恋を知らない亡国の姫君は敵国の(大っ嫌いな)王太子に溺愛される。

 背後からはけたたましい笑い声が続いていた。狭い螺旋階段の下から、永遠と。爪が振るわれる度に、石造りの壁や床に大きな傷跡を残していた。もう塔の大半を登り終え、礼拝堂のガラス張りの天井が遥か下に見える。相手の攻撃はどれも大ぶりだった。だけど時計塔を駆け上がる徒労も相まって、後ろからの攻撃をいつまでも躱し続けることは不可能だ。

「ぐっ……!」

 爪先が二の腕を掠った。それなのに体ごと吹き飛ばされ、壁に背中を叩きつけられる。息が出来ないロックが視線を上げると、メイド魔族の口角が上がりすぎなくらい上がっていた。

「お得意の魔法はぁ、使わないのですかぁ?」

 ――わかっているくせに。

 あらゆる国の魔法を研究しているとはいえ、ロックの基本は王国式『文様術(パズルス)』だ。魔法道具の作成や結界に向けど、進行形の戦闘には不向きな魔法。

 だけど、ロックが使わない理由はそれだけではない。

「あまり派手なことして……兵が集まったら困るからな……」
「あれまぁ。むしろ助けは呼ばないで宜しいのですかぁ?」
「俺以外に用がないなら……被害は少ないに越したことないだろ」

 その返答に「お優しいことぉ」と魔族の顔は笑みは歪んで。

「それではぁ、あなたの崇高な王族の誇りに免じて一思いにぃ」

 動かないロックの前で、その腕は大きく振りかぶられ――下ろされた時には、真っ黒な血が飛び散った。その返り血を全身で浴びたロックは、顔を腕で拭いながら包丁を構え直す。

 ようやく魔族の笑い声が止まった。代わりに聞こえるのは歯ぎしりだ。

「ずいぶんとやってくれますね……人間風情が」
「覚えてないのか――その人間風情に、おまえらの魔王様は倒されたんだよ」

 ロックの言葉を、魔族は鼻で笑い飛ばした。

「お幸せそうで」

 その言葉と同時に、突如ロックの目の前で光が膨れ上がる。
 油断を後悔する暇もない、ただの暴力的な爆発は、ロックの体ごと石壁をぶち抜いた。

 ――しまった……!

 ロックは淡い光のベールで覆われていた。いざという時ように逃げながら紡いでいた防御魔法だ。そのおかげで体が砕け飛ぶことはなかったけれど――空中で浮くための魔法はまた別。足場がなければ落ちるしかなく、空中に投げ出されたロックはそれを防ぐため、とっさに瓦礫塀に手を伸ばす。

 代わりに落ちていくのは、魔呪具である【|万能包丁(パーフェクトナイフ)】。魔族の腕すら難なく切れたそれの落ちた先を確認する余裕はなかった。ギリギリで指先が引っ掛かったは良いものの、すぐ上では魔族が厭らしく笑っていたから。

「大人しく落ちてくれればぁ、痛い思いも最小限で済みましたのにぃ」

 瓦礫を掴む手が踏まれる。グリグリと擦られ、ロックは苦悶を隠せない。そんなロックを見下ろす顔は、とても愉悦に満ちていた。

「本当はぁ、その手を爪で貫いてあげたいところなのですよぉ。でも、下手に魔族がいた痕跡残ると、私が後々動きにくくなるでしょう? だからぁ、あくまで不慮の事故っていうことで……この時計塔も爆破しておきますねぇ。あはっ、事故にしては派手すぎますかぁ。どうしましょうか――」
「ご心配なさらずとも、あとで全て私が修繕致しますよ」

 その声は、魔族の後ろから聞こえた。穏やかな声音で、だけど有無を言わせない完璧すぎる敬語は、どこで聞いても変わらなかった。

「姫様の晴れの舞台に、汚点など一つもあってはなりません。なので……」

 ロックの顔に黒いジャケットが降ってきた。視界が黒で覆われて、何も見えない。

 バリッ。バリバリバリッ。
 そんな骨を砕くような音が聞こえるだけ。

 ――一体何が……⁉︎

 来た人物には当然心当たりがある。だけど、彼が味方かどうかがまるでわからない。

 だんだんと指先に力が入らなくなってくる。ロックが唇を噛み締めた時、ジャケットが顔から落ちた。

「ばぁ♡」
「うおっ⁉」

 ロックは思わず手を離しそうになる。セリナの横でいつも偉そうに控えている執事の茶目っ気満載の笑顔に驚いただけではない。彼の口の周りにベッタリと黒い液体が付いていた。

「おまえ……それ……」

 見渡しても、もうどこにもメイド服を着た魔族の姿はないし、気配もない。ただ一人の執事が縁から顔を覗かしているだけだ。珍しく燕尾服のジャケットを脱いだ格好だったが。

 その執事はロックの口元に人差し指を当てる。

「世の中には知らない方が良いことがあります。むしろ、その方が多い。知らないからこそ幸せでいられる――私の姫様なんかはそれに異を唱えるのでしょうが――貴方はもう少しだけ、賢い方だと認識しております」

 緩やかな笑みを絶やさない執事は「本当に少しだけですが」と余計なことを口足しつつ、一方的に話してくる。

「私には現在、二つの選択肢があります。貴方を生かすか、殺すか。正直どちらでもいいんですよね。先程は『姫様の晴れの舞台に汚点など』と言いましたが、貴方が死ねば明日の婚約式もありません。姫様に何の非もなく婚約破棄になるなら、カルミアにも被害が生じると考えにくいですし……まぁ、長期的な目で見れば色々と問題が出てくるかもしれませんが、それはそれです。貴方と婚約したからといって平穏無事に余生を過ごせる保証はどこにもないわけですし、遠い問題に今を犠牲にする必要はないわけです」

 その執事は、ずっとロックの顔を見ていた。だからロックの手がギリギリであることもわかっているはず。それでも手を貸さない。貸そうともしない。

 ロックは震える声で尋ねる。

「……それで? おまえは何がお望みなんだ?」
「望みというほどではありません。ただ貴方にお尋ねしたいだけですよ」

 歪むことのない笑み。だけど薄っすらと開かれた瞼の奥に潜むは、赤い瞳。

「貴方は姫様を幸せにする自信がありますか――魔王である私よりも」

 魔王だと、その執事はハッキリ告げた。ジェイド。家名はないという。元から色々と怪しいとは思っていた。だけど勇者カルサスの古い知人で、長く彼に仕えているという。これからも親交を深めていこうとする相手国の一番の家臣である人物を否定するつもりはなかった。

 ――なるほど。

 ロックは思わず苦笑する。確かに魔王ならば、勇者の古い知り合いだ。その関係性に何の間違いはない。

「魔族だろうとは思っていたが……まさか魔王ときたか……」
「おや、失礼ですね。私をあんな脆弱なはぐれもの如きと同じ扱いですか」
「俺はその脆弱者に殺されかけたんだがな」
「それは貴方が弱いからでしょう。私は人間だから弱くて当然、という判断はしませんよ。なんせ人間風情に倒された魔王ですからね」
「……おまえ、さっきの話聞いていただろう?」
「さっきの話とは?」

 ――こいつ、根に持ってやがるな⁉

 魔王とはいえ、やはり勇者に倒された過去は汚点なのだろう。だけどすぐに彼は「冗談ですよ」と笑う。だけどロックは気安く笑い返すことが出来ない。

「魔王が、どうして生きているんだ?」
「悠長にお喋りしていて宜しいのですか? 私は貴方が落ちるまで雑談していても一向に構いませんが」
「本当に性格悪いな」
「お褒めいただきありがとうございます」

 その執事は満面の笑みを浮かべる。それに嘆息して――

「おまえが魔王だろうが勇者だろうが関係ないな」

 当たり前のことを、ロックは告げる。

「俺がセリナを幸せにするんだ。おまえが何であろうと、知ったことか」
「たとえ永遠に愛されなくても?」
「今更。見返りなんて期待したことねーよ」

 好きな相手から愛情を返してもらうことが出来たら。
 そんな期待は、とうに捨てた。

 代わりのモノが見つかったから。自分が与えることで返ってくる笑顔が、とても眩しかったから。その光さえあれば、生きていけると思ったから。

 あの笑顔を見るためだったら頑張ることが出来ると、幼いあの日に知ったから。

 その返答に、魔王は笑う。声を上げて、腹を抱えて。

 ひとしきり笑い終えた後、魔王はロックに向けてあるものを取り出す。
 それは、全てを凍てつかせるかのような冷たい色を放つ宝石が埋まった首飾り。それを執事の格好とした男はまるっと呑み込んで。

「本当に、貴方は可哀想な御人だ」

 とても愉快で仕方ないとばかりに、歪んだ笑みを浮かべた。


< 26 / 29 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop