった。
ヴィクトルは朦朧とする意識を必死に立て直し、
「ヒ、ヒール!」
と、回復をかけながら妲己を見上げる。
「ほぅ? 小童、あれで死なぬか……ほぅ」
と、興味深げにヴィクトルを眺めた。
「お、お帰り頂くことはできませんか?」
ヴィクトルはよろよろと立ち上がりながら聞く。
「はぁ!? たわけが!」
妲己はブワッと漆黒のオーラを巻き上がらせ、そのままヴィクトルにぶち当てた。
グハァ!
吹き飛ばされるヴィクトル。
「ただで帰れと言うか! 街の一つや二つ滅ぼさんと気が済まぬ!」
妲己はそう叫んでにらんだ。
「わ、分かりました。そうしたら、三年……三年待ってください。私が強くなって妲己様の満足のいくお相手をします」
「小童、お主がか? はっはっは! 言うのう……。ふむ……、一年じゃ。一年だけ待ってやろう! 余も手下の準備が要りしことじゃしな」
妲己はそう言うと優美に腕を舞わせ、鮮烈な光をまとった。
うわっ!
思わず腕で顔を覆うヴィクトル。
フハハハハ――――!
妲己は楽しそうに笑うと、一気に飛び上がり、広間の天井をぶち抜いて飛び去って行く。
やがて広間には静けさが戻ってきたが、ヴィクトルの耳には、忌々しい笑い声がいつまでも残っていた……。
「い、一年……」
ヴィクトルはひざから崩れ落ちる。
とんでもない事態を引き起こしてしまった……。
自分は昨日までレベル1だったのだ。たった一年鍛えた位で、レベル三百五十を超える伝説上の化け物に勝てる訳がない。
どう考えても無理だった。
しかし、放っておいたら手あたり次第街を襲うだろう。そして妲己を倒せる人間など誰もいない。多くの人が死んでしまう……。
これは自分の責任だ……。
ヴィクトルはうなだれる。
もはやできること全てをやってみる以外なかった。
1-12. 三分に一匹
ヴィクトルは大きく息をつき、よろよろと立ち上がると、生贄とされてしまった冒険者たちに近寄る。そして、虚空をうすぼんやりと映す瞳を指先でそっと閉じ、
「レストインピース!」
と、鎮魂の魔法をかけた。
冒険者たちの遺体は光に覆われ、やがて蛍のように無数の光の粒となり、飛び立って宙へと消えていく。
ヴィクトルは志半ばで魔物に倒されてしまった冒険者たちを思い、黙とうをささげた。
いつ、自分がこうなってもおかしくない……。他人事とはとても思えなかった。
後には衣服と装備が残っている。
認識票を見れば赤茶の銅色だ。これはCランクを表す。かなり優秀なパーティだったはずなのだが……、それを倒せる魔物がここにはいたのだろう。かなりレベルの高いゴブリンシャーマンかもしれない。もしくは卑劣な罠を使ったのか……。だが、今となっては何もわからない。
床に転がる武器を鑑定してみる。
青龍の剣 レア度:★★★
長剣 強さ:+2、攻撃力:+30、バイタリティ:+2、防御力:+2
特殊効果:経験値増量
疾風迅雷の杖 レア度:★★★
魔法杖 MP:+7、攻撃力:+10、知力:+3、魔力:+10
特殊効果: MP回復速度向上
そこそこ良い武器だ。特に特殊効果が嬉しい。
また、アイテムバッグにはポーション類も揃っていた。アイテムバッグは四次元ポケットのように、多くの物を小さなカバンに収納できる魔法のバッグであり、とても便利なものだ。冒険者のルールとして仇をとった者は所持品を譲り受けられる。申し訳ないがありがたく使わせてもらうことにする。
ここまで準備していてもやられてしまうとは……。ヴィクトルは改めて魔物との戦闘の無慈悲さにため息をついた。
◇
ヴィクトルは『疾風迅雷の杖』を装備してみる。短めのステッキだが、柄のところに青色に光る宝石が埋め込まれており、握るとフワッと体中に力が満たされるような感覚があった。
防具も装備したかったが、さすがに五歳児が装着できるものはない。
「さて……、どうするか……」
ヴィクトルは考え込んだ。今までみたいなチマチマとした魔物狩りでは効率が悪すぎて到底妲己には勝てない。もっとアグレッシブに命がけの戦いに身を投じるしかない。
魔物が一番いるのはダンジョンだ。この暗黒の森の奥にも悪名高いダンジョンがある。ワナや仕掛けがえげつなく、出てくる魔物も凶悪揃いで冒険者たちからはあまり人気のないダンジョンだった。
しかし、ヴィクトルにもう選択肢はない。そこへ行く以外なかった。よく考えたら効率を考えれば、人気が無いのはむしろ都合が良いかもしれない。
ヴィクトルは過去の記憶を頼りにダンジョンへと急いだ。レベルはもう三十なので少し余裕がある。
一体どのくらい鍛えたら妲己に勝てるだろうか?
ヴィクトルは暗算をし、十万匹くらいと見当を付ける。十万匹を一年で狩るには三分に一匹のペースが必要だ。起きている間中ずっと三分に一匹ずつ狩り続ける……、ヴィクトルは思わず宙を仰いだ。それは地獄にしか思えなかった。
また、単純に数をこなせばいいという物でもない。雑魚だけではレベルが上がらない。レベルが足りなければ使える魔法も制限されてしまい、到底妲己には勝てない。つまり、それなりに強い敵を三分に一匹ずつ狩り続けなければならないのだ。これは正攻法では不可能だ。アイテムを使った自爆攻撃を繰り返すしか道はない。
一体何回殺されるのだろうか……、十万回?
ヴィクトルは思わず足を止め、しゃがみこんでしまった。
十万回殺され続ける修行、そんな話聞いた事が無い。狂ってる……。ヴィクトルはあまりにも常軌を逸した修行に思わず気が遠くなり、うなだれた。
しかし、レベル三十の子供が、世界最強の妖魔にたった一年で勝つためには他に方法などなかった。
「調子に乗って余計な事しなきゃよかった……」
ポタポタと涙が落ちる。
そもそも、『愛する人とスローライフを楽しむ』というこの人生の目標はどこへ行ってしまったのか? 前世の稀代の大賢者時代ですら勝ち目のない妲己に、一年で勝たねばならないとは、前世よりもよほどハードモードではないのか……?
ヴィクトルは頭を抱え、首を振った。
しかしこうしている間にも時間は過ぎていく。
ヴィクトルは大きく息をつくと、涙をぬぐってグッとこぶしを握り、立ち上がる。そして、この過酷な運命を受け入れる覚悟を決めた。
◇
ダンジョンの入り口にたどり着いた時には、すでに陽は傾いていた。
崖の下の方にポッカリと開いたダンジョンは人気もなく、雑草が生い茂っており、知らなければここがダンジョンとは気づかないだろう。
来る途中、何匹か魔物を狩り、魔石を食べながら来たのでそれほど疲れてはいない。
ヴィクトルは魔法のランプを浮かべ、洞窟の中を照らした。湿った岩肌がテカり、カビ臭いにおいが漂ってくる。
目をつぶり、何度か深呼吸をすると、ヴィクトルはダンジョンの奥をキッとにらみ、小走りにエントリーしていく。何しろ三分に一匹なのだ、休んでいる時間などなかった。
1-13. 骸骨襲来
ワナに注意しながら暗くジメジメした洞窟の中を進むと、さっそく魔物の影が動いた。
ヴィクトルはアイテムバッグから『青龍の剣』を取り出すと、装備する。大賢者としては魔法連発で行くのが王道であったが、そんなことしたらMPの回復待ち時間が必要になってしまう。そんなロスタイムは許されない。
ヴィクトルは継続回復魔法『オートヒール』を自分にかけた。これはしばらくの間HPを毎秒十ずつ回復してくれる便利な魔法である。これなら殺されてもすぐに次の攻撃を食らっても大丈夫にできる。
そして、『青龍の剣』を構えると、魔物へ向けて駆け出した。
見えてきたのはスケルトン、骸骨のアンデッド系魔物である。
スケルトンはヴィクトルを見つけるとカチカチと歯を鳴らし、棍棒を振り上げて走ってくる。
「そいやー!」
ヴィクトルは慣れない剣を力任せに振り下ろす。
青龍の剣は、口を開けた間抜け顔のスケルトンの肩口にヒットした。
グガッ!
スケルトンは断末魔の叫びを上げ、ガラガラと崩れ、骨が散らばり、最後に魔石なって転がった。
よし! と思ったのもつかの間、さらに三匹が襲いかかってくる。
骸骨の化け物が、カチカチと歯を鳴らしながら駆け寄ってくる不気味さに、ヴィクトルは顔をしかめ、奥歯をギリッと鳴らすと体勢を取り直した。
そして、スケルトンが間合いに入るのを待ち、大きく振りかぶった剣を力いっぱい振り下ろす。
あっさりと砕け散る先頭のスケルトン。
しかし、次のスケルトンの棍棒が予想以上に伸びてきて、殴られてしまうヴィクトル。
グハッ!
口の中を切ってしまい、血がポタポタと垂れる。
しかし、ひるんでいられない。
ヴィクトルは歯を食いしばると、力いっぱい剣を振り上げてスケルトンの胴体にヒットさせて砕いた。が、同時に三匹目の棍棒をまともに浴びた。
クゥッ!
たまらずゴロゴロと転がってしまうヴィクトル。
HPにはまだ余裕があるが、痛いものは痛い。
「チクショー!」
ヴィクトルはよろよろと立ち上がると、振り下ろされてくる棍棒をギリギリのところで避け、剣を野球のバットのように横に振りまわした。
ガキッ!
いい音がしてスケルトンの背骨が砕け、バラバラと全身の骨が崩れ落ちていく……、そして最後には魔石となり、コロコロと転がる。
「ふぅ……」
無様な緒戦ではあったが、なんとか三匹同時でも剣で対処できたのは大きかった。
それにしても防具は欲しいし、剣の扱い方も真面目に学んでおけば良かったと、思わずため息が漏れる。準備不足の状態で突入してしまった地獄の修行。ヴィクトルは魔石を拾いながら、前途多難な道のりに気が遠くなった。
◇
それから一週間、ヴィクトルは起きている間中剣を振り続けた。五歳児の腕ではすぐに痺れ、限界に達してしまうが、治癒魔法で治しながらだましだまし戦闘を続ける。
すでに倒した魔物は二千匹。レベルは五十七に達していた。ただ、パラメーターは魔石を食べる事で異常に上がっており、実質レベル百相当の強さにまで成長していた。
自分のレベルより強い敵を倒せるということは経験値的には大変美味しいことであり、レベルの上がり方も異常に速かった。
その日、ヴィクトルはダンジョンの地下47階に来ていた。そこは地下のはずなのに、階段を下りたらなんと青空が広がっていた。
広い草原には爽やかな風が吹き、草のウェーブがサーっと走っている。さんさんと照り付ける太陽はポッカリと浮かんだ白い雲の影を草原に落とし、ゆったりと流れていく。
なんて気持ちのいい風景……、しかしここは地獄のダンジョン。どこにどんな罠があるかもわからないのだ。
早速索敵の魔法に反応があった。
そこそこの強さの魔物が草原をこちらに駆けてくる。その数七匹。剣では分が悪い。ヴィクトルは杖に持ち替えると魔法の詠唱を始めた。
空中に真紅の円が描かれ、続いて中に六芒星、そして書き上げられていくルーン文字……。
草むらから飛びかかってきたのはウォーウルフの群れだった。灰色の巨体に鋭い牙、金色に光る瞳が並んで襲いかかってくるさまに気おされ、ヴィクトルの背筋にゾクッと冷たいものが流れる。
しかし、ひるんでもいられない。ヴィクトルは気を強く持って魔法陣を完成させると、
「灼熱炎波!」
と、叫ぶ。
魔法陣から爆炎が噴き出し、あっという間にウォーウルフたちを飲み込んだ。
1-14.潰された子供
キャンキャン!
叫び声が上がる。
やったか!? と思ったのもつかの間、四匹が構わず突っ込んできた。
やはり、まだ火力不足である。
ヴィクトルは往年のアマンドゥス時代の火力を懐かしく思いながら、剣に持ち替え、ギリッと奥歯を鳴らした。
果たして、次々と飛びかかってくるウォーウルフ。
ヴィクトルは一匹目を一刀両断にするも、次のウォーウルフの爪の餌食となって切り裂かれ転がった。
グハァ!
同時に攻撃したウォーウルフもアイテムの効果を受けて転がる。
後続のウォーウルフはお構いなしに血まみれのヴィクトルの腕に噛みついた。ヴィクトルは自由になる手で口元に向けて、
「風刃!!」
と、叫び、ウォーウルフの内臓をズタズタに切り裂いた。
しかし、まだ一匹残っている。
ヴィクトルはヒールをかけ、体勢を立て直すと、ウォーウルフに対峙した。
はぁはぁと肩で息をするヴィクトル。
仲間をやられた怒りで金色の瞳の奥を赤く光らせるウォーウルフ……。
にらみ合いながら、ジリジリとお互い間合いを計る……。
直後、覚悟を決めたウォーウルフが飛びかかってきた。
ヴィクトルは鋭く剣を走らせるが、ウォーウルフは巧みに前足で剣の軌道をそらしヴィクトルの喉笛に鋭い牙を食いこませた。
グフッ!
ヴィクトルは真っ赤な血を吐きながらウォーウルフと共に倒れ、ゴロゴロと転がる……。
直後、ウォーウルフはギャン! という断末魔の叫びを上げながらアイテムの効果で絶命し、ヴィクトルは朦朧としながら草原に転がった。
「七匹は……無理だよ……」
そうつぶやき、しばらく大の字になってぼーっと空を眺める。
青空には真っ白な雲がぽっかりと浮かび、爽やかな風がサーっと草原を走った。
◇
さらに一カ月たち、一万匹の魔物を倒したヴィクトルのレベルは91にまでなっていた。魔石を食べる効果で強さはレベル200相当にまで達している。
暗黒の森のダンジョンに来ていた冒険者のパーティはその日、信じられないものを目撃した。
パーティで巨大な岩の魔物、ゴーレムと対戦するも、予想以上に硬い防御に苦戦していた時のこと――――。
「ダメ――――! もうMP切れだわ!」
黒いローブをまとった女性が叫ぶ。
直後、ゴーレムは、
グォォォォ!
と、叫びながら全身を光らせ、鋭いパンチを盾役に浴びせる。
ぐはぁ!
盾役はたまらず転がった。
「ダメだ! 撤退! 撤退! シールド張って!」
剣士が叫んだが、
「あれっ!? ごめんなさーい! もうMP切れ――――!」
僧侶が泣きそうになりながら答える。
「バッカ野郎! どうすんだよぉ!」
剣士は真っ青になって喚く。
パーティは崩壊寸前だった。
走って逃げてもゴーレムの方が足は速い。逃げるのにシールドは必須なのだ。
すると、小さな子供がやってきてニコニコと可愛い顔で剣士に聞いた。
「僕が倒しちゃっていいですか?」
子供はあちこち破れたズタボロの服を着ているだけで、装備らしい装備もしていない。
「え!? 倒す……の? お前が?」
「うん!」
「そ、そりゃ……倒してくれたらありがたいけど……」
「じゃぁ、やっちゃうね!」
子供はそう言うとテッテッテとゴーレムに近づいて、
「ファイヤーボール! ファイヤーボール! ファイヤーボール!」
と、巨大な火の玉を次々とぶち当てた。
「お前ら! 逃げるぞ!」
剣士はメンバーに声をかけると駆け出し、安全な距離を取る。
そして、物陰からそっと戦いの様子をのぞいた。
しかし、ゴーレムはファイヤーボール程度ではビクともしない。
岩でできた巨大な腕をグンと持ち上げると、子供に向けて振り下ろした。ところが、子供は逃げるそぶりも見せず、そのまま潰される。
グチャッ!
嫌な音が広い洞窟に響いた……。
「あぁぁ! ……。あの子……、やられちゃったぞ……」
剣士は青い顔で言う。
しかし、同時にゴーレムもなぜかダメージを受け、ズシーン! とあおむけに倒れた。
「へ!?」
黒ローブの女性が驚く。
すると、潰されたはずの子供が光をまといながら立ち上がり、再度ファイヤーボールを唱え続けた。
ドーン! ドーン!
洞窟にはファイヤーボールの炸裂する爆音が響く。
ファイヤーボールを受けながらも、ゆっくりと立ち上がるゴーレム。
直後、子供は
「ウォーターカッター!」
と、叫び、鋭い水しぶきを放った。
真っ赤に熱されたゴーレムは水を受けてビシッ! と亀裂が走る。
「おっ! あいつすげぇぞ!」
剣士は声をあげた。
しかし、与えたダメージは亀裂止まりでゴーレムは止まらない。
ゴーレムは足を持ち上げると、子供を一気に踏みつぶした。
ブチュ!
聞くに堪えない音が再度洞窟に響く……。
「きゃぁ!」
黒ローブの女性は思わず耳を押さえ、悲鳴を上げた。
が、次の瞬間、ゴーレムは、
グァゴォォォ!
と、断末魔の叫びを上げ、消えていった。
なんと、子供がゴーレムを倒したのだった。
「はぁ!?」「へ?」
剣士も女性も信じられなかった。自分達でも倒せなかったあの頑強なゴーレムが、何の装備もない、可愛らしい子供に倒されたのだ。
やがて、子供は起き上がり、魔石を拾うと、何事もなかったようにテッテッテと駆け出して、階段を下りて行った。
「おい! あの子、下へ行ったぞ!」
剣士は仰天した。この下にはもっと強い魔物が居るというのに、何の躊躇もなく、休む事もなく下へ行ったのだ。
パーティの面々は訝しげにお互いの顔を見合わせながら、無言で首をかしげるばかりだった。
1-15. 歓喜の超音速
さらに十カ月、ヴィクトルは地下九十八階で手あたり次第に魔物を狩っていた。
HPやMPは二十万を超え、ステータスもレベル千相当以上の強さに達するヴィクトルはもはやダンジョンでは敵なしである。それでも使える魔法のバリエーションを広げる意味で、レベルは上げておきたい。
ヴィクトルはダンジョン内の広大な森の上を飛びながら魔物を物色し、見つけ次第魔法の雨を降らせて瞬殺していく。
その様はまさに地獄からの使徒、魔物たちは逃げる間もなく断末魔の悲鳴を上げながら燃え盛る魔炎の中、魔石を残し、消えていった。
そしてついにその時がやってくる……。
ピロローン!
レベル二百を告げる効果音がヴィクトルの頭に響く。
その瞬間、地獄の修行は終わりを告げたのだった。
「や、やった……」
ヴィクトルはそうつぶやくとしばらく目をつぶり、疲れ果てた体のままただぼんやりと宙に浮かぶ。その体にはもうマトモな服も残っていない。上半身は素っ裸で煤だらけ、ボロボロの短パンだけが唯一人間らしい文化の名残を残していた。
ヴィクトルは最後に倒したキメラの魔石を拾いに地面に降りる。そして、黄色に輝く魔石に解毒の魔法をかけ、透明にすると一気に吸った。ほろ苦い芳醇な味わいが一気に口の中に広がり、爽やかなハーブの香りが鼻に抜けていく……。まるでエールのようだった。
「カンパーイ!」
ヴィクトルは空になった魔石を空へと掲げた。それは一年にわたる死闘の終結を祝う、至高の一杯だった。
ステータス画面を開くと、レベル二百で解放された偉大な魔法の数々が並んでいる。ヴィクトルは前世アマンドゥス時代をはるかにしのぐ力を手に入れたのだった。
これなら妲己にも勝てるだろう。あの美人の姉ちゃんをコテンパンにしてやる。
ヴィクトルは興奮しながらこぶしをぎゅっと握った。
◇
ヴィクトルは十一か月ぶりに地上に戻ってきた。
洞窟を出ると、赤紫に輝く朝の雲が目の前に広がっている。思わず見とれ……そして、幸せいっぱいに目をつぶると大きく深呼吸をした。
朝の風が森の爽やかな香りを運び、ヴィクトルの伸びきった髪をゆらす。ヴィクトルは無事地獄の修行を終え、地上に戻ることができた。何度も何度も、それこそ何万回も殺され、それでも妖魔から人々を守るために歯を食いしばり、ピンチを脱出してきた。
ヴィクトルはつい涙をポロリとこぼす。
もう止めようと思ったことも、絶望の中で心が折れそうになったことも数えきれないほどある。それでも大賢者としての矜持がそれを許さなかった。
「やったぞ! チクショー!」
ヴィクトルはそう叫びながら右手を突き上げると、真紅に輝く魔法陣を瞬時に描き、覚えたばかりの最強の火魔法絶対爆炎を朝焼けの空へ向けて放つ。絶対爆炎は空高く大爆発を起こし、激しい閃光を放つと森一帯に衝撃波を放った。
ズン!
衝撃波で大きく揺れる木々。それは地獄の修行に成功した祝砲だった。
ヴィクトルは初めて使った究極の火魔法絶対爆炎の性能に満足し、ニヤッと笑うと飛行魔法で飛び上がる。
「ヒャッハ――――!」
レベル千を超えるステータスは異常だった。ヴィクトルが加速するとどこまでも上限なしに速度は上がっていく。
グングンと高度を上げていくと、いきなりまぶしい光に照らされた。真っ赤な朝日が東の空、茜色の雲の向こうに昇ってきている。
一年ぶりの本物の太陽。ヴィクトルはうれしくなって太陽に向かって飛んだ。
「帰ってきたぞ――――!」
ヴィクトルはクルクルとキリモミ飛行をしながらグングンと速度をあげた。
どんどんと小さくなっていく暗黒の森。あんなに恐ろしかった死の森も今やヴィクトルにとってはただの楽しい狩場である。
「クックック……」
ヴィクトルは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。もはや世界最強。誰も自分を止められる者などいない。そして前世と違って何のしがらみもない。自由だ! 早く妲己の姉ちゃんをギャフンと言わせて念願のスローライフを満喫するのだ!
どこに住もうかな? 王都? 無人島? 森の奥で畑を耕すのもいいかも……?
ヴィクトルは妄想を膨らませながら、朝の爽やかな空気の中さらに速度をあげた。
上空の空気は冷たい、上半身裸のヴィクトルは徐々に寒くなってくる。
「そうだ! 服を買いに行こう! 髪の毛も切らなきゃね」
ヴィクトルは長い髪の毛を手でつかみ、野生児のような身なりをちょっと気にし、そして、自分の周りにシールドを張り、風防とした。
「これ、どこまで速度上げられるんだろう?」
ヴィクトルは好奇心で魔力を思いっきりかけてみる。
グングンと上がっていく速度。シールドはビリビリと振動してくる。
眼下の景色は森も山も川もまるで飛んでいくように後ろへと消えていった。
ヴィクトルはグッとこぶしを握り、さらに魔力をつぎ込んだ。
するとまるで浮き輪をしたように、ドーナツ状の雲が自分を囲むように湧いてきた。
「これ……なんだろう?」
いぶかしく思いながらさらに加速した時だった。
ドーン!
激しい衝撃音がシールドをゆらした。
「え?」
見るとシールドが赤く光っている。
そう、音速を超えたのだ。ヴィクトルはこの星で初めて音速を超えた人になった。
「す、すごいぞ!」
理屈では知っていたものの、まさか音速を超えられるとは思わなかったヴィクトルは、思わずガッツポーズをした。
森が山がどんどんと音速で後ろへと飛んでいく。ヴィクトルはその不思議な光景に思わずにんまりとしてしまう。大賢者として未知の現象は珠玉の甘露だった。
やがて向こうの方に大きな山が見えてきた。綺麗な円錐形をして、山頂には雪も見えている。
さらに近づいて行くとその山は火山で、上の方が吹き飛んだような形をしていることが分かった。横から見ると台形で、崖の稜線が連なって見える。
ヴィクトルはその美しい自然の造形に魅せられて、速度を落とし、その山の上空をぐるりと回る。
「おぉ、綺麗だなぁ……」
思わずウットリとするヴィクトル。
こういう所に住むのもいいかもしれない。でもそれじゃまるで仙人みたいだな……。ヴィクトルはボーっとそんな事を考えていた。
1-16. 美しき暗黒龍
と、その時だった。激しいエネルギー反応を感じ、ヴィクトルはあわてて回避行動を取る。
「危ない!」
鮮烈な火炎エネルギーがヴィクトルをかすめて上空へと消えていった。
見ると、巨大な魔物が大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせながら近づいてくる。鑑定をかけると、
ルコア レア度:★★★★★★
暗黒龍 レベル 304
なんと伝説に聞こえた龍らしい。確か古の時代にこの龍の逆鱗に触れて街が一つ滅ぼされた、という話を聞いたことがある。
「小童! 断りもなく我が地を飛び回るとはどういう料簡じゃ!」
厳ついウロコ、鋭いトゲに覆われた恐竜のような巨体が重低音で吠え、大きく開いた真っ青に光る瞳でギョロリとにらむ。
「これは失礼。そうとは知らなかったもので。でも、いきなり撃ってくるというのもどうですかね?」
ヴィクトルはにらみ返した。
「生意気な小僧が! 死ね!」
そう言うと暗黒龍ルコアはファイヤーブレスを吐いた。鮮烈に走る火炎放射はまっすぐにヴィクトルを襲う。
ヴィクトルは直前でかわすと、間合いを詰める魔法『縮地』でルコアのすぐ横に迫った。
「へっ!?」
驚くルコアの横っ面を、思いっきりグーでパンチをする。
ギャゥッ!
悲鳴を残してルコアはクルクルと回りながら落ちて行く。
「暴れ龍め! 僕が食ってやる!」
ヴィクトルは全力の飛行魔法で追いかけると、音速の勢いのまま、どてっぱらに思いっきり蹴りを入れた。
ドーン!
蹴りの衝撃音はすさまじく、山にこだまする。
グハァ!
蹴り飛ばされた龍の巨体は崖にぶち当たり、めり込んで止まった。
ルコアはヴィクトルをにらみ、
「き、貴様ぁ……」
と、言うと、真紅の魔法陣をヴィクトルに向けて展開する。
それを見たヴィクトルは、それに比べて二回りも大きな銀色の魔法陣をルコアに向けて同時に展開した。
「へっ!?」
ルコアが気がついた時には、すでに真紅の魔法陣から鮮烈なエネルギー波が発射されており、それはヴィクトルの魔法陣に反射され、そのままルコアを襲った。
ウギャ――――!!
重低音の悲鳴と共にルコアは大爆発を起こし、爆炎が崖や周りの森を焦がす。
ブスブスと辺りが立ち上がる煙にけぶる中、ルコアは崖から落ちてくる。
ズーン!
地響きを起こしながら巨体が岩場に転がった。
ヴィクトルはルコアの脇に降り立つと、ニコニコしながら言う。
「魔石になるか、僕の手下になるか選んで」
ルコアはボロボロになった身体をヨロヨロと持ち上げ、チラッとヴィクトルを見て、目をつぶって言った。
「わ、我を倒しても魔石には……、ならん。我は魔物では……ないのでな……」
「ふぅん、じゃ、試してみるね!」
そう言うとヴィクトルは腕に青色の光をまとわせ、振り上げた。
「ま、待ってください!」
ルコアはそう言うと、ボンッ! と爆発を起こす。
そして、爆煙の中から美しい少女が現れたのだった。
「えっ?」
ヴィクトルは唖然とした。
少女は白地に青い模様のワンピースを着て、流れるような銀髪に白い透き通るような肌……、そして、碧眼の澄み通った青がこの世の者とは思えない美しさを放っていた。
「手下……になったら何をさせる……おつもりですか?」
少女は不安そうに聞く。
「え……? 何って……、何だろう……?」
ヴィクトルは、あまりにも美しい少女の問いかけにドギマギとし、言葉に詰まる。
「エッチなこととか……、悪いこととか……」
少女はおびえながら上目づかいで言う。
「そ、そんなこと、やらせないよ!」
ヴィクトルは真っ赤になって言った。
「ほ、本当……ですか?」
「手下って言い方が悪かったな……。仲間……だな。一緒に楽しいことする仲間が欲しかったんだ」
ヴィクトルはちょっと照れる。
少女はホッとしたように笑顔を見せると、ひざまずいて言った。
「主さま、ご無礼をいたしました。かように強い御仁には生まれてこの方千年、会ったことがありません。ぜひ、喜んで仕えさせていただきます」
少女はずっと山の中ばかりでさすがに飽き飽きしていたのだ。もちろん、たまにちょっかいを出しに来る輩もいたが、弱すぎて話にならない。そこにいきなり現れた異常に強い少年、しかもその強さを欲望の手段にしない高潔さを持ちながら、仲間にしてくれるという。少女にとってはまさに渡りに船だった。
「あ、ありがとう。君は……暗黒龍……なんだよね?」
ヴィクトルは、龍が美しい少女になったことに驚きを隠せずに聞く。
「うふふ、この姿……お嫌いですか?」
そう言ってルコアはまばゆい笑顔を見せる。
「い、いや、こっちの方が……いいよ……」
「これからは主様のために精一杯勤めさせていただきます」
ルコアは胸に手を当て、うやうやしく言う。
「あ、ありがとう」
ヴィクトルは、裸とボサボサの髪を気にして恥ずかしそうに言った。