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 すん、と鼻を啜った千真は、圭樹の背中から少しだけ顔を離す。
 圭樹は視線が痛い中、やめておけばいいのに、悩んだ挙句、ポケットからハンカチを取り出して、千真の顔に押しつけた。駿介の目付きが鋭くなった気がするのは、おそらく気のせいではない。
 嫌われたかな、とそもそも好かれているような間柄でもないのだが、そう残念に思っていると、圭樹を盾に少しだけ顔を出した千真が、ごくりと息を飲むのが判った。

 そして、次の瞬間。

「イーっだ!」

「……」

 子供か。
 思わずそうツッコミたくなるほど、子供のように歯を見せて駿介を威嚇した千真は、駿介のいる反対方向に走って逃げた。

 ちなみに、オーキッドのビルは3階建てであり、1階が駐車場、2階に経理部と社長室、そして応接室があり、3階には開発部と営業部、会議室、倉庫、それからリフレッシュルームがある。
 今圭樹たちがいるのは、3階のリフレッシュルームで、残念ながらすべての階がひとつの階段で繋がっている。千真が走っていった方向にも階段がないとは言わないが、非常階段なので普段は鍵が閉められており、まぁ、要するに行き止まりだ。

 ヒールのカツカツと遠ざかった足音が、またカツカツと近づいてくる。
 頬を膨らませて、顔を真っ赤にした千真は、また圭樹の後ろに隠れると、圭樹を盾にしたままカニ歩きで階段まで進み、何事もなかったように階段を走って降りていった。

「……す、すみません」

「……っ、く」

 圭樹が千真に代わり、その空気を払拭するように謝罪の言葉を口にすれば、それを皮切りに、旭と国浦が、堪えていた笑いを噴き出すように肩を震わせる。
 ひとり、納得いかない様子で、鋭い目付きをさらに鋭くしていた駿介を、旭と国浦がかわいがるように首根っこを捕まえてはしゃいでいる姿が、なんとも微笑ましい。

 それにしても、と圭樹は深くため息を吐いた。逃げるようにいなくなったが、結局は同じ部署なので、すぐに顔を合わせることになるだろうに。
 恥ずかしいやら情けないやら、圭樹は頭を抱えた。
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