爪先からムスク、指先からフィトンチッド
芳香の麝香に触れ、ボディーシートを作り上げ、芳香との甘い夜のためにルームフレグランスやラブローションを作ったことを思い出す。
「楽しいよ。君といると」
「薫樹さん……」
愛する恋人がいて、親しい友人もでき、まだまだ目標もある。これ以上何も望むことはないと薫樹は満足して芳香の身体を引き寄せた。
二人の間には芳しい香りが満ちている。


11 あなたとわたし、そして……

芳香と薫樹が結婚した翌年、薫樹は『TAMAKI』に次ぐ、名香を発表する。
『あなたとわたし(邦題)』は海外でも、『TAMAKI』以上の評価を受け、薫樹の名前は調香界でも不動のものとなる。
この香りはセクシーさの中にリラックスを感じ、優しさの中に情熱を感じる、二極のものが絶妙なバランスを保ち、いわれもなくうっとりするのだ。

ただ、涼介と真菜はこう言う。
「これって兵部さんと芳香ちゃんでしょ?」
それを聞き芳香は怒る。
「やだ! 薫樹さんってば、なんて香り作るんですか!」
目を三角にしながらも『あなたとわたし』を薫樹が身に着けると、そろそろと近づき潤んだ目で胸元に忍び込んでくる。
「やっとできたんだ。でも君の香りは僕だけのものだから作らないよ」
「もうっ! ほんとに私の香りなんか作んないでくださいよ!」
彼女の麝香は彼女のままに。
芳香はそっと呟く。
「薫樹さんの香りも作らないで。このフィトンチッドは私だけのものにさせてください」
「ん。僕は自分の香りがわからないし、これも、君が言う僕の香りをイメージで作っているものにムスクを掛け合わせている――僕の香りは君だけの香りだよ」
安心して芳香はまた薫樹の指先の香りを嗅ぎ、口に含み舐める。
「君の爪先も楽しませてもらおうか……」
寝室は『あなたとわたし』を超える名香で満ちるが、その香りを嗅ぐことは、それを創り上げる二人以外叶わない。




更に年月が過ぎると二人に男児が授かるが、やはり兵部家の男児らしく、その子は味覚に鋭い子供になる。
おかげで芳香は非常に手を焼く。
「きゃっ、この子ったらまた離乳食をイヤイヤしてる……」
「ん? ダシでも変えたのか? いつもより魚の匂いが強いな」
「ああ……。鰹節切らしちゃって、あご(トビウオ)だしだけにしたんですよねえ……」
「フフ。露樹は舌が肥えているようだな」
「はあ……。まだ一歳なのに……」
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